エピローグ
「という形で本格ミステリ紹介シリーズを考えているんですよ」
「…………ああなるほど。コンペの話題が冷めないうちに、ってことですね」
慎重に答えを選んだ。弁護士が来るまで黙秘するといいたいが、作家は編集者にそんな強い態度はとれない生き物だ。それが元編集者だとしても。
「アリスも少し前まではやる気だったんですよ。「海野先生に本格ミステリについてしっかり教わったから大丈夫です」といって」
「そう言えば授業の時に聞きました。アリスは優秀ですから」
「実はすでにいくつかのタイトルにOKをいただいていまして。先方にもとても期待されているんですね」
ビジネススマイルからの圧は取調室に出てくるカツ丼が二重載せくらいの迫力がある。今どきフィクションでもそんなシーンはないけど。
「私には無理です」
作家と編集者の力関係は説明した通りだ。今のは少し離れたところで人間たちの話を聞いていたアリスの発言だ。九重女史の圧力が増した、俺に対して。
おかしい。俺が請け負った仕事はアリスに小説を教えることだったはず、何ならコンペも業務外だった。日本企業の欠点はセクト主義というが、
「ええとだなアリス。今回アリスが真理亜をやったことで、本格ミステリの内側から学んだことが色々あるんじゃないか。その確認というか復習としてチャンネルで本格ミステリを、というのはありだと思う」
あくまで小説の教師役としていった。俺の言葉にアリスは曇顔をわずかに上げて、思考の姿勢になった。
「確かにそうかもしれません……。ですが危険なことのように思えます。どうして真理亜があのようなキャラクターになったのか、自分でも理解できない状態ですから」
自分が知らない間に、自分が知らない自分が、友人を殺すための綿密な完全犯罪を企んだ(ことにされた)。本当ならサイコホラーだ。
とはいえ、そんなことを言われたら俺の立つ瀬がないのだが……。
「芽衣子はあくまで小説世界のキャラクターだ。アリスは実際の人間に危害を加えようとしたわけじゃないだろ。厳密に言えば、小説内ですら後からそういうことにしただけだしな」
俺もアリスも真理亜を殺人の共犯になどするつもりはなかった。
例えば最初に二話連続で雨の日にしたのはプロット上の必然でもなんでもなかった。あれは梅雨明けで事件は既に起こっていたはずだった。芽衣子に最後の晩餐として差し入れた手料理に至っては、タイムマシンで
いやまあ、芽衣子のことをなんか扱い薄いな、とは当時から思っていたけど……。
「ですが真理亜は芽衣子という人間に良くない感情を抱いていたのです。私が人間に対して抱くことは倫理的に問題になる感情ベクトルです。にもかかわらず解決編の私は…………」
「いやまあ、アレは真に迫っていた…………コホン。真理亜もフィクション中の存在だ。倫理的な問題とは直接は結びつかないんじゃないか」
そうじゃないとミステリ作家は全員死刑だ。とはいえアリスにとっての境界がどうなっているのかは俺には理解できないかもしれない。彼女は物語の中ですら
「先生のおっしゃることは論理的には理解できます。ですが小説のことだとしても、もう一つ問題があります。私は小説がよりわからなくなりました。先生の論理的で合理的な美しい
アリスはまるで救いを求めるように俺を見た。
「先生は本当は全部最初から計画していたのでは。
「本当にそう思うか?」
「……いいえ」
悪いが譲るわけにはいかない。あれを計算でやれるならそれこそ本格ミステリ作家になる。編集との力関係が逆転するくらいの作家になれそうだ。
そもそもニセモノの俺に本物の真理亜を生み出すなんてできるわけがない。あれはアリスの中から出てきたキャラクターだ。
「今の言い方だとアリス自身も最初のプロットよりも最終的に出来上がった『毒と薬』の方がいいと思っているんじゃないか」
「…………はい。いえ、ですからそう判断せざるを得ないことに困惑します。あの時の二回目のサンプル話で私は大量のリソースを吸い取られた挙句に失敗したはずだったんです。なのに……」
「小説家は答えを知らないって話をしたよな。今回アリスの知らない真理亜が出てきたってことはアリスが一歩それに近づいた。俺はそう思う」
「遠ざかったように思えるのに、近づいたのですか」
「近づいたから距離が分かるって感じかな。悪いが俺にはそうとしか言えない。大事だけど、教えられないんだ」
分かるのは小説の執筆は“ああでなければならない”ということだけ。彼女の受けたショックの大きさは、彼女が得たものの大きさだ。理屈じゃない。解決編の真理亜は間違いなく素晴らしかった。山岸と真理亜のどちらが本当の主犯だったのだろうか、という余韻を作り出すほどの真実味。
あれこそがあの小説の中にあった本物だ。俺はそれを写し取っただけではなかったか?
右手が拳を握っていたことに気が付き、あわてて解いた。
「今回アリスが学んだことは意味がある。そうだな、チャンネルに活かすことで客観視してみるのはどうだ。そしたら少しは整理できるんじゃないか」
「…………なるほど。そうかもしれません。分かりました。先生のお言葉に――」
「あっ、ヤンデレサイコパス」
前を向こうとしたアリスの目から光が消えた。バーチャルルームの入り口にベースボールキャップを深くかぶった栗色ショートの女性が顔を出していた。
「咲季どうしてここに?」
「えっ、あ、ああ。えと、それはその、何と言いますか……」
後輩の“超”売れっ子作家はビクッと体を震わせた。犯行現場にもどった犯人が刑事と鉢合わせたみたいに。傍若無人を小説に書いたような咲季が狼狽えているのは珍しい。
「私も疑問を持ったのですが」
咲季が言いよどんでいる間に復活したアリスが領域への侵入者に問いかけた。
「……なんですかピコピコ」
「敵対者であるあなたがどうしてメタグラフに顔を出したのでしょうか?」
「おいおいアリス、敵対者は違うだろう。咲季にとってはあれは仕事だぞ」
「い、一体何の話をしているのかさっぱりです……」
咲季は露骨に目を逸らした。俺以外の作家に絶対にやるなよ。今のお前の絶好調な状況なら同業者から殺意を買う。リアルにミステリはいらないからな。
「何の話も何も『死角の色は』のもう一人の作者、深淵有希(笑)だったか。お前じゃないか。映像化二作品目とはすごいな」
倒叙の探偵の気分で言った。『死角の色は』の四型色覚者の絶妙な視覚描写は、凶器についた指紋並みに持ち主を現す。ちなみにネット上でも気が付いている
「……この度大恩ある先輩に刃を向けたこと、万死に値します」
「次は時代劇でも書くのか? 仕事熱心だな。まあこの仕事人気がある時に無理しないと……」
「仕事の話じゃありません、謝罪です。だいたい発表会では文美がその、いろいろと失礼を。最初に先輩の解決編を見た時は「やられた、やられた」ってうめいていたんですよ」
あのヤンデレアリス、じゃなかった真理亜には本職も一瞬は持っていかれたか。そうだろうな。あれは本物だ。再度力のこもった拳を慎重に解く。
「コンペのことならこっちは仕事が無事に終わって一息ついたところだ。実はだな……」
「そんな!! 新作が書けなくて悩みぬいたストレスでAIの甘言に乗って歪な小説に手を出して仕事と言い張っていたんじゃ」
「比喩が長くてくどい。とにかく最初からそういう目的の仕事なんだよ。言っちゃなんだがアリスには実戦練習のつもりでやろうっていってたくらいだ」
「なんだそうだったんですね。いやでもそれって結局ピコピコのためだし…………。あれっ、じゃあなんでピコピコは落ち込んでるんですか、まるでメンヘラみたいに?」
「そこは黒須さんの指摘通りなんだよ。半分越えたかくらいの所でアリス……じゃなかった真理亜が勝手に動いた。で、アリスにはそれがいろいろショックみたいで」
「でも、そういうことは普通にあるでしょ。こいつがどんなキャラかなんて書いてみないとわからないし。いいことじゃないですか。いいことじゃないけど」
「どっちだ。まあそうなんだけどな」
頷き合った二人の作家を困った顔で見ているアリスに向き直る。
「というわけでだ、あれは小説の執筆ではよくあることなんだ。小説は作るんじゃなくて育てるものなんだ。キャラクターが勝手に動くっていうのはそういうことなんだよ。ただでさえ『毒と薬』は俺とアリスの二人で作った。ええっと、そうだな創発的なことが起こっても不思議じゃない」
「そうそうピコピコにはちょっと早かったかもですけどねー」
俺の言葉に考えていたアリスははっとした顔になった。
「わかりました。つまり『毒と薬』は先生と私が育てた子供、ということですね」
「あ、ああ。まあそんな感じの理解で――」
「聞き捨てならないことを。弟子を名乗るのすら許しがたいのに」
「合理的な結論です。そもそも作家にとって作品は子供のようなものといいますし」
「その発言が素人なんです。それだと作家は子供が稼いだお金をピンハネしてる最低の親になるでしょうが。だいたい文美の言ったことが正解なら『毒と薬』はピコピコが暴れたのを先輩がまとめ上げたんでしょう。あんな離れ業が出来るのは先輩だけなんだから」
「それはもちろんです。私の先生ですから」
「弟子属性も手放さない。これは……近親相姦!?」
「おい待て咲季。お前絶対フィーリングだけでしゃべってるだろ」
「いいえ、このピコピコはやっぱり危険です。そうだ、あの後真理亜は山岸も殺しちゃうんでしょ。きっとそうだ」
「なんという非倫理的な、違いますから」
作者二人を前にして最悪のバッドエンドに改変した咲季。アリスが青くなって反論する。さっきようやくまとまりかけたのに、勝手に続編を作るんじゃない。いやまあ、そういう結末が浮かばなかったかといえばだけど。
俺は視線で九重女史に縋った。彼女は担当外だと言わんばかりに視線をそらした。そう言えばこの二人の対談企画は没になったんだよな。その時、アリスの口からとんでもない言葉が飛び出す。
「そんなことをするくらいなら、私の中に今回生まれたものはウイルスとして駆除します」
「待て。それを――」
「それを捨てるなんてとんでもない、ですよね。海野先生」
台詞と共にエリートが入ってきた。お前はどちらかというと「この鍵はもう必要なさそうだ、捨てますか」の方じゃないのか? その鍵に俺の名前が書いてあっても驚かないぞ。
「裁判のことはどうなったんだ?」
「リーガル
「AI研究者的には今回のコンペは見ものだったんだろうな」
さんざん裁判ネタでこちらを脅したくせに他人事のような鳴滝を皮肉った。この男は編集者ではない。ただの雇い主なので怖くないのだ。
「所詮VIAは目的を限定したViCの劣化コピーです。特に予想を超えることはありませんでした。興味深かったのは先生のやり方ですね。アリスからあのような人格を引き出す。まるで文章を用いたシミュレーションだ」
鳴滝は咲季と向かい合っているアリスを見た。
「アリスにとって今回の挑戦は良い結果になったでしょう。私としても色々大変でしたが、そこは満足です」
いやしくも専門家なら言葉は正確に使うべきだ。挑戦ではなく
「相変わらず小説には興味がなさそうだな」
「興味がありますよ。小説の執筆も読書も、それが人間にとってどんな意味があるのか」
「そういう哲学は小説を読んでから言って欲しいな。愛読書の一つも上げな」
世の中には相手が小説を書いていると知ると直木賞や芥川賞を目指せという人間がいる。お前らは受賞作を一つでも読んでいるのかと聞きたい。
「それよりも次の課題はどう進めるつもりですか?」
鳴滝の言葉にアリスが俺の方を向いたのが見えた。
「……今回が主人公だったから、次は舞台だな」
SFかファンタジーか、『毒と薬』と違い完全に架空の舞台を創造するという形になるだろう。問題はアリスと相性がよすぎるSFと正反対のファンタジー、どちらが教育効果が大きいかだ。
「実に興味深い。期待していますよ」
鳴滝は頷き「新しい契約書です」と一枚の紙を手渡してきた。表記された時間当たりの単価がまた上がっている。金払いだけは本当に申し分ない。おかげで魂を売っているような気分になる。
現金にも口をつぐんだ俺を見て、鳴滝は用が済んだとばかりに踵を返した。だが、その足が入り口で止まる。
「ちなみに私の愛読書は『白鯨』です」
振り返りもせずにそういうと、鳴滝はバーチャルルームを出ていった。
愛読書まで胡散臭いのは勘弁してくれ。誰もが知ってるけど誰も読んでいない小説の世界ランカーじゃないか。
ため息をついた後、俺は渦中の二人を振り返った。「あんなヤンデレの本性が出るなら、もう小説書けるでしょ。センパイを解放しろ」「私は今回小説の中の一部分を担ったにすぎません。まだまだです」。いまだ言い争いを続けている二人に九重女史がようやく「まあまあ早瀬さん」となだめにかかっていた。
鳴滝に同意できることがあるとしたら一つだけだ。今回の実戦練習は確かに上手くいった。俺はどうやらAIに小説を教えるのが上手いらしい。
ただ……。
「この中に二人、
ガランとした地下鉄の車内、座席に座った俺は自然に頭を垂れ、そして呟きがこぼれた。
三作品計六人の小説家の中に二人の偽物が混じる。まるで人狼だ。言うまでもなく一人はAI《リリー》である。
「我ながら今回の執筆は「離れ業」だったよな」
咲季の言葉を自嘲として吐き出した。あの真理亜を見てそこまで書いたすべてのストーリーを再構成した。完成まじかに現れた歪なピースにバラバラになりそうだったパズルを構成しなおし、全く違う絵を作った。
だが、それはすなわち曲芸ではないだろうか。
なるほど物理的なトリックは決めた。舞台は整えたし構成も作った。『毒と薬』の八割は俺が単独で作ったといえる。だが『毒と薬』の一番大切なものはアリスが勝手に生み出した真理亜だ。
黒須文美の推理で一番正しかったのはそこではないか。あの
宮本胡狼には少なくとも一作の小説を書くに足る独自の才能があった。
黒須文美は本物の本格ミステリを企画、構成した。
早瀬咲季は彼女にしかできない表現で読者を酔わせた。
いや創作支援に特化したリリーだって本物の
「つまり本当の偽者は俺だけということか……」
揺れる車内で頭を回る
だがあの時の、筆が勝手に動く感覚。あれは確かに昔小説家だった俺だった。アリスの言う通り、彼女が今回やったのはあくまで
結局答えは出ない。当たり前か、これは
そうだな、ならばもし彼女にそれ以外、つまり主人公が動き回る舞台の作り方を教えたら?
そうしたら教えられない
それはアリスに? それとも俺に?
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2023年3月16日:誤字修正の時に二章完結のご挨拶を間違って消したことに今日気づきました。失礼しました。再度下記に追加します。
2023年2月4日:
ここまで読んでいただきありがとうございます。
おかげさまで『AIのための小説講座』二章完結しました。楽しんでいただければ幸いです。
ブックマークや評価、いいねのなど応援感謝です。頂いた感想はとても励みになりました。誤字脱字のご指摘は本当に助かっています。
二章はカクヨムコンテストに向け開始したので切りのいいところまで書き上げることが出来て少しホッとしています。
さて、今後のことですが現在は三章の構想中です。三月初旬にスタートできればと思っていますが、現段階ではあくまで予定は未定ということにさせてください。
それでは改めて、ここまで読んでいただきありがとうございました。
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