第6話 鑑賞会(2/2)

 小説紹介チャンネル『アリスの読書会』の後半、感想回が始まる。俺にとってもこちらが本命だ。


 画面中をリスナーの感想テキストが舞う。面白かったとか、感動したとかという一言も多いが、中には原稿用紙半枚分くらいのものもある。


 いくつかの感想をアリスが読み上げる。自分の感想を朗読されたリスナーが喜び、周囲からはうらやましさや祝福の声が上がる。アリスは以前の別作品の感想との関連にまで言及している。常連リスナーはもちろん大喜びだ。


 もちろん、中には明らかに内容に無関係のもの、早瀬咲季先生は朝子みたいな美人らしい、とかもあるがご愛嬌の範囲だ。あまりにひどいのは背後で弾かれているのだろう。


 ちなみに咲季先生は美人というよりは可愛い系だ。隣にいる俺が言うんだから間違いない。


 なるほど、読書体験をオンラインで大勢が共有するための場として、いくつもの工夫が凝らされている。発言者が偏らないよう短文SNSのように文字数に制限した上で、アリスのコミュニケーション能力や外部記憶の活用で盛り上げながら捌く。


 多人数のテキストベースの対応なので、俺が体験したバーチャルルームでの一対一とは確かに精度は違うが、彼女の上品な魅力や対応が、この場の雰囲気を作り出している。


 画面の周囲の光量が心持ち落ち、中央に座るアリスがさりげなく浮き立つ。BGMが明るい雰囲気のものに変わった。周囲を舞っていたメッセージが消えていく。読書会のクライマックス、アリスの感想だ。


 固唾をのんで見守る。


 小説を書きたいのにテーマが存在しない、いやそれどころか小説の面白さも理解できないという彼女が、小説をどう認識しているのか。次の授業のために、俺はそれを見極めなければいけない。


『「真宵亭のお品書き」はヒロインの朝子が老舗旅館が誇る伝統料理の問題を解決するという物語です。朝子が彼女ならではの感性と思いやりの心で、伝統に新しい光を当てる活躍が魅力的です』


 朗読のような、聞きやすい綺麗な声で感想が始まった。同時に、背景に列車の写真が写った。


『勤めていた旅館から飛び出した朝子は、舞台である北陸の街までの列車の旅の中で、いろいろな人との出会いを経ます……』


 ストーリーの節目節目におけるヒロイン朝子の行動が順番に朗読される。読み上げられる部分は短く簡潔な文章が多いが、その分既読のリスナーなら読書記憶を思い出すし、読んでいないリスナーも簡潔なストーリーを押えられる。


 背景画像やBGMも交えて、あらすじ紹介の無味乾燥なところが全くないのも見事だ。ここら辺は九重女史の手腕もあるのだろう。


 …………


『「この料理に込められた長い時間を、伝統の芯を守るためには変わらないといけないんです」というクライマックスの言葉はヒロインの信念、この作品のテーマを現した象徴的なセリフだと思います』


 クライマックスに触れて、アリスの感想は綺麗に終わった。彼女が本を閉じる。BGMが戻ると、とたんに周囲に文章が舞い始める。


 「私もあそこは感動した」「そうそう、このセリフはスカッとしたよな」など、やはり少なからぬ人数が作品を読んでいるとわかる。未読リスナーも興味を持つきっかけになっているようだ。


 「今回はスルーするつもりだったけど、買ってみようかな」「会社帰りに買って追読します」という声も出ている。


 実際に放送の後でネット書店の注文がかなり増えるらしい。小説で盛り上がっている多くの人を見るのはホッとする光景だ。自分には関係ないのに変な話だが、これは仕方がない。俺が嫌いになったのは、自分の小説であって小説自体ではない。


 本題を忘れるところだった。彼女は小説のテーマやコンセプトはちゃんと捉えている。話の流れの把握も完璧だ。読んだ時の感情を俺も思い出した。


 まいった、何も問題は見つからない。彼女がお品書きという小説についてちゃんと理解しているのは確かだ。もちろん、小説を書くことと、紹介することは違う種類の能力だ。


 だが、彼女が小説に何も感じていないのに、これだけの盛り上がりを作れるだろうか。

 そう、俺には彼女に「小説の面白さが理解できない」というのが、理解できない。小説の面白さが理解できないのに、小説に何も感じていないのに、こんな風に読者との共感の場を作り出せるものか?


 もしそうだとしたら、彼女が小説の面白さを理解できず、テーマを持てないのは俺には理解不可能なA.I.の原理的な問題ということになってしまう。


「全然わかってなかったですね」


 画面上で続いているリスナーの盛り上がりに冷や水を浴びせる言葉が発せられたのはその時だった。


「えっ、そうか? 別に問題はなかったと思うけどな。作者は頭の中に全部の設定を持ってるわけだし、そりゃ完全に満足はしないだろうが」

「そういうのじゃないんですよ」

「…………いわゆる濃さはないな。でも大勢のリスナーに向けた最大公約数的な感想になるのは媒体上仕方なくないか?」


 それこそ咲季のような絶妙に生み出された表現や、聞いたこともないのにしっくりくる単語はない。だが、解りやすくて丁寧な文章で内容も的確だったはずだ。


「そういうのでもないです」


 咲季の横顔はオレンジジュースではなくコーヒーといった表情だ。作家業についてどこか引いたところのある彼女がこんな顔をするということは、本気でそう思っているってことか。


「うーん。お品書きの魅力って伝統に対して新しい方向から光を当ててみせる朝子の感性だよな。テーマとコンセプトをしっかりとらえているように見えるが……」


 だが、俺は自分の中に積もっていく違和感に気が付き始めていた。咲季の言葉を論理的に否定しながら、心の中が正しいのは咲季の方だと感じ始めている。キャラクターを無理やりストーリーに合わせて動かそうとした時のような、そんな違和感。


 経験上、こういう場合は大抵感覚の方、つまり俺ではなく咲季の方が正しい。


「アリスの感想は、テーマとコンセプトはちゃんと捉えているよな」

「…………」

 もう一度確認する。咲季は顔をそむけた。これは肯定だろう。


 感想を再生する。物語の舞台までの列車の旅、日本海に面した料亭など、雰囲気に合わせた背景画像と共に、ストーリー上の朝子の行動が語られる。さっきも感じたが、読者が頭の中で物語を反芻できるようにきちんと作られている。


 ……行動? 読者が反芻?


「先輩は朝子にとって最初の転機ってどこだと思います?」

「勤め先の旅館での最後のシーンだ。そう、あそこの描写は力が入っていたよな。朝子が運んでいた………………」


 俺は咲季がコースターのぴったり中央に置いたグラスを見た。ヒロインの朝子が新しい世界に飛び出すことを決める重要シーンだ。この時、朝子の心の中で大きな変化が起こる。


 だが、アリスが最初に朗読したシーンは、彼女が新天地に向けて電車に乗っているシーンだ。物語の舞台である北陸の街に向かうところ。確かに朝子の行動としてはここからが本番だが……。


「これ、事実を並べているだけか」


 違和感の正体が見えた。アリスの感想の本体はまるで歴史年表だ。織田信長が足利義昭を追放したという事実だけを書いてあって、その原因になったことや、その時の信長にどんな葛藤があったのか、まったく触れていない。


 感想ではなく、説明や解説に近い。


「でも、じゃあなんでリスナーはこんなに共感して盛り上がって……。ああなるほど、そういう仕組みか」


 俺やリスナーがチャンネルに共感できる理由は二つだ。一つは、自分たちが実際に『お品書き』を読んだ時の感情が記憶されているからだ。その感情をアリスの朗読は呼び起こす。人間の記憶は連想によってつじつまを合わせる。ストーリー上に明示されている“出来事イベント”をちゃんとなぞっているのだからなおさらだ。


「もう一つは演出だな」


 俺は動画を巻き戻し、目をつぶって彼女のセリフだけを聞く。


 背景やエフェクトが彼女のセリフに合わせていると思った。そうじゃない、彼女のセリフにないものを全部、背景やエフェクトが担っている。彼女が実際に生成しているセリフ自体は全部“説明”だ。


 アリスは作中に描かれた情報を翻訳しているに過ぎない。視聴者に彼女の感情を感じさせているのは、セリフじゃなくてBGMやエフェクト。そして何よりも、リスナーの中にある記憶や感情だ。


「なるほど上手い『編集』だな」


 うがった見方をすれば、アリスの感想の前に読者の感想をピックアップしたり、アンケートを使うのもそのためだ。


 もちろん、これは小説プロモーションとしては合理的で優れたやり方だ。実際、リスナーは作品に共感をもって一体化している。むしろ彼女は司会者として中立を保っているとすら言える。


 そう、小説の紹介者としてのアリスの仕事は申し分ない。だけど、小説の読者として彼女を見たら話は違う。


 アリスは小説から情報しか読み取っていない。正確に言えば、一番大事な情報を読み取っていない。なぜならそれは小説にちゃんと書いてある。アリスが説明した出来事の前に、あるいは出来事の中に、さりげなく忍び込ませてある。


 ただし、その文章の裏側に。


 分量にしたら全体の数パーセント、だけど一番重要で小説の魅力を決める文章。彼女はそのすべてを綺麗に無視している。


「咲季、お前の言ってることが正しいよ」


 俺はアリスは文章を読み取れるし生成できると思っていた。だが、彼女が読み取り、生成できるのは情報だけ。それも、表に出た情報だけだ。


 アリス自身が言っていたじゃないか「自分には小説の面白さが分からない」と。もしも俺の考えが正しければ、彼女は小説を書く前にやらなければいけないことがある。


「本当に助かったよ。お前がいてくれないと気が付かなかった。これで次の授業が出来そうだ」

「つまり、私をさんざん利用した挙句に他のでしの所に行くんですね」


 咲季はジト目で俺を見てから、これ見よがしにグラスを煽った。推しに貢ぐダメ男のキャラクター設定を変えてくれるつもりはないらしい。

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