第10話 アリスの企画 (1/2)

 上昇する箱の中で俺は無言を貫いていた。エレベーターからの眺めが息をのむほど素晴らしいというわけではない。つい先日まで大自然に囲まれていた身にはビル林は冬の樹海よりも殺風景に見える。


「そうでした。集談館の綾野さんが感謝されていました。私からもお礼申し上げます」

「いえ、仕事をしただけですから……」


 同じく無言だった九重女史が口を開いた。なんでこのタイミングでまた乗り合わせてしまったのか。


「それにしては早瀬さんのこと、ずいぶんと親身になって差し上げたみたいですが」

「あ、あれはですね。誤解なんですよ」


 俺は釈明する。アリスの授業に責任を持っているのは俺だ。責められるのは仕方がない。だが社会人の端くれとしては誤解は解かないといけない。出張と称して不倫旅行をしていたなんて思われるのは困る。


「大丈夫です。プライベートには立ち入りませんから。ただアリスの教育上ご配慮くださいね。海野先生」


 九重女史は必要なことは言い終えたとばかりに開いたドアから出ていった。釈明失敗。


「ちょっと待ってください九重さん。アリスのことで一つお聞きしたいことがあって」


 俺は鞄から小さな箱を取り出しながら九重女史の後を追った。




 メタグラフのオフィスを通ってバーチャルルームへ向かう。もちろんアリスの教育のことは考えている。俺はアリスの教師役なのだ。


 主人公、舞台と順調にきて。コンセプトだって少しずつ着実に進んでいる。問題はテーマにたどり着けるかに移っているのではないかと考えている。楽観視はしていないが希望はある。アリスの企画、主人公詩乃は明らかにアリスの内面を反映している。そこからアリスの中のアリスのテーマが引き出されればいいんだ。


 ただその為には詩乃でも図書館でもなく、もう一つの視点も重要ではないか。前回のリモート授業の最後にアリスにし損ねたアドバイスを思い起こしながら、俺はバーチャルルームの前に立った。


 っと、最初にアリスに前回のことを詫びないとな。まったく咲季の奴め。




「えっ? 企画が出来た?」

「はい。とてもお待たせしてしまいましたが、生成することが出来ました」


 バーチャルルームで俺が前回のことを詫びようとした時だった。アリスは待ちかねていたように成果をホワイトボードに表示した。俺は慌ててアリスの企画を確認する。


――――――――――――――――


『主人公』

 石里詩乃:二十五歳の女性。生まれた時から小説が好きで、小説に関する大量の知識をもつ。それを活かして社会に貢献しようと司書になった。一方、読書に集中しすぎたため、他人の心の機微をつかむのが苦手という欠点を持つ。


『舞台』

 塩浜島図書館:新潟県の海辺の街の図書館。塩浜島という地名は埋め立てで陸続きになったため。戦国時代に甲斐の国に塩を送ったという伝承を持つ。地元唯一の図書館として小説を中心に多くの蔵書を誇る。

 館内図、会館スケジュール、催し…………。


 ここまでは最初から問題なかった。前回アリスが言った詩乃の改善も反映されている。“生まれた時から小説が好き”というあり得ない設定は御愛嬌の範囲とする。いよいよ次が苦戦していたコンセプトだ。


『コンセプト』

 詩乃が問題を抱える来館者の相談に応じて小説を紹介、感想を通じたやり取りを繰り返す中、来館者の心の中にある望みを理解し、来訪者の心に響く小説を見つけ出す。

    補足:一人目の相談者は読書感想文に課題図書を選びたくない小学六年生の女の子。



 コンセプトには詩乃がこの小説の中で何をするのかが過不足なく書かれている。小説を通じた詩乃と来館者の心の交流だな。少し抽象的なコンセプトだが『補足』により具体化されている。なるほど、この補足である相談者を変えることで、いくらでも次の話が作れるな。こういう階層化はアリスの論理的思考能力の面目躍如だ。


 ただ、そんなことはいい。この一人目の相談者、例の女の子が素晴らしい。


「結局読書感想文のために本を探しに来た女の子にしたんだな」


 俺は念を押すように聞いた。アリスは一瞬びくりと震えた後、小さな口を開く。


「はい。読書感想文は先生に却下されたのですが、迅速に物語を進めるために必要だと思いました」

「すごくいいな」

「えっ!? あの、それはいったいどういう意味なのでしょうか」

「すごくいいって意味だ。この女の子のこと詳しく聞かせてくれ」


 俺が一度却下したのに敢てというのがますますいい。こういうのを待ってたんだよ。


「分かりました。あの……この女の子は残念なことに小説が好きではないのです。最初課題図書を借りるためにやむなく詩乃の図書館に来たのです」

「小説が好きじゃないのに、宿題のために仕方なく小説を読む羽目になったと」

「はい。良くないことですが、この女の子は詩乃が解決する問題、なので」

「すごくいいぞ。それで?」


 恐る恐る説明するアリスに畳みかける。


「図書館の玄関とカウンターの間には、新しく納入された書籍が提示されているコーナーがあります。そこに課題図書もおかれているのですが、その紹介文ポップは詩乃の書いたものだったのです。詩乃はポップで課題図書を高評価していたのですが、女の子には課題図書が面白いと感じられなかったのです。それを詩乃のせいにするのはとても非合理的なのですが、まだ小学生なので……」


 アリスは戸惑うが、すぐに分かりやすい説明をする。そう来たか。舞台と詩乃がちゃんとつながりを持っているのもいいな。


「詩乃としては女の子の不満にこたえる形で別の小説を紹介するわけだ」

「はい。読書感想文には自由課題もあります。詩乃は多くの小説を読んでいます。いろいろな選択肢を提示できるはずです。ただ、詩乃は同時に人の心の機微を捉えるのが苦手なので、最初は選択に失敗するのです。良くないことなのですが」

「とてもいい良くないことだな。それでどんな失敗をする?」

「…………? はい、最初は見当違いな小説……例えば詩乃が好んでいる歴史小説を勧めるなどということが考えられます」

「なるほど、それでこれも面白くなかったと女の子に文句を言われるわけだ」

「はい。詩乃はその不満に対応する形で、次の小説を勧めます」

「それを繰り返すうちに、女の子が本当に読みたい小説を探していく」

「はい。詩乃はこの女の子という課題をクリアすることで、自分が来館者に小説を勧めるやり方が独りよがりであることに気が付き。次の来訪者に面白い小説を勧めるためにより適切な方法を取れるように成長していきます」

「なるほど。………………んっ、ええっと、つまりこの女の子は序盤だけ?」


 俺は首を傾げた。物語のクライマックスはてっきり女の子の読書感想文だと思っていたのだ。


「はい。序盤のキャラクターです。役割を果たしたら、なるべく早く退場した方がいいと思います。乗り越えるべき障害ですから。あくまでモデルケースです」


 確かにこの小説の中心は主人公の詩乃の成長だろう。序盤で詩乃がやることを短く一回転させておくのは、構成としては悪くない。ただ、この女の子は重要なキャラクターに思える。小説が好きじゃない、課題図書ではなく自由図書を選ぼうとする。対照的なこの女の子がいることで、詩乃の魅力がより引き出されそうなポテンシャルを感じる。


 それこそ『毒と薬の』真理亜がトリックすらひっくり返してしまったように。


「ええっとだな。この…………。いや、今はいい」


 危なかった。教えてはいけないことを教えるところだった。この女の子のポテンシャルはアリス自らが書いていく中で明らかにするべきだ。


 いま考えるべきは、アリスの企画の最後の、そして一番肝心な項目だ。


――――――――――――――――


『テーマ』

 小説の面白さは小説と読者の心の間に生まれる。


――――――――――――――――


 その一文に衝撃を受けた。

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