第6話 鑑賞会(1/2)

 駅前で待っていた俺は、目の前に現れた自称後輩を前に戸惑っていた。


 二十三歳の女性作家は、栗毛の短いボブカットにマリンキャップを浅くかぶり、白いTシャツを腰のところで結んで、下は七分丈のジーンズだ。正午前の穏やかな陽の光に輝くおでこが眩しい。溌溂な彼女に似合う春らしいコーディネートだ。


 対照的に、俺を見る瞳はこれから来る梅雨を先取りしたようにジトっとしている。まるで締め切り直前に呼び出された作家のように不機嫌オーラを纏っている。


「ええっと、やっぱり忙しかったか……」

「いいえ。先輩のためならこの私、いつでも参上しますよ。先輩のためなら、ね」

「あ、ああ。助かるよ」

「はぁ。じゃあいきますよ。こっちですね」


 咲季は目的地のある裏通りに向かってすたすたと歩きだした。俺は黙って彼女の後ろをついていく。


 カラフルな休憩宿泊施設が並ぶ通りを過ぎること十分、受付で部屋を選んだ俺と咲季は、狭い空間に二人で並んで座っていた。


 咲季の手には水滴を滴らせたオレンジの炭酸飲料があり、ソフトクリームと交互に口に運ばれている。若者の食事の選択を心配せざるを得ない。ただ、相変わらずジャンクな食べ物でも綺麗に食べる。


 コーヒーを一口飲んだ。機械の前の説明ではチェーンのオリジナルブレンドらしい。俺の舌ではインスタントと何が違うのかわからなかった。


 作家にとってコーヒーはカフェイン含有量で価値が決まるものかもしれない。カフェイン錠剤やエナジードリンクに詳しい同業者があふれるわけだ。俺も今でも無性に高濃度のカフェインが欲しくなることがある。


 どうやら若人に忠告する資格はなさそうだ。仮に資格があっても今の咲季が耳を貸すようには見えないけど。とはいえ、このままじっとしているわけにはいかないんだよな。


「そろそろ始めてもいいか」

「普通もうちょっと雰囲気を高めてからじゃないですか?」

「いや、何を言ってるのかわからない」


 下手したら未成年に見えかねない、そうじゃなくても十歳以上年下の女性を狭い空間に連れ込んだわけだが、もちろんここは密室ではない。天井が吹き抜けていて壁で仕切られただけのブース、ネットカフェのツインシートである。


「まあいいです。私も締め切りとか、暇じゃないんで」

「いや、お前最初に予定聞いた時は朝まででも大丈夫だって……」

「言葉の綾って言葉知ってますか?」

「スケジュール確認にそれを使うと人間関係を破滅させるぞ。特に、そういう経験を積む機会がない若くしてデビューした場合は……。わ、わかった。さあ、始めるぞ」


 ジュースを一気に飲み干した咲季を見て、俺は慌てて再生ボタンを押した。今はこいつの血糖値と中性脂肪より、血圧を心配すべきだ。


『アリスの読書会 36ページ 「真宵亭のお品書き 早瀬咲季著」』


 BGMと共にタイトルが出た。ページをめくるような演出と共に映像が切り替わった。あのバーチャルルームにロングヘアの黒髪の女性が座っている。最初にあった時と同じ半そでのカットソーとハイウエストの軽めの生地のロングスカート。栞をモチーフにした髪留めをつけている。


 ちなみにサムネイルの変遷から、季節によって服装を変えていることが分かる。


 開始の効果音と共に、彼女は手に持った本をゆっくりと胸の前に持ち上げた。愛読書を扱うように上品で丁寧な仕草だ。リスナーから早くも文字の歓声が上がっている。


「これが先輩の『推し』ですか。架空のアイドルに入れ込んでも仕事と言い張れる。ほんと、いい商売ですよね」

「悪意がこもりすぎたいいセリフだな。っていうか、お前はなんで見てないんだよ。自分の小説の紹介だろ」

「私はあんまりプロモーションにタッチしないんですよね。……担当さんに言われたのでどんな風に紹介して欲しいかって希望を出したのは覚えていますけど」


 プロモーションされることなんてない作家に喧嘩を売るなという言葉を飲み込んだ。今回は咲季に協力してもらっている立場だ。

 授業方針の再考のため、俺は改めて生徒アリスについて把握しなおすことにした。そして、アリスの読書会のチャンネルアーカイブに、後輩の売れっ子作家の作品タイトルを見つけたのだ。


 折角だから、紹介される本人がどう感じたのかも知りたい、そう思って彼女に同席をお願いしたという運びだ。忙しいのではないかと思ったら、二つ返事でOKだった。あまりにスムーズに話が進んだので、肝心の要件を伝え忘れた。そこで出発前に詳細をメッセージで送ったのだ。


 結果として駅前に仏頂面の咲季が現れたわけだが。


「累計再生もう十万越えって、流石話題作だな」

「小説よりこの電子アイドル目当てなんじゃないですか。何せ先輩をこうやって時間外労働にいそしませるくらい魅力的なんでしょうから」

「俺がアイドルに貢いでいるという設定にこだわるのはやめてくれ。言った通り、ギャラがいいんだよ。とにかく、このチャンネルな。確かにアイドル的な要素は否定できない。でも、視聴者の女性比率も三十パーセント近くあるらしいぞ」


 彼女の造形は可愛いと美人の絶妙な境界にいる。服装も大人しめで上品。そもそも『お品書き』を選ぶあたり、女性リスナーの獲得にも力を入れているのではないか。


「へーえ、そうですか」

「そもそもお前の小説の人気は本物だろ。ドラマ化が決まったから、プロモーションされてるって順番だ」

「…………」

「で、チャンネルの構成もなかなか考えられているんだ。まず、発売された小説しか扱わない。しかも、通常は二回に分けていて、作品の紹介だけじゃなくて。アンケートや読者の感想なんかも聞くって形式なんだ」


 前半で紹介された本を読まなくても、後半を見ることはもちろんできる。だが、フルに楽しもうと思ったら、自分も本を読んでいる方がいい。今はほぼ滅びた情報誌のインタラクティブな進化系ともいえる。


 小説読者は基本的に文章優位者、文章から情報を受け取るタイプが多いから、視覚的メディアと相性はよくない。例えばライトノベルは表紙が重要だと言われるが、あれは小説を買うつもりで書店に来た人間に見せるから意味があるのであって、そうじゃない人間に素晴らしい表紙を見せてもほとんど売り上げにつながらないらしいからな。

 小説のプロモーションという市場規模的にも潜在顧客的にも動画でアピールするのが難しいことを上手くやっていると言える。


『「作者に質問」のコーナーです。早瀬咲季先生からのアンケートの回答によると、先生は街に新しいカフェが出来たら必ず訪れるそうです。そういう探求心が作品のシーンの一つ一つに活かされているんですね』

「こんな女に私の何が分かるんですかね。大体、カフェが出来たら試すくらい普通でしょうに」

「お前が答えたアンケートだろ」

「…………適当に書いたので忘れてました。ちなみに写真は断りました」

「ああ、その方が無難かもな」

「ちなみにどういう意味です?」

「…………お前の作品って基本女性向けだろ。だから……。まあ、マスコット的に可愛がられるかもしれないけど」

「だから、どういう意味ですか」

「ほら、次のコーナーが始まるぞ。キャラクターアンケートか定番だな」


 顔出しすれば、こいつのファンが出来てもおかしくない。今日みたいな魅力的な格好をしていればなおさらだ。もちろん、セクハラになるので言わない。


 アリスがアンケート結果を発表する。お品書きの女主人公である朝子の次に来たのが、脇役の一人だった。


「ほら。ちゃんと読んでる人間が集まってるじゃないか」

「テキトーに出したキャラがなぜか人気が出たりしますよね。この鵜川ってキャラ、本当ならこの巻だけのはずだったんですけど、なんか妙に人気が出て。旅館に勤めている仲居がいろんな地方で偶然出てくるのおかしくないですか? そうだ、こういう裏話をすべきでは」

「一番すべきでない話をするんじゃない。まあ、キャラの人気に関してはそういうことはないとは言わないがな」


 作者にも予想外に人気が出るキャラクターは確かにいる。だが、それに関しては読者の方が鋭かったということが多い。人気が出たから作者が力を入れたという側面はあるだろう。だが、読者の方が先にそのキャラクターの潜在的なポテンシャルに気が付いた、そういうことはあると思っている。


 物語は作者と読者の間に存在しているのだ。だからこそ、作者がその作品の中にいない小説は……。


「ちなみに先輩のお勧めで出した松岩は、とても嫌われていますね」

「あれはそういうキャラだろ。嫌われるキャラとして作者は愛してやれよ」

「そんなこと言われなくても…………」


 何故恨みがましい目を向ける。ちなみに松岩というのは朝子に毎回文句を言う男の栄養士だ。咲季に男性キャラについて聞かれた時、ヒロインが料理の名人なので栄養士なんてどうだって言っただけだ。


 結果として咲季が作り出したのは、料理を食べる人の心を大事にして味だけでなく盛り付けまで気を使う女主人公に対して、栄養学的に数値を並べて理屈っぽく文句をつける悪役だった。実に嫌なやつに出来上がっている。


 ちなみにこれは褒め言葉だ。


「そもそも、そんなに好感度が低いなら退場してもらえばいいじゃないか」

「そんなことはしません。こいつには最後は朝子と…………っと、これは秘密でした」


 不穏だ。海に突き出す崖の上で追い詰められて犯罪を自白とか、そんな結末が用意してあるのだろうか。そうなったら読者はさぞかし留飲を下げるだろう。


「それよりも、ほらチャンネルの運営は見事な物だろ。大勢のリスナー相手に見事に盛り上げてるだろ。これ、アリス自身がやってるんだぞ」


 アンケート結果を使って、リスナーのコメントに対して答えていくアリスは、感心するくらい様になっている。


「……そう言えば、この服を選んだ時にViCに対応してもらったんですけど、確かにスムーズでしたね。むしろ店員さんとやり取りするよりも楽でした」

「それでいつもよりも新鮮味のある格好だったのか。確かに似合ってるな」

「…………それ、いまさら言うことですかね。台詞の構成に難ありです」

「会話は推敲しないんだよ。おっ、いよいよ感想が始まったぞ」


 問題はここからだ、アリスが小説をどう読み取って、どんな風に表現するか。それをしっかり見極めなければ。

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