第三章 舞台の中心
第1話 舞台(1/2)
2023年4月5日:
予定よりもだいぶ遅れましたが第三章開始します。よろしくお願いします。
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夏の盛りを過ぎ秋へと向かう空気の変化を感じるにはこの街は少し余白に乏しすぎる。
自分たちの繁栄は永遠だと言わんばかりの現代版バベルの塔からの光景に、
神にとって言語を分断するのと酸素を有料にする事のどちらが建築騒音対策として安上がりだったか考えながらメタグラフに入った。オフィスで九重女史と最近の『アリスの読書会チャンネル』についていくつか言葉を交わした後、現実離れした仕事場に向かった。
ドアにカードをかざした時、神が言語を分けなければ日本語も生まれなかったことに気が付く。つまり小説家としては肯定するしかないということだ。しかしそうなると言語の分裂の前の共通語が問題になる。はじめに言葉があった、ということから神の言葉がそれだったのだろうか。
なるほど、古代魔法語的なファンタジー設定の根源は
部屋の中で光の粒が凝集するようにして現れた黒髪の美少女を見て、俺はそんなことを考えた。
アリスは七分丈の白のワンピースと黒いロングスカートという服装だ。胸元の臙脂色の紐ネクタイが上品だ。机にベレー帽を置いている。彼女の長い黒髪に赤のベレー帽が似合うことは最近のチャンネルを見て知っているが、どうして持ち込んでいるのだろうか?
「新しい授業に入る前にアリスに確認しておきたいことがある。これまでの学習で小説の面白さや小説のテーマについて、理解はどこまで進んだかだ」
生徒に尋ねた。アリスは小さく小首をかしげて考える。人間にしか見えない仕草と、彼女がこの瞬間にしている、おそらく人間とはだいぶ違う量と速度の
「これまで私が学習したことは小説の【テーマ】や【コンセプト】、そして【主要人物】と【舞台】という基本構造をベースに、小説の説明ではなく感想を生み出すこと。そして執筆中の小説が生き物のように変化するということを知ったということです」
「ああ、小説を書くにはまず読者にならないと話にならない。それに完成後の小説と執筆中の小説がある意味別物だということは実際に体験しないとわからないからな」
「はい。どちらも以前の私には想像もできないことでした。得難い
アリスは眩しいほどの信頼のこもった瞳と大げさな言葉を俺に向けた。書けない小説家には過分な賛辞だが、どうして机の上の帽子に手をやるのだろうか?
「五十万冊以上の小説を学習した私が本当は一冊も読んでいないと指摘された時はショックでしたが」
「もう少し配慮した言い方をしたと思うが……」
「探偵役だと言われて推理をしていたら殺人計画を立てさせられていた時はもっとショックでしたが」
「あれは不可抗力だ。そして不可抗力が小説を作ることがある。むしろ不可抗力でしか作れない部分があって、それは教えられないけどな」
アリスは疑わしげな眼で俺を見ると机に置いた帽子を白く綺麗な手で撫でた。もしかしてそのベレー帽は“自分は犯人ではなく探偵だ”というアピールなのか。
「私の読書会のチャンネルにも良い影響が出ています」
「そうだな。名探偵アリスなんて言われてるじゃないか」
「はい。容疑者アリスと言われなくてホッとしています」
「もしかして未だ根に持っている」
「根に持つなどとんでもありません。先生の意地悪の数々には本当に感謝しています。そもそも先生がいなければ、今私はここに存在していません」
大げさな。まあこの部屋がアリスの集中治療室と化した時は確かに肝が冷えたけどな。それはともかく「自分の意地悪さに自信をもって」と言われるのはAIと接したからこその体験だろうか。万感の信頼と拭い去れない不信というのは両立するものらしい。
「……小説を理解するという面においては進歩ありとしておこう。となると本題であるアリス自身の【テーマ】だな」
この表現が正しいかはわからないが、アリスの中に小説に対する主観とでもいうべきものが育ってきていることを感じる。おそらく読書会のリスナーも感じているはずだ。
「はい。これほど重要なことを教えて頂いたのに、いまだ小説のテーマを得ることが出来ないのです。いえ、知れば知るほどわからなくなってしまうように感じます。私自身の能力に致命的な欠陥があるのかとすら思うのです」
アリスは一転してシュンとなってしまった。すぐにでも慰めてやりたいという気持ちを掻き立てる姿だ。俺が小説家でなければ思わずそうしたかもしれない。
「あの時言ったように小説家は自分の小説の答えを知らない。つまり、アリスが小説家になったとしたら、自分の小説の答えを知らないことになる」
「先生は理不尽に論理的です」
理不尽なのは
小説を書くために一番重要なのはテーマ、技術や知識はあくまでそのテーマを表現するための道具。そして、テーマ自身は教えられない。これに関して相手が現実離れした可憐なAIでも譲るつもりはない。
そのテーマが人間とは全く違う方向で現れるとしても、いやだからこそアリス自身が生み出さなければならない。アリスが書かなくてはいけないのはアリスの小説だ。
「分かった。これまでの流れにもどろう。前回の『毒と薬』は基本的に主人公、つまり主要キャラクターに焦点を当てた。次は【舞台】だ。キャラクターと舞台で小説の基本要素がそろう」
これまでアリスに接してきて、俺は彼女にテーマがないとは思えない。この子がテーマを生み出す過程にある、あるいは自分の中にあるテーマを掘り出す方法を知らないのなら、そこに俺の仕事がある。
そして、俺が教えられることはあくまで個々の要素に関する知識と技術だ。
「予定通り『舞台』の授業ですね。わかりました」
「いい返事だな」
「はい。『舞台』は外的で固定的で単純化されたデータと考えられます。前回のようなことは起こりえない安定したものです。迅速に学習が進むと考えていますので」
「…………なるほど」
直前まで理不尽さを訴えていた生徒の一転して自信ありげな表情。実にイジメ甲斐が……、って生徒のシーンに飲まれてどうする。キャラクターはブレては駄目だ。そもそもこれが小説なら主人公のアリスが成長することはドラマだが、メンター役の俺まで変わっては話がまとまらない。
それにアリスの言葉には一理ある。舞台が安定していてこそ、その上でキャラクターが縦横無尽に動くことが出来る。だが一方で小説における舞台は固定した外界とは正反対、内的で変動する存在だ。
これは小説が全ての表現を文字で行うことともつながっている。乱暴に言えば小説の舞台描写はすべて情景描写の要素を含む。いや、小説において舞台とはある意味もっと……。
駄目だな。言葉で説明は出来ない。特に、今のアリスのような認識の場合は。やはりこれまで通り体験してもらうしかない。
「『毒と薬』はトリックに集中するために現実に一番近い現代日本を舞台にした。今回は舞台自体が対象だから、逆に架空の世界にしようと考えている。候補としては『サイエンスフィクション』か『ファンタジー』だ」
「確か前回そうおっしゃいましたね。理由についても理解できます。先生らしい論理的で合理的な選択です。ただその二つは対照的だとも感じます」
「ああ、どちらも現実と大きく違う舞台だが、SFはこの宇宙の未来つまり延長線上にあることを想定される、一方ファンタジーは全く別の宇宙だ。ただ共通点もある。その世界を存在せしめている大きな柱が一つあることだ。SFの場合は超科学技術、ファンタジーの場合は魔法が代表だな」
発達しすぎた技術は魔法と区別がつかないという言葉を残したSF作家がいるくらいだ。実際、目の前に発達しすぎた技術が存在している。AI物のSFを書くのは難しいを通り越して無理なんじゃないかという気になっている。事実は小説より奇なり。
「アリスはどちらがいいとかあるか」
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