第3話 取材

「他のViCをアリスが取材ですか。……それは、ちょっと難しいかもしれませんね」


 アリスの読書会の分析結果に満足そうだった九重女史の顔が曇った。編集者のこの表情は作家の心臓にとても悪い。


「ええと、理由は教えてもらえますか」

「それは――」

「ViC同士の一定強度を超える接触は禁止されているんですよ」


 回答は背後から来た。このオフィス、監視カメラとかついてないだろうな。いくら最先端だからって未来に先駆けてディストピアを作り出さなくてもいいんだぞ。


「ViC同士を共謀させると人類が滅亡するからに聞こえて怖いな」

「とんでもない誤解ですね。その程度で人類を滅ぼせるならAI研究者は苦労しません」


 その台詞、人類を滅ぼすのが目的のAI研究者のものに聞こえるんだが。俺がノンフィクション作家だったら、AI研究者への風評被害を広げてしまうところだぞ。


「小説の舞台設定を学習させるために、アリスの世界認識が問題になる可能性があると。なるほど。察するに環世界的な概念ですか」

「工学的に言えばアフォーダンスはありそうなんだけどな」

「むしろアフォーダンスに偏りすぎというべきなんでしょう」


 CEOルームに移った俺は鳴滝に目的を説明した。作家という文系の極みのような職業の俺だが、この男と対峙していると理系世界に引きずられてしまうのが厄介だ。大体、理系の人間は文系学問を学問と認識していない節があって…………。おっと、過去の俺の無知を断罪するのはやめよう。


「しかし、ViCにViCを取材させてフレーム問題を越えるという発想。小説家よりもAI開発者になった方がいいのでは?」

「稼げそうな肩書だな。ここでの契約が続くなら考えるか」

「メタグラフは小説家ではない海野先生には用はありませんが」


 小説家が聞いたら泣いて喜ぶセリフだ。鳴滝が俺の“小説”に用がないのは分かっているので感激出来ないが。


「とにかく、ここならそういう伝手があるんじゃないかと思ったんだが。難しいなら仕方がないな」

「いえ。実は抜け道がないわけではありません」


 鳴滝は少し考えた後、にこりと笑って言った。その表情は俺に蛇の道は蛇という慣用句を想起させた。その抜け道が人類滅亡につながってないか心配だ。


 ◇  ◇


 そのゲームメーカーの第0開発スタジオは千葉にある日本最大のコンベンションセンターに近接して立っていた。横長の緑の三階建てビルの受付で紹介状を渡すと、通されたのはスタジオ所長室だった。


 デザイナーズマンションのようなしゃれた空間だ。調度の類はほとんどなく、重厚なマホガニーの机の背後に一枚の絵が掛かっている。四角と三角の組み合わせにインク粒を飛ばしたような絵だ。ここに飾ってあるということは高価な品なのだろうが、良さは全く分からない。


 現代アート? は苦手だ。小説の舞台小物として出そうにもどう文章化したらいいか分からない。伝統的な絵画なら「窓からの光を浴びながら牛乳を注いでいる婦人」みたいに書けば済むのだが。


「メタグラフの海野です。今回はお忙しい時期にご協力いただきありがとうございます。梨園社長」

「とんでもない。鳴滝とは大学院の同期で、同じくViCで事業をしているもの同士ですからね。ああ、TFxコンペも見せていただきました。ゲームシナリオに関してAI補助という点で興味深く感じました。私の方こそ海野先生にはいろいろと教えていただきたいですな」


 絵の前に座る小太りの男が愛想のいい笑顔で言った。彼こそがここの所長兼ワールド・ジェネレイトの社長だ。


 梨園大機なしぞのだいき。鳴滝より六歳年上の四十歳。美術大学を卒業後に工学系大学院に進んだという経歴の持ち主だ。AIの応用研究で修士号を取得後にゲーム会社ワールド・ジェネレイト(WldGnrt)を立ち上げた。WldGnrt社はゲームへのAI活用のパイオニアとして急成長、二年前に経営難に陥った大手ゲーム会社を買収して今に至る。


 俺の感覚で言えば作家が出版社を買収したようなものだ。


 つまり鳴滝以上の成功者なわけだが、同じAI系経営者でも人類征服を企みそうにないタイプでよかった。机に立てられた家族写真は奥さんと子供二人。温かそうな家庭だ。背後の絵はよくわからないが。


「何よりあの鳴滝が技術“顧問”として信頼するほどだ」

「ははっ、私はあくまで情報収集要員ですから」

「いやいや、一度低下したViCのパフォーマンスを向上させるのは極めて困難なことは承知ですよ」


 AI技術者扱いに背筋が冷える。俺はあくまで状況把握のための下っ端インタビュアーのはずだ。鳴滝は紹介状になんて書いたんだ? 大企業経営者の言葉は例えれば「あの諸葛孔明めいぐんしの参謀を務める人物が来てくれた」くらい大袈裟だ。


 いや待て、諸葛孔明の参謀ってかの有名な登山家だよな。技術と知識だけの頭でっかちって、あってるのかもしれない。鳴滝が俺を切るときに涙を流す描写は想像も出来ないが。


「御社のメインタイトル『創世の魔術ジェネレイティブ・マギカ』はアップデートの度に大きく変化していくことが特徴ですね。世界の謎が解けていくストーリー進行と同時に、ゲームシステムがパワーアップしていく。ストーリーと世界設定の両輪のダイナミクスと言いますか、素晴らしいと思います」


 取材のため頭に詰め込んできた知識で何とか話を繋ぐ。


「流石作家先生、良く見えていらっしゃる。実は次章は世界の創造の謎に迫る展開になるんですよ」

「タイトル回収、ということは……」

「最終章です。いささか気が早いが感慨深いですね。わが社はこれで大きくなったようなものなので。だからこそ、これ以上の延期は避けたいのですよ」


 沖岳幸基の社会派ミステリなら、俺はインサイダー取引の疑惑をかけられる記者だな。俺が思いつくような小説を沖岳が書くわけがないから大丈夫だが。大丈夫じゃないのは、俺の肩に負わされたエベレスト登山家並みの責任リュックサックだ。


 大手ゲーム企業の看板タイトル。一日の延期がいくらの損失に該当するのか想像もしたくない。


 まあ、実際のメンテナンスは鳴滝こうめいがリモートでやるわけだが。羽扇をふったら東南の風がぶわーって感じで頼むぞ。


「そのゲームシステムの開発にViCが活用されているということですね」

「プレイヤーが魔法を使う時のインターフェースです。それがシオンが担当している部分です」

「ViCは一度に一カ所にしか存在できない。多数のユーザーが同時にプレイするオンラインゲームで可能なのですか?」

「……シオンの役割はいわばプロトタイプです。ローンチ時にはシオンを元にした簡易版コンパニオン、まあ世間一般的なイメージのAIインターフェースになるわけですね」


 梨園社長は怪訝そうな表情になった。ぼろが出る前に本来の仕事に移ろう。


「なるほど分かりました。では後は本人に直接」

「本人……。ああ。ええ、ではバーチャルルームにどうぞ。シオンはそこで待たせています」




「アリス。これからの授業しゅざいの段取りを確認する」

『はい。先生』


 社長室から出た俺はヘッドセットをオンにした。


「まず、午前中は俺がシオンにゲームのシステム、要するに舞台設定だ、について説明を聞く。昼休みにそれをもとに、アリスの取材計画を立てる。そして午後はアリスがViCに取材をするというステップだ」

『了解しました』


 WldGnrtの開発用バーチャルルームに入った。教室ほどの大きさの空間だ。俺の横にアリスが視覚化される。ある意味幻VRとわかっていてもやっぱりこちらの方がいい。


 ほぼ同時に、空間の中央にスーツ姿の紫髪のViCが現れた。アリスよりも少し長身の、モノクルを掛けた女性型だ。


 紫髪のViCは俺に向かって一礼した。


「ワールド・ジェネレイト社のシオンです。今回は私のパフォーマンスチューニングをよろしくお願いします。海野様」

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