第2話 企画開始

「いよいよ『アリスの企画』を作っていくわけだが、まずは企画の各要素を考える順番を決めていきたい」


 俺はバーチャルルームのホワイトボードに逆三角形を描く。


「小説の企画は『テーマ』を除けば『主要キャラクター』『舞台』『コンセプト』からなる。そしてこの各要素は循環して、相互依存的だ。物理学的に言えば三体問題だな」


 俺は逆三角形の逆頂点に『コンセプト』左右に『主要キャラクター』と『舞台』を配し、その内部にぐるっと矢印を回した。


「三体問題は物理学的に解決不可能です」

「そうだ。だから実際には一つ一つ順番に考えていくしかないというわけだ。どういう順番がいいと思う?」


 水を向けると、アリスは小さく小首をかしげて思考した。


「今回の授業の目的は企画を考えることで私の中のテーマを探し出すことでした。テーマは除かれますから『主要キャラクター』と『舞台設定』とその二つを繋ぐ『コンセプト』の三つを定義する必要がありますね。…………この三角形が決まれば、おのずと隠れたもう一つの三角形の頂点、つまりテーマが定まる、ということですね」


 なんと、アリスは今の話から『コンセプト』の裏返しが『テーマ』という幾何学的な発見をして見せた。学習した概念構造を新しい問題に適応して見せる、以前梨園社長を驚かせた、移転学習といわれる能力だ。


「つまり、最初はコンセプトを決めるか?」

「いえ、コンセプトを成り立たせるのは『主要キャラクター』と『舞台設定』の二つです。したがって、この二つの主要要素を決めることでコンセプトを導き出すという順番が適切だと思います」


 アリスはそこまで言って、考える仕草になる。アリスの瞳の虹彩の光が回転する。


「私の理解している多くの小説のパターンから分析するに『主要キャラクター』の方が重要でしょうか」

「そうだな、主要キャラクター、特に主人公から考えるのは定番だ」


 前回のゲームでは舞台がテーマを担っていたが、あれは主人公を外から来たプレイヤーが務めるというゲームの性質が大きい。もちろん小説にもハードSF の思考実験のようなのはあるが、やはり例外というべきだろう。


 何より、これはアリスが出来ることをすでに証明している。アリスは納得していないが。


「しかし、選択肢は無限にある選択肢の中で、主人公をどう定義すればいいのでしょうか。技術的なアドバイスをいただけないでしょうか」

「一般的には自分がよく知っていること、職業なんかをとっかかりにすることが多いな」


 俺は慎重に言葉を選ぶ。


「私がよく知っている職業。チャンネル編集者とゲーム開発者、そして小説家です。ちなみに女子大生は職業ではないと認識しています」


 女子大生まりあはともかく、自分の職業であるViCが出てこなかったな……。自分そのままというのはベストとは言えないからOKだ。例えば沖岳は銀行員というよりも、銀行員であることで経験した様々な社会問題を主題にしている。まあ御大の場合は主題というよりも、それこそ世界だが。ちなみに咲季にいたっては大学在学中にデビューしたので職業体験がない。


 大抵の職業よりも女子大生作家なんて特徴的だけど。もっとも創作の世界には女子高生作家がごまんといるんだが。でも小説家はやめておいた方がいい気がする。一番近くのサンプルがろくなもんじゃない。ちなみに普通の小説家は「小説の企画の各要素は物理学的に言えば三体問題なんだ」とか言わない。まあ『三体』という世界的にヒットしたSF小説があるんだけど。


 閑話休題。


「そうだな、例えば確率の高い職業そのものじゃなくて、有力な候補から最も関連する点みたいな選び方をしたらどうなる」

要素間ネットワークの重心のようなものでしょうか。この三つから関連する相互関係グラフを作成し、私のこれまでの経験や学習を元にパラメータの重みを調整して、考えてみます」

「まった、それはそれでいいんだが。最終的に決めるのはアリスにとっての主人公だからな。それだけは忘れないでくれ」

「…………もう少し詳しくお願いします」


 計算を始めようとしたアリスが停止した。


「例えばだ。アリスが今しようとした探索から『動画編集者』が選ばれたとする。アリスが認識する動画編集者は九重さんか、あるいは動画編集者の統計的な平均だよな」

「はい。そうです」

「そうじゃなくてもしも自分が、あるいは自分の小説の主人公がかな、動画編集者をするならって考えるんだ」

「極めて困難なシミュレーションです。私には動画編集者の技能がありません」


 女子大生さつじんもしたことないよね、とは突っ込まない。実際アリスの認識では真理亜も殺してないしね。そもそも本格ミステリ作家は云々のあの定理テーゼが出てくる。


「動画編集が出来る必要はない。あくまでアリスならという視点で見た想像像だ。アリスの言葉を借りればシミュレーションだな。そうやってアリスが想定したたった一人の動画編集者は九重さんにならないはずだ」

「……理解しました。ですがその計算だとリソースの使用量と計算時間が大きくなりますね。…………少なくとも今回の時間内には不可能です」

「この後は九重さんとチャンネルの打ち合わせだったよな。じゃあ、主人公を考えることを次の授業までの課題にしておこう。宿題だ」

「それなら可能です。ですがステップ中に先生のフィードバックをいただけないです」

「なるほど。でもそれはない方がいい。今回はあくまでアリスが主体だ、一人で考えられるところまで、考えた方がいい。そうだな『毒と薬』の時のことを、真理亜を思い出してみてくれ。あの時はちゃんとやれ……出来ただろ」


 生徒の心情に配慮して単語を変えた。アリスに抵抗あるのは分かっていても例に使わざるを得ない。アリスが真理亜を演じることが出来たからこそ、この方法が成り立つといってもいいくらいだ。


「ですが、あの時は真理亜以外の要素は先生がすべて決めてくださいました」

「今回は舞台も含めてアリスが考えるという違いはある。でも真理亜には存在感があった。そういう意味で、俺はアリスの力を信じている。だからやれるところまでやってみて欲しいんだ」


 俺の言葉に、アリスは目を大きく見開いた。


「先生が私を信じている…………。分かりました。はい。先生のご期待に応えられるように頑張ります」


 アリスの表情が光を取り戻した。そして真剣な瞳が俺を見る。


「主人公について質問があるのなら聞いてくれ。まだ少し時間はある」

「いいえ、大丈夫です。先生のご指導は始まってしまえばいつも通りとても論理的でした。自分の前にある課題の正体がわかった気がします。ただ……」

「ただ?」

「真理亜は信じないでください」

「あっ、えっとだな、今のはあくまで例えというか……」

「はい、わかっています。今のは私の冗談です。先生」


 アリスはそう言って微笑んだ。アリスの冗談は久しぶりに聞いた気がする。どうやら調子が出てきたらしい。




 バーチャルルームのドアが開くと、すでに九重女史が立っていた。


「すいませんギリギリになってしまいました」

「いえ、最近は余裕を取っているのでそれは大丈夫なのですが……。あの少しだけお話いいでしょうか」


 九重女史は声を落として俺をドアの横に誘った。少し緊張しながら彼女に続いた。なんだ改まって。まさか、鳴滝が急遽帰ってきたとか言わないでくれよ。


「実は出版社の知り合いから頼まれたことがあって。お話すべきか少し迷ったのですが……。この後時間が取れるのなら、綾野さんという方に会っていただけないでしょうか。集談館の編集者です」

「集談館の編集者ですか? しかし、今の私ではおそらく……」


 「役に立たない」と言おうとした俺に九重女史は「実は綾野さんの担当しているのは……」と本題を続けた。


 俺は愕然とした。


 あいつ、最近かまってこないと思ったら。

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