第四章 二つの企画と二つの心

第1話 授業開始

 仕事場に向かうドアを見てふと思い浮かんだのは、最初に提示された契約とこれまでやってきた仕事の間に、このエレベータが必要なくらいの落差があるのではないかということだった。


 最初は沖岳幸基おおごしょを説得して、アリスを読者だと認めさせた。次は二つのAI企業の訴訟合戦に巻き込まれて本格ミステリコンペへ参加した。そして前回は有名オンラインゲームのシナリオの監修という名のバグフィックスだったか。


 …………やはりおかしい。


 俺は小説を教えるために雇われている。なぜ小説みたいなイベントばかりに巻き込まれている? 小説を書けないくせに小説の教師役なんてやっている俺への皮肉か?


 いやそうじゃない、これはすべて雇い主であるあの男のせいに違いない。


 これからも油断禁物という結論と同時に開いたエレベーターに乗り込んだ。その時「待ってください」という背後からの声がした。とっさにボタンを探すが、そんな旧時代の絡繰りがあるはずもなかった。液晶パネルに三角形を二つ組み合わせたマークを何とか見つけてタップした。ボタンでも反応するくらいの強さで。


 駆け込むように入ってきたのは髪の毛をまとめたスーツ姿の女性だ。ある意味で仕事を共有している女性だ。もちろん俺より偉い、元編集者というだけでも身分が違うのだ。


「九重さんが外で仕事とは珍しいですね」

「アリスのチャンネルで紹介した小説が映像化ということで、集談館まで行ってきました」


 集談館は大手出版社の一角だ。咲季の『お品書き』を出しているのもここだったよな。そう言えば『お品書き』ドラマもそろそろ放送じゃなかったか。こういう話を聞いていると自分以外の作家は全員売れっ子に見えてくる。もちろん生存バイアスだが、それで割り切れるような出来た人間は作家になったりしない。


 まあ、俺の場合はもっと深刻な悩みがあるから大丈夫だが。


「こんなぎりぎりになったのはそれだけじゃないんですけどね。そう言えば海野さんは早瀬……いえ失礼しました、こちらの話です」


 九重女史は途中で言葉を引っ込めた。咲季のドラマ化の話でも聞いたのかな。売れない作家に気を使ってもらって申しわけない話だ。単に守秘義務を思い出しただけかもしれないが。


「そう言えば鳴滝は今日から一週間欧州なんですよ。もう飛行機の中ですね」

「そうですか。しばらくは振り回されずに済むわけだ」


 手首を返して時計を見た九重女史の言葉。俺は思わず声を弾ませた。


「…………まあ、どちらがどちらを振り回しているのかというのは、ありますけどね」


 九重女史は微妙な顔になった。失敗した。鳴滝本人にならともかく彼女に上司の悪口はなかったな。作家というのは編集者相手には誰よりも社会人であらねばならぬのに。それが元編集者でも。


「そろそろ『読書会』の新しい企画を考えたいんですよ。私としては今の勢いを活かして……」


 九重女史は巧みに話を変えた。上司がいないから手を抜くという発想はないらしい。俺は聞き役に徹することにした。アリスの本業に口を出すつもりはない。ただでさえ作家という生き物は企画に対して百家言ある。特に、自分が書かなくてもいい企画となればなおさらだ。


 だからこそ今日からの授業は気を付ける必要がある。九重女史についてメタグラフに入りながら、俺は心を引き締めた。ある意味今日からがこの授業の本番だ。




「よろしくお願いします。先生」


 バーチャルルームのアリスは冬の装いになっていた。白いセーターと黒いビロード生地のロングスカートという清楚で上品、そして何より温かみのある服装がアリスによく似合っている。暖炉のそばでハードカバーを開けば小説の表紙になる。窓からスキー場が見えれば完璧だな。まあ、流石にスキーはまだ季節感が早いか。


「九重さんに聞いたけど、チャンネルの方は調子がいいみたいだな」

「はい。先生のおかげで読書会は順調です。本日からの新しい授業も頑張りたいと思います」


 アリスは嬉しそうに言った。


 鳴滝ほごしゃがいないから羽を伸ばすという発想はやはりないらしい。まあ、教える方としてもやる気があるのはありがたい話だ。


「それで今日からの授業の進め方なんだが……」

「はい。私自身の小説の企画を作るのですよね」

「あ、ああ。えっと前回はちょっと不安そうだったのに、ずいぶんと前向きだな」

「はい。確かに小説について知れば知るほど、私にテーマを生成できないことが不安になります。ですが前回先生は何か対策があるようにおっしゃいました。私がテーマを生成するための素晴らしい方法をお持ちなのだと思い至ったのです。これまでもそうでしたから」

「…………確かに具体的なことは次に説明するといったな」


 美しい黒髪の生徒の信頼と期待のこもった瞳に、俺はかろうじてそう応じた。アリスはいっそう目の輝きを増して俺の答えを待っている。この期待を裏切れる人間がどれだけいるだろうか。


 俺はアリスの瞳の輝きから逃げるようにホワイトボードに向かった。


「今回の授業でやることは『テーマから企画を考える』……んじゃなくて、企画を立てることでアリスの中のテーマを探ることだ。つまりこういうことだな」


×:テーマ→企画→小説

〇:テーマ←アリス←企画


「……!? あの先生、目的と手段が入れ替わっています。それに私の名前がどうしてあるのでしょう」


 秘策? を披露して振り返ると、アリスは完全に困惑していた。彼女の眼はホワイトボードに書かれた自分の名前にくぎ付けになっている。よく「予想を裏切り期待に応えろ」というが、小説家なんて実際は期待を裏切る方がずっと多い。


「そうだな。まず前提なんだが俺はアリスの中にテーマがないとは思っていないんだ」

「――!? 私は先生に嘘をついたりしません」


 俺がホワイトボードの秘策の中心にある“アリス”を赤丸で囲むと、アリスは大きく目を見開き、首を左右に何度も振った。人間なら「そんなこと言うなんて信じられない!!」くらいの激しい反応だよな。ちょっと驚いた。


「アリスが嘘をついているって意味じゃない。アリス自身に認識できないアリスのテーマが、アリスの中にあるんじゃないかという話だ」

「私に認識できない私のテーマ、ですか? あの、それはいったいどんなものなのでしょう」

「もちろん俺にはわからない。アリス自身で見つけてもらうしかないな」

「理不尽です、先生」


 アリスはますます困った顔になった。理不尽なのは俺じゃなくて小説だ、といってしまえば授業にならないので、俺はちゃんと説明する。


「これまでの授業を思い出してくれ。アリスは真理亜として架空の『キャラクター』を演じたり、シオンの世界に入って『舞台』を体感したりしてきた。キャラクターと舞台が物語の『コンセプト』を作り出すこともわかっているはずだ」

「確かに私は完全ではなくとも小説を文字データではなく、世界として認識できるようになりました。……ですがにもかかわらず自分のテーマが生成できないのです」

「つまり、アリスは獲得した学習結果を自分が書く小説には適用できていない、ということだな」

「……はい。私が作る小説はまだ存在していませんから、客観的に分析できません」


 アリスの言葉は聞きなれないが、創作とは0から1を作り出す行為だ、といっているのと同義だ。こういう自分なりの表現ができるというのは、彼女の理解と能力の高さを表している。そしてだからこそ、それが次の目標であるテーマに結びつかないことを問題視しているのだろう。


「だから小説じゃなくてこの理解を自分自身に向けるんだ。自分はどんな『キャラクター』を描きたいのか、どんな『舞台』を作りたいのか、そのキャラクターはその舞台で『何をどう表現』するのか」


 俺はホワイトボードの『アリス←企画』を指さして言った。アリスが長考に沈んだ。俺はそれを無言で見守る。


 結局のところこれまでの授業で教えてきたことはそれに尽きる。とはいえ、アリスにとって簡単じゃないこともわかっている。アリスは答えを出すことを重視する。しかも解くべき問題は人間から与えられたものだ。例えば『アリスの読書会チャンネル』を考えても、人間の指定した本をリスナーに紹介する形だ。


 だがこれからの授業で問われるのは既存の小説の分析ではなく、アリス自身のテーマの探求だ。答えではなく問いを生み出すのに近い行為だ。


 与えられた『目的』に対して学習の結果獲得した『方法』を用いて、正しい『答え』を出すというアリスの当たり前とは全く逆。それを簡単といってしまえば嘘になる。というか、これが簡単なら俺は今頃小説を書いている。


「……つまりこれまで先生に教わった小説の企画の要素『主要キャラクター』『舞台』『コンセプト』の学習経験を用いて私の中を探索して『テーマ』を見つけるということでしょうか」


 アリスは俺の書いたホワイトボードを何度も見直して、小さくうなずいてからいった。俺は頷いた。どうやらちゃんと理解してくれたようだ。


「はい。少し混乱してしまいましたが、よく考えれば先生の今回の意地悪ということですね。理解しました」

「確かに簡単な“課題”じゃない。アリスにとっては“挑戦”だろう。理解してくれてよかった」


 さりげなく生徒の答えを添削した。アリスをイジメたいんじゃなくて、むしろ信じてるとか、期待しているに近いんだが。


「はい。同じ意味だと理解しています。ですが不安もあります。私の中にもし先生が期待するような価値のあるテーマがなかったら……」

「俺の期待とかはどうでもいいんだけど……。そうだな、最初に言った通りアリスの中にあるテーマが、どんなものなのか、俺にはわからない。ただ、企画を考えるにも技術的なコツみたいなものはある。そこら辺についてはサポートできる。教えられることを教えるのが俺の仕事だからな」

「…………分かりました。はい。先生が付いていてくださるのならきっと安心です。企画から私のテーマを生成する。挑戦したいと思います」


 アリスはその瞳に決意をみなぎらせていった。


「よし、じゃあ実際の企画の順番だが……ってもう時間か」


 俺の目の前に赤いタイマーが表示された。毎回最初の説明に時間がかかるな。人間きょうし生徒AIの認識のすり合わせだから仕方がないか。ましてや相手が小説となれば。


 俺はアリスに「じゃあ次から実際に企画を作っていく」と言ってバーチャルルームを出た。


 九重女史に挨拶をしてから帰ろうとオフィスを見た。窓際で電話に向かっている九重女史を見つける。「そういうことは……には取り次ぎかねます」という声が聞こえる。何かトラブルだろうか。まあ鳴滝がいないから大事じゃないだろう。そうメタ読みをした俺は、邪魔をしないように小さく会釈してからエレベータに向かった。




 地下鉄の揺れる手すりを見ながらアリスの言葉を思い出す。


(価値のあるテーマがなかったら……か)


 実はアリスのテーマについては俺は一つの仮説を持っている。それはこれまでアリスが一貫して求めていて、そして未だ手が届かないもの、つまり「小説の面白さ」に関わる何かではないかということだ。


 アリスが主体的に発した問いだからだ。それもおおよそ答えの存在しない類の。


 もちろん小説の面白さ自体を小説のテーマに出来るかといわれると厳しいかもしれない。だがアリスの高度な転移学習の能力でキャラクターや舞台、そして物語に転化することが出来れば、そこからアリスにしか書けない小説が生まれるのではないか。


 万が一アリスに“答え”を与えなければいけないとしたら、俺は今のように言っただろう。もちろんだからこそ決して口には出さないけど。


 というか価値のあるテーマかどうかなんて最初に解ったら全部の小説が名作になる。小説家はおそらく世界で一番楽な職業になる。“幸せは義務”というレベルだ。そうじゃないことは小説家なら、いや書けなくなった小説家ならだれでも知っている。


 まあなんにせよ、テーマに苦労することは想定内だ。アリスは少し焦っているみたいだが、じっくり行けばいい。今回は鳴滝がいないから小説みたいなイベントに付き合わされる心配はないことだしな。


 ………………ははっ、小説でこんなことを言えば完全に伏線だな。


 この時の俺は事件がすでに起こっていたなんて想像もしていなかった。


 ………………なんてな。


 ◇  ◇  ◇


 同時刻。東京駅。


『JR中央線塩尻行が発車いたします。ご乗車のお客様は……』


 ホームのアナウンスが車内に響くなか、その若い女性はシートに身を沈めた。前の席はビジネスマン、後ろは家族旅行らしき三人。彼女は自分がどちらに近いのかとふと考えた。


 どちらとも違うという答えに首を振った。いつもの習慣で手が携帯を探りだす。だが、気を紛らわせることに関しては万能の機械は大量の未読メッセージと着信を見せた。彼女は液晶画面から窓の外に目を逃がした。


 動き出した景色が七色に色付き始める。彼女は眼を閉じてその光景を追い払った。





**********

2023年8月16日:

お待たせしました。第四章『二つの企画、二つの心』開始します。

よろしくお願いします。

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