第4話 逃亡者
「先輩!! ………………ああ、これこそまさしく運命ので――」
「そんなわけあるか。これは立派な仕事だ」
俺は後輩作家の台詞をぶった切る。そういう小説ヒロインっぽい台詞は目をそらしながら言うんじゃない。
三角屋根のしゃれた駅舎を出ると、澄んだ冬の空気の向こうに日本最高峰が迎えてくれる。後ろを振り返れば富士五湖の一つである河口湖の湖面が光るのが見える。東京から三時間で、広大な自然に抱かれると、日本が山国だということを痛感するのである。
私は清冽な空気を大きく吸い込んで…………。
旅小説みたいな感慨を捨て、冷静な目で周囲の状況を把握する。山梨県南部に広がるこの広い自然の光景は、まごうことなく観光地だ。富士山を中心として、件の青木ヶ原樹海の原生林と周囲に点在する湖も含めて“富士山ー信仰の対象と芸術の源泉”という名前で世界遺産に登録されている。
取材費名目で交通費が出るからということで結局来てしまった。携帯の着信を確認した。綾野氏から「SNSにまた投稿がありました」という連絡だ。旅小説というよりミステリの探偵の気分でメッセージを読む。
なるほど近くにある信玄餅が有名な店の写真か。……やっぱただの取材では?
駅から少し歩くと写真の店が現れた。侵入か周囲の探索かを迷った時、一人の女性と目が合った。こちらに向かって道路を歩くちゃんちゃんこの女性だ。栗色のボブカットの彼女は白いビニール袋を手に提げていた。
逃亡者は信じられないものを見たという顔で硬直した。そして小説ヒロインのようなセリフを吐いたわけだ。
「はあ。つまりAIにたぶらかされて人類を裏切っただけでは飽き足らず、今度は編集者の手先になったと。先輩も随分と落ちたものですね」
感動の出会いシーンを演出しようとして失敗した咲季は冷たい声に切り替えた。革命軍から体制に転んだ裏切り者を見る目だ。さっきからジャンルがバラバラすぎて描写に統一感がなくてつらい。
まあ、原稿が書けていない作家が編集者の手の者につかまればこんなところか。書けなくなるまで一度も締め切りを破ったことがないから知らないけど。
「せめて担当さんに連絡くらいしてやれ。場所が場所だけに心配していたぞ」
「えっ。場所?」
咲季はきょろきょろと周囲を見てから首を傾げた。青木ヶ原樹海のことを知らない様子。まあ、そうだろうなとは思っていたが。
「連絡しても原稿は進みません。こうやって観光地で遊んでいても仕事と言い張れるのが私らの特権というか、そんな感じです」
「いや、それが許されるのはお前が売れっ子だからで、それが許されないのもお前が……って、どこに行くんだ」
「どこって、寒いから宿に戻ります。先輩も来ますか? いいところですよ」
咲季はくるっと背を向けた。どこまでも自由な奴だ。まあ、減らず口が出てくるならまだ大丈夫か。なんやかんやで少しほっとした。俺は綾野氏に「発見した」と短く返信してから、彼女の後に続く。
咲季自身から担当編集に連絡をさせれば仕事は終わりでいいだろう。今日中に東京にもどれるかもしれない。九重女史に無理を言って用意してもらった会議ソフトも無駄になるかもな。
咲季に連れてこられたのは趣ある部屋だった。庭に面した一室で、ふすまの向こうには奇石を配した池が見える。一人で泊るには広い。一泊いくらだろうか? 高級とはいえビジネスホテルを使っていた沖岳幸基よりも文豪っぽいぞ。
ちなみにちゃんちゃんこを脱いだ咲季は紺のジャージ姿だ。老舗旅館に対する冒涜的な格好だ。
「私はちゃんと仕事をしているんですよ。ここに泊っているのだって小説の取材ですから」
咲季はちゃぶ台のノートPCをパタンと閉じるといった。
「さっき仲居の人が、良かった女の一人旅じゃなかったんだ、みたいな眼で俺を見たけどな」
「…………取材なんて言ったら宿の人が意識しますからね。特に私みたいな売れっ子の場合。自然体の雰囲気が大事なんですよ」
言ってることはプロの作家、それも売れっ子のだな。まあ実際こいつはそうなんだが……。
俺は減らず口に反論しない。もうプロの小説家なのか怪しく、売れっ子だったことのないからではない。部屋の様子を見たからだ。
「そうだ、お菓子食べます?」
咲季はビニール袋をごそごそと漁る。出てきたのはプリン。今やぜいたく品のコンビニスイーツだ。座卓の漆塗りの器には地元銘菓が盛られているが、目もくれない。さっきちらっと見えたPC画面は真っ白だった。そして何よりも部屋の畳に無造作に散らばるパンフレットの数々。
そのちぐはぐが、これは思ったよりも深刻な状態なんじゃないか、と俺に告げる。
「確かにいい部屋だな。ちなみに何泊しているんだ?」
「今日で二……四泊……くらいですかね。いいところですよ。ええっと、そう昨日の夕食は和牛の溶岩焼きだったんですよ。やっぱり溶岩だけあって一味も二味も違うというか。遠赤外線がすごいんです」
語彙力ゼロの描写をする咲季。
「近くの観光地とか、どうだった?」
「…………一日目はなんとかってお寺に行きましたね。上杉謙信とかって由来がどうの、だったかな。知ってますか歴史って結構人気のジャンルなんですよ」
つまりろくに頭に残っていないと。多分武田信玄の説明の中にライバルとして出てきた上杉謙信だけが残ったんだろう。あの二人の領地を入れ替えたら面白い歴史小説に……ならないな多分。越後の虎と甲斐の竜ってどうもゴロが悪い。
武田信玄を虎に、上杉謙信を竜に例えた適切さに今更気が付く。今はどうでもいい、ついでに咲季の言う人気の歴史が武田信玄と上杉謙信の愛憎劇じゃないかという、そんな疑惑もだ。
俺の知る限り『お品書き』の主人公の朝子は日本各地を旅するが、目玉は各地域の名物料理だ。自然の光景はたくさん出てくるが、歴史なんてフレーバーにも使っていない。あくまで“現在”のその土地の魅力にこだわった話作り。それが咲季の作風だ。
もちろん新機軸を打ち出すつもりなら自由だ。だがそれならコンビニスイーツじゃなくて信玄餅を買うべきじゃないか。仮に信玄餅を越後銘菓だと勘違いしていても文句はいわない。その手の間違いは校正さんが見逃さずにチェックしてくれるからな。
「残りの三日は?」
「…………」
咲季は黙りこくった。誤魔化すようにプリンのふたを開けて、プラスティックのスプーンを差し込む。こんな時でも食べる姿勢だけは綺麗だ。
「教えることはないんじゃなかったんですか?」
食べ終わったプリンの器をちゃぶ台に置いて、咲季が言った。
むしろ俺が下手に教えたことも要因じゃないのか、を飲み込む。才能ない作家の勝手な推測なんてお節介もいいところだ。だが分かっていてもなお、あの分厚いブロットが頭をちらつくのが止められない。
『お品書き』の巻が進むごとに段々と“作られる”ようになったストーリー。自然の小川が少しずつコンクリートで護岸されていくような、そのいびつさを俺は確かに感じていた。だが問題にまでは至っていなかったと思っていた。少なくとも作品の中心は咲季の
だけど、もしも何らかのプレッシャー、例えばドラマ化とか、があったとしたら? そしてあの本格ミステリコンペで自分とは正反対の作風に影響を受けて、それが答えだと勘違いしたとしたら?
観光地に来て宿に籠ったままコンビニ菓子を食べてパンフレットを眺めている作家、出来すぎの心情描写だ。
「勝手に片づけないで下さいよ。こう見えてもちゃんと意味を持って並べてるんですから」
咲季の言葉を無視して俺は畳に散らばっているパンフレットを一つ一つ回収した。それをシャッフルする。
「どうしようっていうんですか。…………また書き方を教えてくれるんです?」
「わざわざ山梨まで来て事態を悪化させてどうす…………。いや、もう仕事のことはいい」
俺はシャッフルした紙束からひとつを抜き取った。そして、どこかすがるような眼になっていた後輩作家に突き出す。
「山梨観光にいく」
今はとにかく咲季自身に自分のスタイルを思い出させることだ。その為に必要なのは写真と文章じゃない。
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