第3話 資料集め

「先輩は、これ分かるんですか?」

「…………分かるかと言われると解ってないだろうな」


 背後からの声に生返事をしながら、開いたページを確認する。アルファベットと数字が段ごとに整列するさまを見て首を振った。これじゃないな。多分もっと上流の工程に対応する資料が必要だ。


 棚を移動する。「先輩のわからないは信じちゃダメなんですよねー」という声とスニーカーのトコトコという足音が付いてくる。


「先輩。これなんかどうっすか。ゲーム作れるみたいですよ。しかもサルでも」

「そういう資料じゃないんだよ。あと猿にゲームは作れない。ただの強調表現だ」


 A.I.に小説が書けるかも怪しいが、という言葉を飲み込んで次の棚を見る。こいつは一体何を探しに来たんだ? 『お品書き』次巻の資料集めなら二階下の料理本コーナーか三階下の旅行紙のコーナーだろうに。


「さすがにわかってますよ。こんなありきたりなコピーで売れるんですかね」

「さあな。小説と技術書は客層も目的も違うだろう。まあ、最近は子供のプログラム教育ブームも沈静化してきたっていうし……。ここらあたりが当たりかな」


 階段型のチャートが描かれた表紙を見つけ、内容を確かめる。


「やっぱり全然面白くない。さっきの棚と何が違うんですか?」

「………………さっきのはプログラム言語の具体的な使い方。こっちは開発手順の解説だな。小説で言えば、さっきのが文章の書き方でこれはプロットの作り方だ」

「わかってないって言いながら解ってる!? 昼行燈のように見えて実はできる男のアピール。これはあざとい」

「そんなアピールしてねえ。興味ないなら下に行けばいいだろう。『お品書き』の締め切りそろそろじゃないのか」

「そういうのはネット動画とかで間に合ってるんですよ。先輩こそ、こういうのは検索すれば出てくるんじゃないですか。ググールって知ってます?」

「GitHubってしってるか?」

「…………」

「いいか、検索できるのは自分が知ってる単語だけだぞ。知らない分野の概要を掴むには本が一番効率がいい。前にも言っただろう」


 沈黙に負けて振り返ってしまった。背後にいた若い女は、してやったりという笑顔を浮かべた。


 栗毛のショートボブに野球帽を載せた小柄な若い女性。斜めのつばの下で、二つに分けられた前髪から三角形の白いおでこがのぞく。グラデーションのかかった大きめのサングラスが鼻から零れ落ちそうになっている。


 それこそ、棒付きの飴玉でも舐めているのが似合いそうな……流石に無理だな。最近は大学一年生くらいは見えるからな。この生意気な売れっ子様は。


 彼女は早瀬咲季。大学生で小説投稿サイトからデビューした後輩作家だ。珍しく参加した作家同士の飲み会でたまたま隣に座ったこいつに、酒の勢いでアドバイスしたことがきっかけで知り合った。


 今思えば汗顔の至りの所業だ。咲季が悩んでいた二作目は、すでに五巻を重ね来春はドラマ化だとか。その一冊だけで俺の全作品の発行部数の何倍だろうな。


 どう考えても俺より忙しいはずなんだが。


「『図解 ウオーターフォールモデル技法』ですか。専門書みたいですね」

「ここは専門書コーナーだからな」


 しかし、今日はずいぶんとしつこいな。最近はあんまり小説の話はしてこなかったから、やっと失望してくれたかと思っていたのだが。




「平日の昼間にこんなところにいても仕事と言い張れるんだから、作家っていうのはいい商売ですよね」

「そうだな。お前は人の仕事を邪魔してるだけの社会人はおろか人間失格だけどな」


 地下から九階までビル一棟すべて本屋という本好きの聖地、それが文永堂渋谷本店だ。ちなみにちょうど真ん中の四階にはブックカフェがある。資料の会計を終えた俺は、後輩に引きずられるようにして連れ込まれた。


「ふふん。それくらいは知ってますよ。何とか失格、有名ですよね」

「太宰治の小説の話はしてないんだよな……。はぁ、で、お前の用件は何なんだ」


 開いた本をイメージしたシフォンケーキを食べながら話しかけてくる後輩作家は、とても上機嫌だ。しゃべりながらも彼女のフォークさばきはとても丁寧で、皿には生地のクズ一つない。


「もちろん頼りの師匠に次の本についての相談ですよ。舞台は山梨の隠れ湯にしようと思ってるんですよ。どう思います?」

「そうだな。三年間本を出していない作家に今年だけで三冊目の相談をするのがイジメか自慢か、その両方かの判断に迷っている」

「むう。それが最愛の愛弟子に対する態度ですか。師匠なんだから、どんと構えてればいいんですよ。咲季は儂が育てたって感じで」

「俺とお前の部数を比べてから言え」


 あの時こいつの作家としての実力を知っていればあんな余計なお世話アドバイスはしなかった。今の俺はこいつのセリフに“愛”の字が被っていることを指摘したりしない。


「作家の価値は部数じゃないですよ」

「それは売れてない作家にのみ許される負け惜しみセリフだ。売れてる作家が口にしていい言葉じゃない。他の作家には絶対に言うなよ」

「お前に教えることはもう何もないとは、寂しいことを言いますね」

「違う、お前に教えたことなんて何もないって言ってるんだ。あと、作家としてじゃなくて人としての在り方なら、今教えているところだ」


 こいつに教えたことがあるとしたら『三幕構成』くらいだ。プロットを“敢て”作らずに書く作家は知っていたが、三幕構成はおろか起承転結という単語すら知らずデビューしたと聞いたのは流石に驚きだったからな。


 大学の講義が面白くないから小説を書いていて、就職したくないからデビューした。そのふざけた経歴のなせる業なんだろう。同時に、そんなふざけたスタートでも今まで生き残っているだけの力の証明でもある。


「おまえさ。この光景をどう書く?」

「唐突ですね。うーん。そうですね……例えば」


―亜麻色の午後の光が、琥珀の木目にティーカップの影を映し出す。―

―紫の水面を渡る波紋が光を跳ね。茶葉の香気につやを与えた。―

―小麦色の生地を縁どるカラメルに積もる白雪を銀のフォークで崩す。―


 さっきまで平日のカフェでたむろう身分を自慢していた口から、すらすらと出てきた文章に思わず引き込まれる。


 何の背景もストーリーもないカフェの光景が、まるで印象派の絵画のように色鮮やかに描写される。黒一色の文字インクで水彩画を描き出して見せる。記号の羅列が脳裏に描き出す光景は、多彩な色で描かれた一枚の絵よりも、心に鮮やかに沁み込む。


 多分だが、こいつの読者もおそらく同じ感覚を求めて本を買うんだろう。自分では決してみられない世界を、本の中に見るために。


 天与の能力を才能とセンスに分けるなら、センスだろう。後天的に獲得できる技術など、あくまで自分の本来持つポテンシャルを発揮するためにある。才能のなさをごまかすためではなく。


 目の前に座る作家が卓越した何かを持ち得ていることに俺は……。


―甘い蜜を纏ったきめ細やかな生地を口に運ぶ。それは、向かい合っている仲睦まじい男女の昨夜の情事のように舌の上で――。


「そこまででいい。平日の昼間に官能小説を口ずさむな」

「もう、これからがいい感じなのに。まあいいです。それで、テストの結果は?」

「お前って本当に話し言葉と描き言葉が全然違うタイプだよな。自称後輩にアドバイスすることなんてないというのが採点だ」

「せめて後輩は自称じゃなくて事実と認めましょうよ。まあいいです。分かりました。じゃあ、ほら、次は先輩の新作の話をしましょう」

「はぁ? そんな話はないぞ」

「…………えっ! で、でもメタグラフに呼ばれたんですよね。あの会社って、無駄なことは絶対しないじゃないですか」

「俺がメタグラフに行ったことを知ってるんだ? 昨日の今日だぞ」

「担当の綾野さんが教えてくれたんですけど。何でもあそこの社長直々のオファーだって。今日探していた資料もその為じゃないんですか……」


 さっきまでの傍若無人が一瞬で消え失せ、咲季は目に見えてうろたえはじめた。なるほど、最近は小説の話をしなかったのにこれだけしつこかったのはそういうことか。


「あれは小説の話じゃないんだ。まあ、まったく関係しないわけじゃないんだが。分かってると思うが他には言うなよ。実はだな……」


 口止めしてから依頼の内容を話した。向こうの編集者から漏れたのだから構わない範囲でならいいだろう。


「……とまあそういうわけだ。で、その生徒っていうのが――」

「わ、私という愛弟子がありながら。別の弟子を…………。これが寝取られ。脳が、脳が壊れる」


 ガーンという情緒ゼロの効果音を表情に張り付けた咲季は、わけのわからないことを言い出した。


「その弟子ってまさか女、女ですか」

「そうだな。一言で言えば……。理想の美少女だな」

「キモくてオジサン臭い!!」


 咲季はグラスの横にあるしわしわのストロー包装を見るような目を俺に向けた。言うまでもなく、生分解性プラスティック製の環境に配慮したものだ、最近はこう書かないといけない。ペンが剣より強いのは、世論を煽れるからであってペンは世論には勝てないのだ。


「良いですか先輩。この際だから教えてあげますけど。先輩の言うようなそんな綺麗な女の子なんて現実には存在しないんです。どんな美少女でもトイレに行くんです。三十年以上もくすぶらせた男の理想ってやつを壊して悪いですけど、フィクションなんです」

「いや、そんなことは分かってるんだよ」


 一転して噛んで含めるように説く咲季に言う。現実の存在じゃないことは、実際にあった俺が一番よくわかっている。だからトイレにはいかない。


「色仕掛けに引っかかってないとあくまで言い張る。じゃあ、私を差し置いて指導するって……そんなに見込みがあるんですか」

「お前は弟子じゃないと何度言わせる。あー、正直言って見込みはない。才能は本当にゼロの可能性がある。いいか、さっき言おうとしたことだけどな」


 俺は相手の素性を説明した。


「はぁああぁああぁぁぁあ。相手はA.I.ピコピコですか。もう、びっくりしたなあ」


 咲季は大きく嘆息した。さっきからリアクションが無駄に大きい。あと、現代の読者に通じないだろう半世紀前のその表現、どこで仕入れた?


 それはともかく咲季はアリスのチャンネルのことは知っていた。彼女の『お品書き』も紹介されたことがあるらしい。咲季の担当の綾瀬さんとメタグラフの九重女史の間に関係があるのはそういうことらしい。


「つまり、相手がプログラムだから、それに教えるためにプログラムの勉強してるってわけですか」

「勉強って程大げさな物じゃない。大まかな枠組みを把握しているだけだ。教える以上は向こうの“言葉”を理解しておいた方がいいだろ」

「そういうのって教わる側が自分でかみ砕くものじゃないですか」

「お前、俺が三幕構成について説明した時、さんざんいろいろなものに例えさせたよな。それはともかくそうだな、教えることが出来ない部分に関してはお前の言う通りだよ。だが、俺は最初から教えられることしか教えるつもりはない。なら、相手に合わせた方が効率がいいだろ」

「なんやかんやで先輩って面倒見がいいですよね。何の得にもならないのに後輩に世話を焼いたり。そういうところが……尊敬してますけど」

「汚名を挽回して悪いが。実はかなり報酬が良くてな。予習の分を考えても割がいいんだ」

「所詮は金だけの関係だと。遊びってことですね」

「いや、仕事だと言ってるんだぞ」


 なんで今の説明でそんな胡散臭い表現をする。読者、いや周囲の人に誤解されるだろ。ただでさえ、いい大人が平日の昼間にこんなところでくっちゃべってるのは怪しいんだから。


「とりあえず話はわかりました。まあ、2.5次元だっていうなら我が一門として認めなくもないです」

「お前は俺の弟子なのか師匠なのか、キャラ設定をブレさせるな」


 腕組みして本人は重々しいつもりで頷く咲季に、俺は呆れた。というか、作家ならA.I.が小説を書こうとしているということに、何かないのか?



 …………



「じゃあ、先輩また連絡しますんで」


 空色のスニーカーで地面をけるようにして、咲季はあっと言う間に雑踏の中に消えた。締め切りが近いらしい。言わんこっちゃない。


 店の入り口で立ち止まった俺は、Uターンして店内にもどった。歴史書のコーナーから新書を一冊手に取る。買い忘れた資料だ。なんやかんやで咲季のペースに巻き込まれていたらしい。


 レジに向かう途中で、文庫本コーナーで平積みされた一冊が目に入った。旅する女性を描いた表紙に伍の番号。『お品書き』シリーズ五冊目の帯には、秋にドラマ化とある。


 ほんと、口から出る言葉と実力や実績が一致しないな、あいつは。


 表紙を捲る。章の並びを見ただけで構成が分かる。ジャンルとその話毎のネタ元に忠実な教科書通りの構成だ。多少なりとも覚えのある読者なら「はいはいこういう話ね」と本を閉じそうになる。


 だけど、本文にたどり着けば飛び込んでくる文章の群れは、教科書通りの構成など一切意識させないまま文字世界に引き込まれる。さっきのカフェで見せつけられたのと同じ。


 文章は誰でも書ける。だが、センスがない人間には決してできない芸当というのもある。俺も出来ないからよくわかる。


 ただ、構成については遣り尽くした目で見ると、卓越した描写と基本通りの構成の間にほんのわずかな、無視しえないゆがみも見て取れる。自然に流れる小川に、コンクリートの舗装がほんの少し見えるような。


 もしも万が一、彼女が今後俺が教えた型につまずくことがあったら。その時は、彼女が俺と同じ失敗をしないように……。


 何をおこがましい心配をしているんだか。俺がやるべきなのは目の前の仕事だ。


 帰って授業のプランを考えないといけない。そのための資料を買ったのだから。まあ、この二つがあれば、最低限形になるだろう。



 才能やセンスと違って、知識と技術は教えられるものなのだから。

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