第7話 二つの授業 Ⅲ(2/2)

 咲季を旅館に送った後、俺はビジネスホテルにもどった。急いでweb会議ソフトにログインを済ませる。アリスは既に画面の中にいた。遅刻したかと思って時間を確認すると五秒前、危なかった。


「よしじゃあ授業を始めるぞ。早速だがコンセプトについてどう考えた?」


 俺の質問に、液晶の中のアリスの表情がこわばった。


「もしかして思いつかなかったか」


 アリスは首を左右に振りながら「申し訳ありません」といった。表情から言葉できなかったの方だとわかった。ここまで順調だったからな、少しは詰まってくれないと教師役の存在意義がない。


 とはいえアリスの場合は、こういう時は下手に慰めるよりつぎのステップを提示した方がいい。


「コンセプトのどこで詰まっているのか言葉に出来るか?」

――はい。コンセプトは小説そのものの概要です。ですが実際に小説が存在しない状態では概要が抽出できないのです……――

「なるほど」


 誤解を恐れずに言えば、テーマは作者の中にあるが、コンセプトは小説に属する。そういう意味では客観視できるとも言えるが、定義を厳密にとらえていればこそのつまずきか。


「『毒と薬』の真理亜の応用で考えてみてくれ。アリスは今司書である詩乃として海辺の町の図書館の中にいる。ここまではいいか?」


 俺はコンピュータ画面上の二つの企画要素をカーソルで示した。


――大丈夫です。その二つについては頭の中に入っています――

「詩乃はその図書館の中で今何をしている?」

――…………詩乃は新しく入荷した書籍を確認しています。図書館は定期的に新しい書籍を購入しますから、データを更新しておかなければなりません――


 アリスは迷いなく答えた。リアルすぎるくらいのリアリティーだ。頭に入っているというのは伊達じゃない。まあ、小説としては……だが。


「詩乃が新しい本の確認をしているときに、カウンターの方から声がかかった。来館者が司書を呼んでいるんだ」

――詩乃は本を置いて、すぐにカウンターに向かいます――

「それはどんな来館者で、何を求めている?」

――…………申し訳ありません。私にはわかりません――


 主人公も舞台もイメージできているが、受け身の姿勢で人間のアクションを待っていると。来館者を俺が決めたら問題は解決する。だが、それでは『毒と薬』と同じだ。今回は主役だけでなくほかのキャラクターもアリスが決めなくてはいけない。


 そうしないと小説世界の中のアリスであり、アリスの世界しょうせつにはならない。


 んっ? 待てよ。毒と薬の経験を活かすというのなら、あの手があるかも。俺は昨日の授業の後思いついたプロットを思い出した。


「特別にヒントを出そう。図書館に来たのは六十歳近い男だ。この男は引退まじかの刑事だ。そして詩乃に過去に起こったある事件の資料を探していると切り出した」


 ヒントという言葉に希望の光を灯した瞳が、言葉をつづけると曇っていく。


――図書館には過去の新聞や、地域の発行物が保存されています。ですが…………この小説では人間が死ぬことはないと思うのです……――


 アリスは小さく首を振って、控えめに否定した。刑事と司書がコンビを組むミステリ小説を連想したらしい。期待通りの理解力だ。


「それでいい」

――それでいい!? それはどういうことでしょうか――

「詩乃は刑事事件に関わる資料の調査をしたくないと思った。じゃあ、逆にどんな仕事がしたい?」

――…………来訪者が面白いと感じる小説を紹介することです。詩乃は小説知識で来訪者に貢献したいのです――

「そこから詩乃のもとに来る人間を逆算で考えるんだ。その人間がどんな目的でどんな小説を探しているか」

――分かりました。やってみます――


 アリスは考え始める。俺は黙ってそれを見守る。


――私を呼んだのは小学校高学年の女の子でした。夏休みの宿題である読書感想文のため課題図書を探しに来たのです――


 絶対に殺人事件が起こらない設定にしたな。まあそれはいいんだが、問題は“課題”の方だ。


「女の子の目的は読書感想文なのか? 確かに自然だ。でも、詩乃にとっては挑戦しがいのある課題になるだろうか?」

――読書感想文は、女の子の課題であって…………。そうですね、それを持ち込まれた詩乃の課題でもあるのですね。……課題図書の中から選ぶ形式の読書感想文は、詩乃の持つ知識が必ずしも必要とされないかもしれません――


 よしよし、調子が出てきたな。


「もう一つ重要なことがある。その課題で詩乃の短所が活きるかだ」

――短所が活きないのは良いことです――

「小説、特に主人公にとって長所と短所は同じくらい重要だと教えたはずだ。後ろ姿も描くことで、キャラクターが小説世界で立体的な存在になる。もしも真理亜が芽衣子への悪感情を持っていなかったら、もっと平坦なキャラクターになっていただろう」

――…………そう言えば、先生が先ほど出された例は、詩乃の情報調査能力や記憶力という長所と、人の心の機微に弱いという欠点の両面がリンクする課題です――

「そうだ。別に意地悪のためにしたわけじゃないんだぞ」

――はい。先生の意地悪は流石です。…………つまり、女の子が図書館に来た理由は、課題図書のような明確なものではなく、より個人的な心情に源を発する方が、詩乃の課題として適切ということです――


 アリスははっとしたように顔を上げた。意地悪に対する解釈が相変わらず独特だが、まあ逆に言えば調子が出てきたな。


「その理解でいい。アリスに理解しやすい形にコンセプトを言い換えれば『詩乃がどんな問題をどうやって解決するか』だ。毒と薬のような本格ミステリにおけるトリックとその解決と同じなんだ。だが一般的な小説の場合、その問題解決自体が詩乃と詩乃が見ている世界を読者に伝えるための手段になる」

――世界…………つまりそれがコンセプトとテーマの関係ということでしょうか――

「そういうことだ。なんだわかってきたじゃないか」

――はい。先生のおかげで少しずつわかってきました――


 アリスはコクコクと頷いた。だが、すぐにその表情が厳しくなる。


――ですがとても難しい課題だということがますます明確になりました。詩乃だけでなく、来訪者の女の子のことも考慮しなくてはいけないとなると……――


 人間の小説家もキャラクターが複数になると簡単にパンクする。主人公は両面を書くが、重要じゃないキャラクターは正面しか書かなかったりする。中には正面じゃなくて裏面の方が重要なキャラクターもいて例えば鳴滝のような……、って奴のことは今はいい。


 肝心の詩乃はいい感じなんだ。あと一歩という気はする。ただ、その一歩は何が何でもアリスの足で踏みだしてもらわないといけない。それがアリスの中にある、アリスのテーマを引き出すことに繋がるはずだ。その為に必要なのは、技術的なアドバイスではない。


「今日はここまでにしておいた方が良さそうだ」

――!? しかし先生、まだ時間が……――

「コンセプトに関しては俺が教えられることは教え終わった。ここからは、アリスが一人で考える時間が大事だ」

――私一人で……――

「ああ、アリスは俺が言ったことはちゃんと理解できている。そこは自信を持っていい。だからこそ、アリス自身の答えに集中してほしいんだ」


 俺はアリスの眼を見て言った。やっぱりカメラだと視線を合わせにくい。あともっといい画質のPCが欲しいな。


――分かりました。先生のご指導に従います――

「じゃあ授業は終わりだ。ああ、でも流石に時間が余りすぎだな。アリスの方から何か聞きたいことがあれば言ってくれ。何でもいいぞ」


 ここ数日は細切れのリモート授業だ、こういった意思疎通もあった方がいいだろう。


――なんでも、それは小説のことじゃなくてもいいのでしょうか――

「ああ、何でもいいぞ。聞いてくれ」


 アリスは少しだけこちらに身を乗り出す。


――では一つ気になっていることがあるのです。先生はいつ…………いえ先生の山梨でのお仕事のほうはどうなっていますか? 早瀬さんは見つかったと聞きましたが――

「咲季? ああ、ええっと……一日目は昇仙峡ってところに行って、二日目はぶどうの里で、今日は美術館で絵画コンクールの作品を見たかな」


 予想外の質問に虚を突かれた俺は「今日は朝起きて、歯を磨いてから、朝食を食べた」みたいな答えを返した。小説の台詞なら確実に没だ。図書館司書が新入荷した本をチェックしてる方がずっとましだ。


「…………先生、それは一般的にデート……いえ、観光と呼ばれる行動なのでしょうか?」


 画面の向こうのアリスは意外なことを聞いたように目を大きく瞬かせた。気のせいか声のトーンが下がったように聞こえる。スピーカーが古いから低音域の再現性が良くないのかな。クリエーター用と違って、俺は文章が書ければいいってやつだから。


 っていうか今のだとアリスを放り出して遊びに行ったみたいだ。いや、この三日ちゃんと毎日授業をしてるんだけど。


「…………ちなみに九重さんからはどういう風に聞いているんだ?」

――はい。早瀬さんは作家としてとても深刻な状況で、先生は同じ小説家として心配するのだと。そう聞きました――


 思ったよりも重い感じに説明されている。九重女史、編集者時代に追い詰められた作家の担当をしたのだろうか。


「まあそうだな。うん、実は咲季のやつ『お品書き』の次の巻の企画に詰まってるみたいなんだ。今言ったのは一種のリハビリというか、気晴らしのために必要だと思ったんだ」

――つまり、早瀬さんも先生に小説の企画の授業を受けているのですか――


 俺が意図を説明すると、アリスはこれ以上ないほど大きく目を見張った。


「いや、ちょっと違うぞ。俺は何も教えていない。なんというか……咲季自身に自分の小説を思い出してほしいというか」

――…………何も教えていない。早瀬さん自身の小説。それはいつも先生が私に言っていることです。つまり先生は早瀬さんに意地悪をしているのです。直接……――


 ここにきて意地悪の新用法が生まれた? というか改めて聞くと人聞きが悪すぎる。弱っている後輩の女性作家に意地悪、小説の悪役じゃないか。


――つまり先生はこのままずっと東京に戻ってこない……――

「んっ? いやそろそろ東京に帰るつもりだけど」

――………………そうなのですか?――


 深刻な表情で非論理的な結論にいたったアリスを俺は止めた。アリスは唖然とした顔になった。


――ほんとう、ですか?――

「あ、ああ、多分明後日には東京にもどってる。リモート授業は明日が最後かな」


 実際これ以上宿泊費がかさむと怖い、編集者が。後は咲季次第で綾野氏の期待しているような早期的解決は無理だろうからな。


――理解しました。私は明日までまたコンセプトを頑張ります。先生が戻ってきた時にしっかり学習を進められるように――

「あ、ああ。うん、期待しているぞ」


 アリスは平静を取り戻し、論理的な結論に達してくれた。表情が前向きになったようで良かった。


 授業を小刻みにするというやり方自体は上手く行っていると思うが、やはりリモートだと意志疎通が難しいところがあるな。


 ノートパソコンを閉じて席を立ち、窓を開けた、窓枠から水滴が落ちて驚く。通り雨でも来たのだろうか。雲の間に見える綺麗な空を見て俺はそんなことを思った。

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