第10話 世界の謎(2/2)

「梨園社長。もしかしてその絵、あなたの作品ですか?」

「…………どうしてそう思いましたか?」


 引き留めようとした俺の苦し紛れの質問に、梨園は背中を見せたまま言った。


「中庭で見たあなたのサラダと印象が一致したので」

「昔取った杵柄ですよ」


 同じ答えが返された。だがそれは謙遜ではなく自嘲だ。いやあの時もそうだったのだと今更ながら気が付いた。小説家のくせに人間観察がなっていないのはともかく、ますます分からなくなる。なぜそんなものを自分の一番近くに置くことが出来る。


 ちなみに俺は『奈落の上の輪舞』を全部収納の一番奥に押し込んでいる。


「どう思いますか。この絵」

「絵画は専門外です。特に現代的な作品はどう鑑賞していいのか」

「おやおや、海野先生は人間なのですからなにか思うところはあるでしょう」


 梨園は振り向きもせずに肩を上げて見せた。


 単なる意趣返しではない。忙しい大企業トップが、おおよそ仕事と関係なさそうな唐突な問いに反応したのだ。ゲームと違って選択肢は出てこない、小説家らしく自分で台詞を考えなければいけない。


「少なくとも素人の作品ではないと感じます。色、形のバランスなど、私の目にも洗練されているように見える」


 文章でもすっと頭の中に入ってくるものとそうでないものがある。それは文法的に無理がなかったり適切な単語の選択と順番だったりと言った説明可能な技術から、咲季のように説明できないけどなぜか伝わるものまである。


 少なくとも言葉の意味というヒントがある文章と違って、絵に何が書いてあるかなんてわかるわけがない。


「せめて題名を教えていただけませんか」

「強いて言えばそうですね『失楽園』ですか」

「失楽園?」


 古典絵画の定番である聖書が元ネタ? さっきそれならわかりそうだと内心で口走ったが、当然分かるわけもない。色とりどりの点と三角と四角の組み合わせのどこにエデンの園が……待てよ……。


「無し園……もしかして自画像ですか」

「ほう。流石作家先生だ。なかなかいいところをついている。では、私が自画像に込めたテーマは何だと思いますか?」


 改めて絵を見る。さっき言ったこと以外の何も伝わってこない。配色のバランス、形の構成、すべてが安定している。文章で言えば特別な単語は何も使っていないが、そのリズムや並びで素人の書いたものではないことが分かる。


 無理に言葉にするなら抽象化された静物画のような無機質な印象。それは自画像とは程遠い特徴だ。


「……分かりません。私には無機質で静的な印象としか読み取れない」


 降参した。だが梨園はパンと手を打った。


「正解です。これには何のテーマもないんですよ。あなたの言ったようにごく自然に目に入ってきて、全体を過不足なく認識させる。補色対比、明暗効果、黄金比。我ながら絵画の技術の集大成だ。見やすく鮮やかでバランスがいい。ですが同時に何もない。敢てそういたんです」


 梨園は自分の絵を見ながらいった。とても乾いた笑いだ。


「私に言わせれば写真の発明以後、絵は明らかに異常な方向へと進化し始めた。現実を写し取る技術としての価値を失ったのが原因です。先生に合わせて言えば元は小説と哲学がまじりあっていたのが、哲学だけになったとでも言いましょうか。私はそれがどうにも合わなかった」


 「故郷の九谷焼の実用美に惹かれたのが美術への興味の初めでしたしね」と付け加える。そう言われれば梨園の絵は五彩と言われる九谷焼の色付けに似ているかもしれない。沖岳幸基のデビュー作『極東の窯』でいろいろな焼き物の説明が出てきたので少し調べたことがある。


「いっそ技術を突き詰めてやろうと思ったんですよ。意味など要らない、純粋な技術の組み合わせの妙に美があるはずだとね」


 その声は一見悟ったように、達観したように落ち着いている。なのになぜか俺の身が震えた。


「ちょうどその頃でした。AIによる画像生成の技術が大きく進歩したのは。最初は魅了された。特に力学ダイナミクス系の数学的理論と融合した構図などは衝撃でした。四次元の黄金比と三分割を二次元に写像したもの。人間には全く認識できないんだが、実に心地いいというか、しっくりくる構図が生まれる。AIによって一時間で何百枚も作れるそれが、この絵なんかよりも美しいと思える。傑作だと思いませんが、AI自身は美的感覚など欠片も備わっていないのに。いや、自分が描いていることすら知らないのにね」


 元美大生はくくっと笑った。


「そこに意味などない表現だけの美しさ、それをいとも簡単に作ってしまう。私はその中から選ぶだけでいい。私が作り出そうとした美術は、私の手で描く必要がないことだったというわけです。今思えば才能のある芸術家というのは写真の発明の時点で無意識に気が付いていたのかもしれない」


 梨園は再び自分の絵を見上げた。


「この絵は私が自分の手で描いた最後の作品です」


 俺は自分が正解してしまった理由が分かった。つまりこの絵は俺にとっての『奈落の上の輪舞』と同じというわけだ。おそらくこの描かなくなった画家に無意識のうちに共感したのだ。


「そんなものをよく自分の一番近くに置けますね」

「戒めですよ。徳川家康の『しかみ像』があるでしょう。三方ヶ原合戦で武田信玄に敗れた時の自分を描いたと言われる。まあ美術史的には俗説ですが。アレのようなものです」


 本当にそうだろうか。歴史に例えるならしかみ像ではなく、臥薪嘗胆ではないのか? そう思った瞬間、背中を見せた小男の内面に眠っている何かに触れた気がした。そして本当の意味でのおぞけが走った。


 俺は梨園がどうして唐突に悪のジェンを出したのかの理由を知りたかっただけだ。こんな爆弾は頼んでいない。シオンがこのゲームに感じ取った世界が、単にAIへの風評被害を越えたものだったとすると……。


「それで? 今起こっている問題と私の過去の挫折に関係などないでしょう」


 振り返った梨園。舞台がアート工房から経営者の部屋にもどった。俺は仕事のためにここにいることをやっと思い出した。冷静になれ、上司にはちゃんと危険性を警告ホウレンソウしたはずだ。


 いや、そもそも俺たちは戦わせるべき芸術論を持っていない者同士だ。そう思ったら気持ちがすっと落ち着いた。


「アリスを覚えていますか」

「ええ、あなたが連れてきた助手のViCだ。ですがそれが?」

「アリスが言ったんですよ。自分が『創世の魔法』に主役を置くなら、それはプレイヤーではなくジェンだと。つまり御社のゲーム世界の中でアリスが一番共感できる存在はジェンなんです。ならばシオンならどうでしょうか。なおさらではないでしょうか」


 アリスにこのシナリオを主人公としてみたら、という課題を出した時に、アリスがどうしてプレイヤーならば、と前提条件を置いたのかの答えがこれだ。シオンはいわばジェンのひな型だ。シオンというViCにとって最も身近、いやその分身ともいえる存在に製作者が何を込めたのかを認識する。俺が知っているViCはそれだけの能力がある。


「あなたがこのゲームに込めたテーマをシオンは認識したのだと私たちは考えています。つまりあなたのAIへの怨念を。ViCの作るシステムはブラックボックスでしょう。シオンの考え、思考、あるいは感情がシステムの中に溶け込んでいても不思議はない」


 あの取材の時、俺たちはシオンを見誤っていた。シオンの中にこのシナリオに対する主観的感想はあったのだ。俺の言葉に、梨園はあっけにとられた顔になった。


「ははっ、ViCが悪のジェンが気に食わないからエラーが起こった。それこそ小説の筋書きではないですか。ああいや失礼。だが流石に想像力が過ぎる。それこそブラックボックスなのだから何とでもいえる」

「では確認しましょう」


 俺は悪のジェンの絵の横に、三つの数字を書いた。アリスに出した宿題の答えだ。いわばアリスが風評被害と一番感じた場所サブシナリオのリスト。


「アリスがこのシナリオの中で気にかかったところをピックアップしています。これとユーザーインターフェイスのエラーが起こる頻度が高い場所を照会してみてください」

「いいでしょう。これが最後ですよ」


 机の梨園にそれを渡した。梨園は肩をすくめると机のパソコンを起こした。しばらく操作していた梨園が、小さく何度も首を振り始めた。彼の額に汗が流れたのが分かった。


「…………これが本当だというのなら、やはりシオンを外して新しいViCを導入するしかない。なるほどそういう意味ではちょうどいいタイミングだったのかもしれない」

「シオンがボイコットした理由は、設定が気に食わなかったのではないと私たちは考えています」


 俺は感情を抑える。ViCは人間のために存在する。それはよく知っている。そしてそれが本当のエラーの理由だ。それが梨園の世界観を知った俺とアリスの最終結論だ。


「どういうことですか。あなたはさっき……」

「私たちの聞き取りの時、シオンは何度もプレイヤーに楽しんでほしいと願いを言った。シオンが防ぎたかったのはプレイヤーにあなたの怨念をぶつけることだ。これは私とアリスの感覚に過ぎない。ですが」


 俺は大企業の社長を正面から見据えて言う。


「シオンは管理者あなたに逆らったのではなく、プレイヤーを楽しませるという自分の役割に忠実たりたかったのではないか。それが我々の考えるエラーの原因です」


 俺にはViCの頭の中は分からない。だがアリスはシオンが自分の都合でボイコットしないとはっきり言った。そしてそれを俺は信じられる。


「シナリオの変更を提案します。善悪の二項対立を完成させるための」


 二つの異なる世界観の衝突を解消するためには、どちらかに引いてもらうしかない。その為の案を俺は持っている。なぜならストーリー構成的にはそちらの方が王道だからだ。

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