第5話 二つの授業 Ⅰ
「かわいい女の子とドライブするのが仕事と言い張れるんですから、いい商売ですね先輩」
「いってろ。っていうか仕事じゃないって言ってるだろ。観光だ」
助手席から咲季が言った。生意気な台詞とは裏腹に、口調はいつもの元気がなく、窓縁に預けた腕に乗る顔はこちらを見ない。唯一肯定してやってもいい“かわいい”顔は俺には見えないが。
ちなみに俺の返事がそっけないのはレンタカーの運転に集中しているためだ。東京では車を使う機会なんてほとんどなかった。安全運転に徹するしかないので、会話を盛り上げる余裕がない。
まあ仕事じゃないというのは嘘じゃない。集談館から出ているのは往復の交通費+一泊分の宿泊代だけだ。このレンタカーは自腹。アリスの授業で咲季には助けてもらったからと、そう納得させている。だからといって必要経費にはできないが。
…………
「水が落ちていますね、先輩」
「落差三十メートルらしい。地殻変動で出来たらしいぞ」
東京ではまず見られない光景を前に、作家二人の表現は壊滅的に貧しかった。これなら“言葉を失う”方がいい。
ここは甲府盆地を南から北に貫通してついた山中の渓谷だ。ちょうど咲季の宿から正反対の位置。
目の前で水しぶきを上げるのは
“日本一の渓谷美 清流と水晶の秘境”
らしい。あざとさが強めだが、俺たちの台詞よりはだいぶましだな。有名すぎる富士山よりも秘境っぽいのは確かだ。
「で、これ見て何の意味があるんですか」
「ここに来たのはくじ引きの結果だ。見てただろ」
「…………あんまり人いませんし、人気ないんじゃないですか。ハズレですね」
咲季の言う通り駐車場からここまでほとんど人に会わなかった。紅葉の名所でもあるらしいが、周囲の木々は既に葉を落としている。あと今更気が付いたが“滝”というのが縁起でもない。周囲の光景が殺風景なせいもあって、せっかくの水“
とりあえずといった感じで携帯のシャッターを押す咲季。なるほど、この調子でSNSに写真を放り込んだというわけか。世代の違いを感じながら、俺は次のスポットに向かった。
境内は木枯らしに枯葉が舞うさみしい光景だ。観光客は四組ほど。一組は外国人か?
「やっぱりあんまり人いないですね」
「…………春は桜がきれいらしいぞ」
「…………冬ですからね」
ちなみにこの神社は金櫻神社という名前だ。桜にちなんだ何かがあるんだろう。
ちなみに小説に書くなら社名は
結局咲季は携帯のシャッターを押しもしなかった。
「二時間近く歩いてこれって収穫なくないですか」
「季節が良くないからな」
紅葉は終わり雪が降る前の絶妙に何もない季節。それを選んだのは文句を言っている当人だけど。ただ、こんな地味な景色であっても色彩豊かに描いて見せるだろう、本来のお前なら。
なんてことはもちろん言わない。俺が言っても意味がないからだ。まあ、一日で片付く仕事だなんて最初から思ってない。
「で次はどこに付き合わされるんですか?」
「いや、今日はここまでだ。夜は仕事の予定があってな。夕方にはホテルにもどらないといけない。観光の続きは明日だな」
俺の言葉に、咲季は気が付いたように暗くなり始めた周囲を見た。実は山の間に夕日が沈む光景はなかなか壮観だったんだが反応はなかった。
「仕事って…………ここは東京じゃないでしょ」
「昨今はやりのリモートワークってやつだ」
俺は空を見ながら言った。衛星ネットワークを通じてAIとやり取りなんて俺が生まれたころはSFだったんだよな。いまや使えないと遅れてると言われる。
◇ ◇ ◇
「今回は急に予定を変えてくれて助かった、アリス」
――九重さんから先生のご都合は聞いています。私は理解しています――
咲季を旅館に送った後、俺は駅近くのビジネスホテルにチェックインした。シングルの部屋は、老舗旅館はもちろん沖岳の高級ビジネスホテルと比べるべくもない。狭い机と硬い椅子はここが泊まるためだけの場所だといっている。朝食付きなのは綾野氏の配慮とでもいうべきか。
狭い机の上でノートパソコンを開いた俺は、九重さんに指定されたweb会議ソフトを起動した。
21:00。時間どおりに黒髪の美しい少女が映った。バーチャルルームの等身大のアリスと比べて、13.3インチの狭い画面バストアップのアリスは小さく、スピーカー越しの声は少しくぐもったように聞こえるのは残念だ。
このパソコンは五年前のだから仕方がない。バッテリーも劣化していてコンセントありの状況じゃないとろくに動かないくらいだ。ただ、こんなにノイズが入っただろうか。出る前に動作確認したときは大丈夫だったんだが……。
スピーカーのアイコンをクリックしようとして気が付いた。これ雨音じゃないか?
――東京は雨です。甲府は晴れの様ですね。きっと星が綺麗に見えるのでしょう――
アリスが天気図を出して言った。南から東京湾に向かって雨雲が伸びている。だからといってなぜ外の音をバーチャルルームのBGMにしているのだろうか?
まさか…………。いや考えすぎだ。ただでさえ時間を都合してもらっているんだ、早く授業に取り掛かろう。
「宿題で主人公を決めるということになっていたけど、アリスの答えは出たか?」
――はい。主人公の職業については決めることが出来ました。司書にしようと思っています――
「司書っていうと、図書館なんかの司書か」
――はい。問題があるでしょうか――
「いや、なるほどと思った」
俺は内心唸った。コミュニケーションを通じて人間に情報を与えるViCにとって親和性があり、しかもアリスの専門である小説とも関係する。考えれば考えるほど絶妙な選択だ。宿題の答えとしては満点だ。
「いいと思う。他に決まっていることは?」
――はい。性別は女性、二十五歳です。小説が好きで、それを人間に広めるために司書を志しました――
アリスははきはきと設定を口にする。俺はそのたびに頷いた。
「いいと思う。ただ内面、つまり性格と目的についてはもう少し詳しく知りたい」
――はい。これは問題です。人間の性格というものはきわめて複雑な条件の中にあります――
「ああ、だからこそ単純に、でも単純すぎないようにする。定番としては二面性、あるいは原則と例外の設定だな。そうだな、一人のキャラクターを前後のカメラで映すイメージだ」
――いささか抽象的に思えます。実例を挙げて頂けると助かります――
「例えば、正面から見たら笑顔を浮かべている人間が、背後のカメラでは後ろ手にナイフを持っているようなイメージと言えばわかるか?」
――理解はできます。……『毒と薬』の真理亜を想起してしまいますが――
「まあ、まさにそんな感じだ」
これまでは共通知識として歴史上の人物を例にしてきたが、アリスが実際に経験しているこちらの方がいい。というか、アリスが自分だけで真理亜を生み出せれば、俺の仕事は終わるんじゃないかと思う。
「真理亜の時も表からの像に関しては比較的簡単に出てきただろ。優秀で、礼儀正しく、まじめな女性だ。友人の死を悼んでいるようにしか見えない」
――はい、そのはずだったんです――
「ま、まあ、ミステリの特に信頼できない語り手なんて一番極端な例だな。ただ二面性を捉えることを理解してもらえればいい」
――分かりました。とてもよく理解できます――
「うん。一般的には長所と欠点だ。その司書の女性の長所と欠点を考えたらどうなる?」
――長所としては、小説に関する膨大な知識、来館者に対する親切な態度です――
――短所としては、来館者の要望を深く認識することが苦手――
――これでどうでしょうか――
アリスは少し考えて答えを出した。俺は沈黙した。
「…………」
――あの先生。間違っているのでしょうか――
アリスは不安そうな顔になる。もちろん逆だ。アリスの設定は完璧だった。大量の情報を知っていて、かつそれを求める人間に対して提供する使命感を持つ一方、情報を求める人間が深いところで本当は何を求めているのかを掴みきれない。
これだけで物語が何パターンも浮かぶ。あまりにもセオリー通りであるが、作り物めいた感じはない。アリス本人をある程度反映しているからだろう。
俺は具体的な注文は一切しないようにした。あくまで抽象的な構造を示したのみ、それも本当に基本的なことだけだ。改めてアリスの理解力の優秀さを認識する。
「そうだ、名前はどうするんだ?」
――
「いい名前だな。主人公はこれで決まりでいいんじゃないか」
――ありがとうございます――
アリスは本当にうれしそうに微笑んだ。適度に特徴的で、それでいて柔らかい。悪くない。さらに深読みすると……。
「実は俺も安心したよ。正直言うと主人公が一番大変だろうと思っていたんだ」
――評価いただいてうれしいです――
「よし、次は舞台だ。この詩乃がどんな舞台で活動するかを考えるんだ」
――図書館であることは決まっています――
「ああ、でももうちょっと具体的にどんな図書館か考えてみてくれ。それが明日までの宿題だな」
――分かりました。……そうですね。もう時間ですね――
アリスはそう言って、口をつぐんだ。
「えっと、何か気になっていることがあるなら聞いてくれ。アリスのリソースが大丈夫ならだけど」
――いいのですか。今日は一時間だけという話でしたし。先生はこの後ご予定があるのでは――
「いや、一人でホテルで退屈なくらいだ」
――ありがとうございます。あの、舞台についていくつか確認したいのです――
アリスはぱっと明るい顔になった。直接見れないのが残念なくらいのいい表情だ。
――この図書館は詩乃の内面を現すことになるのでしょうか――
「なるほど、シオンや梨園社長のようにだな。そうだな、やり方次第だけど。この企画はテーマを担うのは主に主人公になるんじゃないか。だから“詩乃の図書館”って感じで関係を少し加える程度でいいと思う」
―なるほど、分かりました。では次の質問ですが……――
アリスはそのあと、舞台を決めるうえでの要素をいくつか挙げて、俺はそれに頷いた。
…………
「うん、天気とかは実際に書くときでいい。二十分くらいたってしまったな。九重さんからそろそろ切ってくれってメッセージが来てる」
――分かりました。今日はありがとうございました。明日もまたよろしくお願いします――
「ああ、よろしく」
礼儀正しく頭を下げた後、アリスが画面から消えた。
俺はノートPCを閉じて立ち上がる。硬い椅子で凝り固まった背筋を伸ばしながら窓に向かう。星空が綺麗だ。そう言えば最後の方は雨音が消えていた、東京も晴れたのだろうか。まあ東京の場合、晴れていてもこんなに星は見えないか。
リモート授業ということでどうなるかと思ったが、思った以上に順調だった。アリスの主人公は完璧に近い。真理亜の経験がやはり良かったのだろう。
今からでもキーボードをたたけそうな
例えば、詩乃の務める図書館に定年間近の老刑事が尋ねてくる。刑事は迷宮入りした事件の資料を求める。詩乃は老刑事が求める資料を探そうとするが、刑事事件にまつわる人間の極限的な心理に阻まれて苦戦する。そして、長年人間の生の愛憎劇を見続けてきた老刑事とのやり取り。ついに二人は事件の真相にたどり着く。
…………ミステリにしてしまった。これじゃアリスに意地悪な先生だといわれるな。
とにかくアリスは本当に優秀な生徒だ。いや、どんどん優秀になっている。本人はまだ不安みたいだけど、意外とすんなり企画は完成してしまうかもしれない。
となると問題はもう一人の問題児だな。さて、明日はどこに行くか。俺は、咲季の部屋から持ってきたパンフレットを机の上に広げた。一日目は自然主体にしたからな。二日目は……。
************
昇仙峡キャッチコピー参照元
https://www.shosenkyo-kankoukyokai.com/
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます