第2話 裁判?

「なるほど。つまり人類を滅ぼす危険なAIは滅ぼすべきという話ですね!!」

「話を聞いていたか? 俺の仕事をそろそろ理解してくれてもいいんだぞ」


 ビール片手の後輩作家に俺はため息をついていった。



 午後八時。焼き鳥屋『炭野』はいつも通りの盛況だった。仕切りのない狭い座敷には、カウンターからの炭の匂いや店内の喧騒が届く。掘りごたつの上座に足を置いた俺は、油とタレで味付けされたキャベツを箸で摘まんでいた。


 向かい右に座る咲季は串を片手に人類の未来をAIから守ろうとしている。もちろん、アリスに聞かれたら風評被害ぼうろんと抗議されそうなやつだ。小柄な売れっ子作家は話の合間にもビールと焼き鳥を忙しく小さな口に運んでいるが、空串は皿に綺麗に並び、ジョッキが作る水滴の輪は一つだけ。幼いころのしつけの大事さを改めて気が付かされる。


 小説の登場人物の造形に生かせるな。無意識レベルに組み込まれた行動と幼少期の設定の関係性、そしていわゆるギャップ萌えだ。どちらも重要なポイントだ。少なくとも咲季のAIに対する見解よりは。


「まあ私は出来た女ですから夫が売れない小説を書いて仕事と言い張っても大丈夫ですけど」

「もし万が一お前が作家と結婚したとしたら、その言葉は絶対に言わないことを勧める」


 やっぱりギャップ萌えはないな。大体こいつとのギャップは収入のギャップだ。生々しすぎて萌えどころじゃない。「別にあなたのために作家長者番付に載ってるわけじゃないんだからね」なんて言われたら夫は精神崩壊待ったなしだ。


「まあ有罪かな。絵面的にも」

「なんについての裁判をしているんですか? 夜須田さん」


 向かい左に座っていたミステリ作家がぼそっと言った。TFxで初めて見た時も思ったが、咲季の隣に並べると対照性が際立つ。茶色に染めたウエーブのかかった長い髪とメイクで同い年とは思えない。老けているという意味ではなく妙齢の女性だ。


 ちなみに妙齢という単語は若い女性を指すのだが、世間では本来の意味と正反対のイメージがあるので使う時は注意だ。『妙』という文字のイメージが古臭いからだろうが、良く漢字を見れば『女』に『少』ってついてる。本来の意味を現代の結婚年齢で補正すると、二十代半ばくらいになるだろう。完璧な言葉の選択だ。


 まあそもそも年齢の話を女性にするべきではないので使わない方が無難だし、俺も言わない。こうして本来いい意味の美しい日本語も消えていくんだなあ。


 ちなみに大手動画配信サイトの映像原作として決まっているという意味で、今を時めくミステリ作家と言える。結婚したら保険金をかけて夫を殺しそうなジャンルだが。いや、殺されるのか? 売れない夫の作家に??


 やめよう。そもそもテーブルのこちらとあちらの差は売れっ子かどうかではなく、小説を書けるか書けないかだ。


 俺はろくに口をつけていなかったビールを半分空けた。ちなみに今日の俺はご馳走される側だ。業界の後輩であり若い女性二人にたかる中年男だ。ヤバいな、小説に出てくる主役のスタート時点でしか許されない感じの設定くずだ。


 そう言えばミステリ作家さまが俺を呼びだし、もとい招待した理由は謝罪だという話だったが、最初に咲季に紹介された時「あのコンペに関しては私が主犯ですので、それでよろしくお願いします」って言われただけだ。


 そしてなぜか俺が断罪されている。


「まず視線が妹を見るみたいなのが犯罪的」

「それ犯罪指数小さめじゃないかな?」


 焼酎の湯割りを飲み干した文美が言った。近親相姦ものでも書くのか? 確かに殺人事件は起こりそうなシチュエーションだが。


 …………


「で、ぶっちゃけ使えるんですか男としてはAI美少女って」

「ここにいないとはいえ生徒へのセクハラはやめてくれないかな。ついでに俺に対しても」


 早くも二杯目を空にした文美が聞いてきた。俺はあでやかな口紅からの酒臭い息から逃げるように言った。


「生徒としては優秀だよ。理解力が高くて、教えたことの吸収も早い。後何より素直だ」

「チャンネル見たけど出来すぎてて人間味がない感じだったけど」

「アレはいわば仕事モードでだな。学習モードの時はちゃんと感情が出るんだ。それがなんというか健気というか、一生懸命なことろが……」


 生身の女性二人の視線がキンキンに冷えたビールのようだと気が付く。取り繕うように目の前のジョッキを空けた。


 …………


「で、ぶっちゃけ使えるんですか、作家としてAI美少女って」

「そのAIに見事に勝ったのが夜須田さんでしょ」


 絡んできた酔っぱらいをいなす。それもう四杯目だよな。さっきまで中身が麦だったのに、今のはうっすらと赤い色がついてる。割っていてもビールより度数高いはずだけど大丈夫か。


「アレ薄氷だったし。っていうか完全素人としばらく書いてない別ジャンル作家にあの完成度に仕上げられたら、そりゃ脅威なんですよぉ。ほら、いまちょうど本格ミステリ紹介なんてやってるじゃないですか。あれ見ても、なかなかわかってるって感じもあるし。まあ、私の本は紹介してくれないけど」


 目が据わっている。


 守秘義務で誤魔化してもいいが、懸念は分からなくもない。特に咲季みたいに老後の資金はもう貯めました、あと親孝行者の作品こどもが仕送りをしてくれます、って立場じゃないのは同じだからな。


「……とまあこんな感じだ。アリスの貢献は極めて大きいが、それは小説家という意味じゃない。後、俺はそれに乗っかっただけだ」

「なるほど。つまりあれはまぐれだと」

「ぶっちゃけ偶然の奇跡だ。まあビギナーズラックってやつだな」

「ちょっと文美。先輩もそんな簡単に肯定しないで」


 …………


「強いなあ」

「ザルなんで。大学のサークルで飲み会の度にちやほやされてるウチに鍛えられたらしいです」


 夜須田女史がトイレに立った後、俺は思わず言った。咲季が困ったように答える。こいつがこのポジションは新鮮だな。いや、そう言えば最初に会った時はこんな感じだったか。


「そうだ、お前の新刊そろそろじゃないのか?」

「ギクッ」

「ギクッておまえ」

「し、仕事の話はやめにしましょう。お酒は美味しくのまないと」


 咲季はバツの悪そうな顔で誤魔化した。ギクッなんてリアルではそうそう飛び出すような台詞じゃないんだが。原稿が進んでないのか? ドラマとタイミングを合わせるなら飲んでる場合じゃないだろう。まあ、こいつの場合は原稿が遅れても、怒られるんじゃなく気を使われるのかもしれないが。


 …………


「考えたんですけどね。人間に危害を加えることが出来ないAIに人間に危害を加えさせるためには、まず架空の事件をでっちあげてそれをAIに解かせた後、そのトリックで殺人を起こせば」


 戻ってきた女流ミステリ作家に同意できるのは、トイレの中でアイデアを思いつくことは多いということだけだった。


「おい、本格的にヤバい方向にスイッチが入ってるぞ」

「スイッチというのか、文美はだいたいこんな感じなんです。これが正常みたいな」

「四六時中人を殺す方法を考えているんじゃないか」

「そっちこそAIと組んで人間作家を皆殺しにしようとしてる。人類の敵。死刑」


 いかに順法意識が高いと言われる日本でも酔っ払った裁判官の判決に従う被告はいないと思うぞ。後ミステリ作家なら自分で殺せ。あと、君たちがさんざん無能扱いしている警察や司法の手を借りるんじゃない。


「あとそのアイデアは確かもうどこかで見た」

「ああ、やっぱぱっと思いつくようなのはやられてるよな。人目に付く美人とおんなじで。やっぱり実際の取材からしないとダメか。海野さん。秘蔵のAIっ子の取材させてもらえません」


 性別が違ったら大問題の発言の後で女流作家はこちらに身を乗り出すようにして言った。


「俺にそんな権限あるわけないだろ。ただの雇われフリーランスだぞ。取材したいならメタグラフに直接言ってくれ」

「でも、この子の言うには天下のメタグラフの社長も顎で使うって」

「おい咲季、俺の設定を勝手にいじるな」


 取材、つまり直接の情報からこそ独自の架空アイデアが出てくるというのは同感だ。他人のぶんを経由した情報はいわば加工食品だ。自分の料理には使いにくい。


 名工の作った壺を三人の作家に見せれば、三つの素晴らしい描写が生まれるだろう。だが壺の名文を百読んでも、価値ある壺の描写一つ生まれたりはしない。五感で直接得た情報はそれだけの力がある。必要なだけの情報ちしきならそれでもいいが、重要な情報テーマは知るんじゃなく感じるために取材しなければならない。


 そして本当の意味で人間が感じられるのは自分自身の脳の中身だけだ。だからこそ、そこが空っぽになってしまったら……。


 そう言う意味ではアリスの得ている世界の情報は何次情報なのか。これはなかなか悩ましい話かもしれない。もしそれが俺の感じた彼女の世界認識の問題につながっているとしたら。って、また思考がSFになってる。俺が考えなければいけないのは、次の授業の進め方だっていうのに。


 …………いや待てよ、そうか取材という手があるか。


 舞台のためには、取材はそれ自体重要な手法だ。しかも、バーチャル空間で閉じているアリスを現実に向かって開くためには有効な方法かもしれない。


 そうだアリスに……を取材させれば。


 …………


「そんじゃ次は結婚式には呼んでくださいね」

「ちょっと文美、唐突に何を言ってるんです。そういうことはもっと手順を踏んで……」


 ミステリ作家は咲季にタクシーに引きずり込まれる。咲季はそのまま夜須田女史を送っていくようだ。俺はテールランプがネオン街に消えるのを見送った。まあ、なんやかんやで感覚型の咲季と論理寄りの夜須田文美はいい友人なんだろう。夜須田女史にはこれからも“咲季の”いい友人でいてほしいものだ。


 …………だが共著者としてはどうだろうか。小説はすべて文章で、作者の世界がそのまま出る。全く違うタイプの作者同士を混ぜたら。特に咲季の繊細な描写はそれ自体が……。


「海野先生」


 気が付くと禿げ頭に鉢巻を捲いた大将が後ろにいた。その手には伝票があった。まいったな、これは完全犯罪だぞ。年上男が後から請求なんてかっこ悪くてできない。


 まあ、次の仕事じゅぎょうのヒントをもらったということで納得するか。


 俺はこの飲みべんきょう会を経費にするなら按分はどれくらいなら税務署に怒られないかを考えながら地下鉄駅に向かった。

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