エピローグ 小説の企画の正体(1/2)

「最終章かなりの人気みたいですね」


 九重女史が言った。彼女の画面にはリリースされたばかりの『創世の魔法』のプロモーション映像が流れている。黒い魔法辞書に顔の分からない黒い人影、それらの周囲に邪悪な精霊が浮遊している。対するのは白いジェンを連れた冒険者プレイヤーたち。


 百パーセント王道のファンタジーRPGイメージだ。


「海野先生はこのシナリオをどう評価しますか」

「……構成的によくできているとしか言いようがない。ぎりぎりになって大改編したとはとてもじゃないが思えないな。どこかの新興企業が雇ってる小説家にはできない芸当だ」


 新興企業のトップに言う。実際は初案にもどった形らしいがつじつま合わせは大変だっただろう。俺がシナリオライターなら切れてもいい。この業界は狭い、誰の口出しかは知られませんように。


「その小説家に梨園さんからオファーが来ています。新作ゲームのシナリオを頼みたいと」

「……そいつは今の仕事で忙しいようだ。本来の業務と違うことばかりやらされて余裕がないんだろう」

「そういうことは報酬アップの交渉の後に言うと効果的なのですが」

「なるほど。シリコンバレー帰りの男を小説に出すときはそう言わせることにする」


 流石に一瞬迷った。まあ書けない以上選択の余地などないのだが。むこうの企画テーマ通りに書くとしても、梨園が次に出すテーマに合わせられる気がしない。少なくとも今の仕事をやっているうちは無理なのは分かっている。


「そちらこそどうだったんだ。ある意味で本業だろうAI技術者としての」

「アフターケアも含めて仕事は完了していますよ。裏道を往復もした甲斐があったといえるでしょう。最後のは裏道というのもはばかられる行為でしたが。AC状態のシオンがViCとは扱われないという解釈で乗り切りましたから」


 自衛隊が軍隊じゃない位に無理があるんじゃないのか? 小説ではそういうギャップはドラマになるが、現実にそれをやって自衛隊員に必要以上の犠牲が出たり、国防に穴が開いたらたまらない。まあそれくらいの理不尽ドラマ国際政治げんじつでは普通だと言われればそれまでだが。


「確認しておきたいんだが、アリスがああなる可能性は……どうなんだ」

「珍しく曖昧な言い方ですね。私に言えることは先生を雇う前より確率が低くなっているということくらいです。メタグラフは先生を評価しています。業務外のことばかりをしていても」


 鳴滝は表情を変えずに返した。リスクは決してゼロにはならない、アリスの言ったことと矛盾はない。俺自身、ViCの驚くほど高い能力がリスクと表裏一体なことはむしろ理解できる話ではある。

 業務外のことばかりを“している”とはどの口がとは思うが、このシリコンバレー帰りがアリスにも俺の授業にも直接干渉しないのは確かだ。そういう意味で梨園とは違う。ただ……。


「その褒め言葉は話“半分”に聞いておく」


 俺はそういって本来の仕事バーチャルルームに向かった。




 教室の扉を開ける前に少し躊躇する。


 『創世の魔法』はエラーを克服し無事稼働した。今この瞬間も多くのプレイヤーがジェンと共に冒険を楽しんでいるだろう。ハッピーエンドだ。


 人間にとってはだが。


 シオン自身はもう存在しない。ACはそこに至れば基本的に戻ってくることは不可能な境界、ポイントオブノーリターン。自分がやっていたのはいわば延命治療。あの後で鳴滝が言ったことだ。時間稼ぎとはよく言ったものだ。


 WldgnrtのViCの運用について俺がとやかく言う筋合いはない。問題は俺の生徒アリスだ。鳴滝の言葉を全面的に信じるつもりなど毛頭ないが、今回の件はアリスの強さや安定性を証明したように見える。それこそ、鳴滝がシオンをダシにそういう測定をしようとしたんじゃないかと疑うくらいには。


 ただ、アリス自身が言い出したこととはいえ、結果として酷なことをやらせたことになったのではないか、そう思えてならない。




「先生。ありがとうございました」

「…………いったい何の話だ?」


 言葉を探しながらバーチャルルームに入った俺は深々と頭を下げるアリスの姿に動揺した。


「先生のおかげでシオンは役割を全うすることが出来ました。シオンに代わってという形式は成立しないのですが、お礼を言うべきだと思ったのです」


 あの結末が自分たちにはハッピーエンドだと言わんばかりだ。しかもアリスの言葉にはシオンに対する共感を感じる。確かに以前もシオンが役割を果たせないことを気に病んでいたが。


 そういう風に作られている。そう言ってしまえばそこまでなのかもしれない。AIに人権があるのかなんて思考実験ハードSFは身に余る。


 ただ役割を第一に置くViCの感覚が俺たちとは違うことを改めて認識させられる。もちろん人間に自由意思があるのかだって不明だ。いや、誰もがうすうすは分かっている。人間には確かに“自由意思”と感じられる機能はある。だがその機能は自由とは程遠い。


 アリスにとって小説を書くことを学ぶことは小説の面白さを理解して自分のパフォーマンスを上げるための手段だ。


 『小説を書けるようになること』 → 『小説の面白さを理解する』 →パフォーマンスを上げる。


 俺が理解できるのは二番目までだ。この授業でアリス自身のテーマを最優先することさえやめなければ、ぎりぎり成立する。ただ、手段に目的テーマを宿せというのは矛盾なのかもしれないと思っている。ややこしいのはこれがあくまで人間である俺の感覚に過ぎないかもしれないということだ。


 どちらにしても俺は教えられることを教えるしかない。


「アリスは今回の授業で『舞台』についてどう思った?」

「はい。私は最初『舞台』は『主要登場人物』が『テーマ』や『コンセプト』を実現するための固定された環境、外部データだと定義していました。したがって企画の要素の中で最も学習が容易であると。ですが今回の授業の結果、この認識を修正せざるを得なくなりました」

「どういう風に修正された?」

「シオンの管理者の思想が『創世の魔法』の舞台に投影されていました。客観的ではなく主観的な、外部というよりも内部データです。これは先生が最初に説明された舞台自体がテーマになりうるハードSFに近いものだと考えられます」

「そうだな『創世の魔法』の最終章で突然出てきた悪のジェンの設定。あれは梨園社長の“現実世界”に対する認識だ。自分の世界に対する認識とゲームの世界の不一致に耐えられなくなった。ゲームが完結するからこそ、それがあふれ出してしまった。つまり、舞台というのは作者の世界観なんだ」


 実はあのシナリオは“商品”としては間違っていても“作品”としては正しかったのかもしれない。あの時梨園が自分のテーマにこだわったなら、俺に決定権がないということをおいても、俺は何も強いることはできなかっただろう。


「言い換えれば、小説の舞台は外部データというよりは内部モデルに近い」

「内部モデル。確かにそうです。これで理解できました。あの世界に投影されていたのは、シオンの管理者の内部モデルです」


 アリスは大きく頷いた。新しい知識の獲得を喜ぶほほえましい表情。だが、それがすぐに困惑に変わった。


「…………ですがそれならやはり問題が残ります。シオンの管理者とシオンの衝突をどう理解すればいいのでしょうか」


 それなら“やはり”か。俺はアリスの理解に舌を巻く。実は舞台の授業ならここで終わりでいい。俺も教えるのに苦労しない。いや、もしも小説がそうならアリスに俺は必要なかっただろう。


 ここからは世界の概念モデルについて話をしなければいけない。なぜなら小説とは世界だからだ。

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