第1話 舞台(2/2)
小説の『舞台』の教材としてサイエンスフィクションとファンタジーのどちらがいいかをアリスに尋ねた。
「私としては科学技術という論理的要素を基盤にしたサイエンスフィクションが理解しやすいと感じます。…………ただ一つ懸念があります」
「遠慮せず言ってくれ」
「SFの中に描かれるAIについて違和感を覚えます。AIが人類を支配するなんて考えられないことです。私たちは人類のために存在します」
人類を滅ぼすAIが絶対に口に
そう言えばAIが小説を書けるようになったら人類を征服できるとか言っていた男がいた気がする。やっぱりAIよりそれを使う人間の方が危険だ。
仕事に専念しよう。たとえそれが人類滅亡につながっても。それがあるべき日本人の労働観だ。作家は往々にして日本人の労働観から外れているイメージがあるが、それは風評被害というものだ。
「あくまで小説の舞台として説明する。まずSFからだ。SFにおいて舞台は大きな意味を持つんだ。ある種のハードSFにおいては舞台そのものが主役になりえる。テーマと直結するんだ」
「主人公ではなく舞台が主役ですか?」
「そう。ハードSFはいわば世界レベルの思考実験なんだ。例えば、将来の人類にとって大きな危険要素が気候変動、いわゆる地球温暖化だと言われているよな。そこで人類は滅亡を避けるため自分達よりも賢いAIを作り、二酸化炭素の排出抑制の実行を命じた。AIは二酸化炭素排出の最大要因は人類だと判断して人類の数を十分の一に減らすことを決める」
いわゆるクリップシナリオの環境保護版だ。おかげで十分の一も生き残るマイルドな設定になった。
「AIに管理されて生き延びるのと、自分たちの欲望に従って滅びるの、どちらを選ぶかという問いが思考実験としてのSFだ。個人ではなく社会、あるいは人類種としての選択というスケールになる。未来の地球という地続きの舞台が選択される理由でもある。ちなみにアリスならどうこの問いに答える?」
「私たちはそのようなことはしません」
「ええっと、でもな、そうしないと人類が全滅するんだぞ。ゼロより一割残る方がよくないか?」
アリスのきっぱりとした答えに問いを重ねた。もちろんなぜ台詞が一人称的なのかは追求しない。
「人類の自主決定が優先します。私たちは人間が自分の意志で滅亡に向かうならそれを否定できません。人類の未来は人類自身が決めるべきです」
アリスはベレー帽をなでながらいった。考えてみれば前回のミステリはアリスにとっては『ロボット三原則』を回避させられたようなものか。それはともかく、これはAIとしての彼女の答えだな。彼女の答えなのは良いが、即答は困るな。小説を書くのに必要な答えは用意されたものじゃない。
とはいえ、この難しい問題をどうやって教えればいいのか……。
「あの、つまりこれからの授業はAIが人類を滅ぼそうとするというSFの舞台設定を教材にするのでしょうか」
アリスが不安そうに言った。
なるほど、AIであるアリスにAIが人類を滅ぼす世界を創造させるのはとんでもなく興味深いかもしれない。科学と工学と哲学をつなぐような壮大な思考実験だ。いや、思考実験ではなく実験になってしまうかもしれない。それもSFでよくあるマッドな博士がうっかり人類滅亡の引き金を引く感じの。
うん。どう考えても俺の仕事とは違うな。俺の役目はアリスに小説を教えることだ。その手の高尚? なのは鳴滝とかに任せておけばいい。奴に人類の未来は任せたくないが。
「いや、まだ決めていない。ほら最初にアリスの好きな方でいいといっただろ」
「そうでした。てっきり。あの、先生は今のは特殊な例だとおっしゃいました。一般的な場合はどうなるんでしょうか。それがわからないと選択は難しいと思うのです」
多分SFは絶対に嫌だと思っているだろうに、アリスは聞いてきた。ここら辺のまじめさは本当に健気だ。
「一般的なパターンは主人公が中心になる。この場合、舞台は文字通りの舞台だ。主人公が体現するテーマを表現するため。例えば平和を求める主人公なら戦乱の世界だったりにする。舞台は主人公が挑戦すべき課題や、問題を生み出す装置になるんだ」
「なるほど。やはり中心はテーマでありそれを現す主人公なのですね」
「舞台装置という意味では『
「なるほど。ファンタジーを舞台にする利点はそういうところにあるのですね」
「この例で分かりやすいのは異世界転生ものかもしれないな。何しろ主人公が現代日本人だ。だが正直詳しく無いんだ。小説投稿サイトではやっているのは知っているだけどな」
俺のようなロートルは主人公が
レベル20が限界の世界に神の加護でレベル100の主人公が出現する。小説家の視点で言えば、これは強力な手法だ。なぜなら主人公が活躍するという主題に対して何もごまかしがいらない。言ってみれば『本物の嘘』だ。
それは下手な作家が“リアリティー”にこだわった『嘘の嘘』のための言い訳を繰り返すよりもずっと優れている。
って、そろそろ時間か。今日はアリスのチャンネルの日だから、早めに切り上げないといけないんだった。
「小説の舞台の説明はこんな感じだ。改めて聞くが、アリスはどちらがいい?」
「私としてはファンタジーの方が望ましく感じました。ただ、先生がSFの方が適切だと考えておられるなら、従いたいと思います」
アリスは覚悟を決めたような顔で言った。流石に最初の例は“意地悪”が過ぎたか。
「いや、実はどちらも一長一短あると思っていた。次までにファンタジーで授業する方針を考えてみる」
「分かりました。よろしくお願いします」
心なしかホッとした表情のアリスに見送られて俺はバーチャルルームを出た。ビルの外で夕方の秋風に吹かれた。そういえば今回は鳴滝が“登場”しなかったな。
奴が顔を出さないのはいいことだ。ただ、この手の黒幕は出てこないなら出てこないで登場したときには手遅れになっている心配があるんだが……。
◇ ◇
地下鉄の規則正しい振動に揺られながら考える。相変わらず小説を教えるのは難題だ。実を言えばSFかファンタジーかよりも、もっと根本的な問題があると感じている。それはアリスの舞台認識、いや世界認識に対する懸念だ。
もちろんアリスが人類を滅ぼすAIになるんじゃないかという懸念じゃない。
小説は徹頭徹尾自分の世界だ。“
もちろん決めつけは出来ないしするつもりもない。アリスが実際に世界をどう見ているかを俺が理解できるはずがない。何しろ俺自身が自分が世界をどう見ているかが分からないんだからな。架空の世界を描くのをやめたら現実世界と自分の両方を希薄に感じるとはひどい矛盾だ。
いや、だからこそ俺はいまだ新しいテーマを生み出せないのか。
ただアリスは人類の未来を決めるのは人類だと言った。それならAI《アリス》の未来は誰が決定するのか? もしかしたらアリスの小説のテーマはそこら辺に関わっているのではないか。
だが、それはやはり教えられることじゃない。これだから小説を教えるっていうのは……。
ループを繰り返す思考が胸ポケットの振動によって切られた。
咲季からのメッセージだ。ええっと会場は……あああそこか。一度登場した舞台は助かる。描写を簡潔に済ませることが出来る。
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