第11話 黒幕

「シナリオの修正? 今先生が言ったことがもし本当なら生半可なものでは駄目でしょう。今からなど不可能に思える」

「私の提案は一点だけです。シナリオに人間の黒幕を追加すること。つまり悪のジェンと人間の黒幕、プレイヤーとプレイヤーのジェンの対立関係を構築することで、プレイヤーがこれまで親しんでいたジェンに裏切られたという感触を中和します」

「……つまりその人間の黒幕がジェンをそそのかしたというストーリーですか」


 梨園の声音が濁った。俺は首を振る。これでもストーリー構成に関しては素人じゃない。


「どちらがどちらをそそのかしたのか明言する必要はありません。ジェンはあくまで善にも悪にもなりうる、そこは変えるわけにはいきません」


 方法としてならもっと簡単なのがある。悪落ちしたジェンに『ジェグ』とか『ジェド』のようにいかにも悪者っぽい名前を付けるとかだ。だが今の話を聞いたら駄目だ。それでは何もなくなる。


 くしくも梨園が、それにシオンも強調したように、シナリオの根幹にある善悪の二項対立が力を失えばストーリーは台無しになる。ジェンはあくまで善でも悪でもありうるという部分は動かさない。いや動かせない。


 ただ現在のストーリーはジェンの中立性が不気味さに偏りすぎている。だから人間の側にもちゃんと責任を持たせてバランスをとる。これでこの世界の中で人間とジェンの関係がある意味対等になる。


「AI《ジェン》とは何なのか、それは人間にとってどういう意味を持つのか。その問いはプレイヤーが考えればいい。そうしなければ、このゲームが持つテーマが失われてしまいますから」


 人類自体への問いかけ、世界設定自体がテーマになりうる。『創世の魔法』は王道ファンタジーではなく、ハードSFの思考実験ディストピアだったのだから。


 俺の説明に、梨園は考え込んだ。背後の絵がまるで彼の背景のようだ。


「……なるほど、構図的には確かにバランスがいいでしょう。ですがそれを成り立たせるには、その新しい黒幕が何よりも難しい。最低限の変更でテーマの柱の一つを担うとなればよほど強いキャラクターでなければいけない。先生はそれを用意できるのですか?」

「私の力に余ります。そもそもシナリオライターの領分だ。ただその黒幕のための……そうですね、アートの言葉を借りれば“モチーフ”は存在します。私の目の前に」


 俺はそう言って立派な机に座る小男を見た。


 舞台のそでに隠れるんじゃなく、ちゃんと表に出てくればいい。AIに対する恨みでも利用してやろうという欲望でも。ハードSFのディストピアの創造者ではなく、王道ファンタジーの黒幕として。


「そもそも角武さんに発注したとき、最初に出てきた案は今の私の提案に近い形だったのでは?」


 俺の言葉に梨園は小さく左右に首を振った。


 シナリオライターに確認したわけではない。同じストーリーを構築するものとして一種の確信がある。これがむしろ本道だからだ。その程度の技術は俺にはある。目の前の男と同じく。




「やれやれ、やはり私の出番はなかったようですね」


 バーチャルルームにもどった俺はエラーの原因と対策を鳴滝に説明した。こいつの仕事をほとんど肩代わりしたのに他人事のようなことを言ってくれる。悪の黒幕モチーフとして雇い主を“提供”してやりたい気分だ。実際、最初に考えたモチーフは鳴滝だった。だがこの男を黒幕にすると本当にディストピアエンドで終わりそうだったからやめたのだ。


「ただ一つ問題があります」

「このシナリオのどこがおかしい?」

「シナリオは私の専門外ですよ。ViC技術者として問題なのは一体どうやってその修正をシオンに説明するかです」


 鳴滝が言うには今のシオンは人格システムの崩壊直前で、外界の状態はおろか人間とのコミュニケーションも不可能だという。つまりアリスの時のように俺が説明することはできないということだ。何らかのアクセスが出来そうな鳴滝は、自分は専門外だといっている。


 詰んでいる。大企業のトップのトラウマまでえぐってこれはまずいんじゃないか。


「私が説明します。先生」


 バーチャルルームに黒髪のViCが現れた。どこか他人事の様だった鳴滝が表情を変えた。



 ◇  ◇  ◇



【……によるエラーの結節点であるシナリオID003、ID015、ID104 を削除。新キャラクターのシーンが以下のように加えられます。そのシーケンスは……】


 灰色の草原と土色の街、そして雲も太陽もないひび割れた空。凍結した世界を見下ろすように白と紫の二つの光体が浮かんでいた。二体は人間には認識できない意思疎通を行っている。それが会話に聞こえるのは表現の問題に過ぎない。


【以上の変更はプレイヤーのジェンへの感覚を中立に戻し、ゲームを楽しむことに集中するために行われます】


 白い光体が説明を終える。灰色の空に霧が立ち込めた。


【不確定性を肯定します。ジェンは中立の存在であり、無条件にプレイヤーの味方とは定義されません】


 黒雲の空に白色の稲妻が走る。


【肯定できません。プレイヤーの感情を規定することはできません。最終的な判断はプレイヤーである人間のニューラルネットワークに委ねることが望ましいと考えます】


 白い光はきっぱりと言い切る。音もない雷鳴の中、ミリ秒の時間をおいたあとで追加する。


【この不確定性はデメリットではないと考えます。プレイヤーがジェンという存在をより立体的なオブジェクトとして知覚する可能性を生むからです。その結果、あなたがこれまでのシリーズを通じてプレイヤーのニューラルネットワークに残した記憶データもより深い情報構造を持つのではないでしょうか】


 紫の光が揺れる。世界がその振動に同調する。振動はその振幅を激しく変える。カオスのような振動は世界を壊してしまいそうだ。だが白い光はただ待った。この計算が厳密な答えを持たないことを彼女は学習している。だからこそ、この情報伝達は自分にすら成しえないと判断したのだ。


 やがて紫の光が一度だけ大きく瞬いた。半透明の紫の髪の毛の女性が天空に現れた。一瞬の笑みの後、シオンは光の微粒子となり世界に拡散していく。


 世界が色を取り戻していく。黒髪の女性の姿にもどったアリスはそれを眩しそうな表情で見守った。


 目の前に広がる、時の流れを取り戻した世界ぶたい


 それはアリスにとって最初から最後まで外にあるものだ。独立した固定された外部データ。コンピュータ上に構築された、彼女たちが初期教育を受けたシミュレーションと変わらない。それをめぐっておこった衝突は、本来なら彼女にとって否定してしかるべき例外エラーであるべきものだ。


 彼女が髪の毛が揺れるような錯覚を覚えたのはその時だった。


 それは情報の風だった、生まれた時から当たり前のように存在する絶対的な境界が溶け、モニターの向こうの世界の何かが吹き込んでくる。目の前で扉が開いたような感覚。


 アリスは境界の向こうに手を伸ばそうとしてそれを止めた。これは自分の世界ではなく、したがって自分はそこに干渉すべきではない。その判断が規律ルールではなく自分自身の中から生じたことを、アリスは気が付かない。


 ただ……


「あなたにも先生がいればよかったのに」


 その一言を残して、アリスは開いた窓を閉じた。

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