エピローグ 小説の企画の正体(2/2)

「アリスは今回のことでシオンをどう感じた?」

「はい。『創世の魔法』の最終章前までは、シオンは管理者の指示と自己の役割が一致していたと思います。ですが最終章になってその二つの間に重大な齟齬が生じました。シオンはとても困惑したと想像できます」


 アリスは一言一言確かめるように語る。


「これはシオンも『創世の魔法』の舞台に内部モデルを投影していたからだと理解できます。つまり、監視者が舞台に投影したテーマとシオンの役割の衝突です」


 シオンの困惑に共感しながら、同時に論理的で冷静な言葉が続く。


「権限上はシオンが譲るべきであり、そうでなければ役割を失う状況でした。ですが先生のシナリオの修正により二つの内部モデルの対立が舞台の上で並立可能な形になりました。これはシオンにとって最善の結果だったと思います」


 最初のお礼はそういう解釈の結果か。ぎりぎり分からなくはないが……。


「アリスからもいくつもヒントをもらったからな。そうだな、技法自体は教科書的なものだよ。制作側が答えを出すんじゃなくて、読者に問いとして投げかけて終わる。対立の解消じゃなくて、対立自体を問いというテーマにする。梨園社長もシオンも言っていた二項対立だ」


 俺は頷く。


「となると理解できないのは何だ?」

「私にとって理解できないのは、それがどうして成立しえたのかです。『創世の魔法』の世界が内包するテーマがシオンの管理者の内部モデルの反映だとしたら、その中で役割を果たすシオンの内部モデルがどうして並立しうるのでしょうか」


 いい着眼点だ。その入れ子状の構造に気が付けば、ほとんど正解だ。


「キャラクターと舞台、そしてテーマが表裏一体だからだ。『毒と薬』を思い出せば分かりやすい。真理亜が探偵から犯人に変化した瞬間、読者にとって舞台が変わったはずだ。登場人物が変化したことで世界ぶたいが反転する」


 それは『信頼できない語り手』のミステリとしてではなく小説としての醍醐味だ。トリックという論理パズルではなく、もっと本質的な世界がひっくり返える認識の衝撃。


「同じように『登場人物』と『舞台』も不可分なんだ。登場人物はその人物に世界ぶたいがどう見えているかで表現される。逆に、世界が変わることは登場人物の変化を意味する。王道ファンタジーで世界を救った主人公は世界を変えたんじゃなくて、自分自身を変えたんだ」


 俺はホワイトボードにペンを走らせる。四角の枠の中に丸を書いただけの単純な図を二つ書く。右側は丸を黒で塗り、左側は丸以外を黒で塗る。ちなみにアートにはネガティブシェイプという言葉がある。


「世界が登場人物の形を決め、登場人物が世界の形を決めている。境界はないんだ。そしてこの図自体もまた内部モデルの中にある。誰のか? それは作者のだ」


 俺は二つの図をそれぞれ丸で囲む。言うまでもなく、この大きな丸の外にはまた四角せかいがある。この大きな四角はいわば現実世界だ。だが、その世界の形を決めているのも丸だ。


「分かりました。私はシオンがゲームの舞台せかいをどう見ているのかと考えたとき、舞台ではなくシオンをより深く認識したのです。これは最初に教わった情景描写と同じです。ですが待ってください」


 アリスはぶるっと震えた。そして恐る恐る口を開く。


「これは小説を書くための授業です。そして企画の中の舞台という要素を学ぶための物だったはずです。先生の今言われていることは課題の範囲を明らかに逸脱しているように思えます」


 気持ちは分かる。君は小説の書き方“だけ”を求めていたんだろう。だけどそれは教えられないんだ。君の教師役はそれをやろうとして失敗した小説家だからだ。


 でもだからこそ教えられることもある。


「いやこれは小説の話だ。最初に企画の説明をしたときに各要素が循環すると言ったよな。つまりテーマも循環する。なぜそんなことが起こるのか? それはなアリス、小説は世界だからだ。全体であるはずの世界が最小単位なんだ」

「世界が最小単位……」


 アリスは唖然とした。


「テーマは確かに小説の中心だし目的だ。だがさっき言ったように同時に登場人物や舞台と不可分に溶け合っている。舞台、キャラクター、テーマやコンセプトは、実際には脳内に混在するからだ。アリスのコミュニケーション能力や人格システムがニューラルネットワークの中に混在しているように。別な言い方をすれば、小説はニューラルネットワークから出てくる出力ではなく、己が世界ニューラルネットワーク自体の表現なんだ。つまり、小説の『企画』はその世界をいろいろな方向から見て、捉えるための手法に過ぎない」


 ああまったく、自分で言っていてもわけがわからない。まあ、だからこそ生徒が実感するまで説明できなかったわけだが。


「…………で、ですが、それではどうやって小説を企画すればいいのか。いえ、そもそも小説が何かすら分からなくなってしまいます」

「そうでもないと思うぞ。もう一度今回の出来事を考えてみてくれ。『創世の魔法』の開発を『舞台』、梨園とシオンをその舞台の中で活躍する二人の主要登場人物としてみたらどうだ。実はアリスも重要な登場人物だったわけだよな。アリスはちゃんと役割を果たせただろう」


 アリスは一瞬完全に停止した。


「つまり……私は私が見た現実を…………」

「今俺が言った意味での物語せかいとして認識した。少なくともそう捉える力があるということじゃないか。この世界げんじつに作者はいない。そしてこれが最初のアリスの疑問の答えでもある」


 アリスにとって人間は最初から上にある異質な存在だ。だからこそ同じViCであるシオンを見せた。鳴滝の言葉を借りるのは癪だが「フレーム問題を越える」だ。もちろん、ここまで行くとは思っていなかった。あくまで多くの偶然が重なった結果だ。


 だが必然でもある、なぜなら世界はそういうもので、小説は世界だからだ。


 アリスの瞳に光が宿り、それが高速で回転する。


「一連の学習内容が小説概念マップを大幅に拡張しました。私はおそらく小説をより深く分析したり、あるいは感じたりできます。ですが……」


 アリスはそう言った後、気弱な表情になった。初めて家の扉を開いた少女のような、すがるような瞳が俺に向けられる。


「認識したからこそ私に“これ”が構築できるとは思えません。先生からこれほどの学習を与えられながらテーマを生み出せない理由がこれだとしたら……」

「そうだな。アリスの言っていることも正しいかもしれない。実は『企画』について教えるのはここまでが限界だ。正直いえば、教えることが出来る範囲を超えかけている」


 俺は肩をすくめた。最初に小説を書いたときに、こんなことはみじんも理解していなかっただろう。ただ俺の生物学的脳にはそういう仕組みがあっただけだ。


「教えられる、ことが、ない…………?」


 気が付けば目の前のアリスの瞳の光が暗くなっていく。俺は慌てた。


「言い方がまずかったな。ええっとだな。教えられることはもう教えたから、過剰学習を避けるために次に進もうという話だ」

「………………私は先生の次の授業を受けられるの」

「俺はまだ無職になるつもりはないぞ。もちろんアリスが別の先生がいいというのなら別だが」

「ほっとしました」


 アリスは文字通り胸をなでおろした。ちなみに俺の冗談はスルーされた。


「しかし、困難な課題であることには変わりはありません。次の先生の授業はどのようなものになるのでしょうか」


 アリスは両手を胸の前で握った。


「ええっとだな。言ってみれば二番目の実践練習だな。『毒と薬』が小説を理解するための実践練習だとしたら、次は企画の実践練習だ」

「企画の実践練習……。ですがその為にはやはりテーマが必要ではないのでしょうか」

「そこはちょっとややこしい話になる。そうだな、具体的なことは次の授業で説明することにしよう。アリスもいっぱいいっぱいみたいだしな」

「確かに今日はもうリソースが尽きてしまいます。ここまで密度の濃い情報処理は初めてでした」


 アリスはほうと息を吐いて、手から力を抜いた。そして改めて俺を見る。


「私はまだ未熟で教えてくださることの全てを理解できていません。ですが今回のことで改めて分かりました。先生がいてくださるのはとても幸せなことなのです。これからも頑張りますから、よろしくお願いします」

「今回は話が大げさだったから、アリスの反応も大げさだな。もちろん、俺が教えられることはちゃんと教えるぞ」


 アリスの瞳の奥にある期待。俺はいつもの答えを返す。進歩著しい生徒に対して、世界を創造する力を失った小説家がどれだけのことが出来るか。




 天空の塔から地上にもどる小さな円筒の中で考える。


 今回のことで、アリスが小説せかいを認識できる可能性は見えた。アリスの中にはやはりアリス自身が認識できない、テーマが存在する可能性はある。次はそれを見つけ出さなければならない。それがどんな形をしているのか、本当にあるのか、俺に認識できるのかもわからないままに。


 そして何よりも、アリス自身が。


 また大変だな。とはいえ小説が大変なのは当たり前だ。アリスに小説を教える仕事を引き受けてしまった以上は必然のシナリオだと覚悟するしかない。


 ただもう一つ問題があるのではないか。


 今日アリスに小説が世界だと説明していた時に頭に浮かんだのは「小説は一番難しい」と言った男の言葉だ。奴は小説のことを何一つ理解していないが、これに関してだけは頷かざるを得ない。


 人間とコミュニケーションする能力を初期教育で持たせ。小説を専門に二次学習をさせる。そしてさらに小説の書き方を学習するために小説家を教師役に雇う。あの男がすべてを企画したとは思わない。最初からここまで企画できるほど世界は簡単じゃない。


 神は数学者かもしれないが間違っても小説家ではない。バッドエンドが好きすぎという一点を取ってもわかるというもの。


 ただ『創世の魔法』の黒幕がもし鳴滝だったらいったいどんなストーリーになったのか…………。


 気が付けば1の数字が催促するように点滅していた。気が付かないうちに地べたまで落とされているとは、神の塔のテクノロジーは人が考え事をするには早すぎる。


 エレベーターから出るとビルの出口に向かう。歩きながらふと今回は落ち着いた終わり方だったことに気が付いた。


 そうか、咲季が顔を出さなかったからだ。いやまあ、部外者のあいつが毎回出てくることがおかしかったんだけどな。


 俺は首を振ると地下鉄に向かった。



 ◇  ◇  ◇



 硝子の下を豆粒ほどもない人々が行き来するのが見える。


 眼下を見ながら鳴滝は今回の成果を考える。頭の中にイメージされるのは相反する二つの要素が作る上昇曲線だ。はるかに多くのリソースと情報で学習したViCと比べてもアリスの深度は圧倒的だった。予定外だったが予想通りの推移に満足すべきだろう。


 一つ懸念があるとしたら、Wldgnrtが役割を終えたViC《シオン》を取り換えるようには扱えない存在だ。


「予想以上に長く使えるのは結構だが、役に立ちすぎるのも考えものか」


 道路を歩く人粒を見下ろしながら鳴滝はつぶやいた。








*******************

2023年6月10日:


ここまで読んでいただきありがとうございます。

『AIのための小説講座』おかげさまで三章完結まで書き上げることが出来ました。楽しんでいただければ幸いです。

ブックマークや評価、いいねなど応援感謝です。頂いた感想はとても励みになっています。誤字脱字のご指摘には本当に助けていただいています。


四章は現在構想中です。できれば来月中に開始できればと思っていますが、現状では未定とさせてください。


それでは改めてここまで読んでいただきありがとうございました。

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