2-5 魔女、名前をつけられる

「女性には優しくしなさいって言ってるだろう」


 男性が呆れた顔でイクスを見つめている。イクスはチラリと男性に視線を向けて、眉間のシワを深くした。


「得体のしれないガキだぞ」

「記憶喪失の可哀想なお嬢さんだよ」

「ルーカスさん、本気でいってんの?」


 イクスは男性をにらみつける。その眼光の鋭さよりも、ルーカスという名が気になった。一度目は聞き間違いという淡い希望を抱けたが、二度目となれば受け入れるしかない。

 男性の名前はルーカス。商人から聞いたシルフォード家の次男と同じ名前である。金髪碧眼という外見に膨大な魔力。それらを踏まえて別人だと判断出来るほどお気楽ではない。


 となると、ここは本当にシルフォード家の屋敷らしい。

 あまりの不運さにめまいがする。いっそのこと気絶したい。現実から目をそらして夢の世界に旅立ちたい。

 そう魔女が現実逃避していることを知らないルーカスは不思議そうに首を傾げながらイクスを見つめ返していた。


「イクスこそ、なんでそんなにお嬢さんを敵視しているんだい?」


 首をかしげる姿は三十代の男性にしては幼いが、容姿が整っているためか違和感がない。むしろ母性をそそり、女性受けは良さそうだ。しかし、あいにく対峙しているのはイクスだし、見ているのは魔女だ。同性のイクスにも宿敵の魔女にも効果はなく、イクスは盛大な舌打ちをした。


「ごめんね、根は優しい子なんだけど、どうにも短気で」


 ルーカスは眉間にしわを寄せたまま黙り込んだイクスを放って魔女に笑いかける。その笑顔は邪気のないものだったが、魔女は曖昧な返事しかできなかった。

 表情だけ見れば虫も殺せないような好青年だが、怒り沸騰のイクスを軽く受け流す姿を見ていると見た目通りの人間とも思えない。


 人間には表と裏がある。それを長年の経験で知っている魔女はルーカスの笑顔をそのまま受け止めることができなかった。


 けれど、それを表に出すことも出来ない。なぜなら魔女は記憶喪失の可哀想な少女ということになっている。記憶喪失の少女が自分を助けてくれた恩人を必要以上に疑うというのは不自然だろう。目覚めたばかりでパニックに陥っているという設定だっていつまで通用するか分からない。

 とりあえず魔女はルーカスを信用したフリをするほかなかった。自分を敵視しているイクスにつくのは論外だ。


「……大丈夫です。ごめんなさい。混乱してて」


 ルーカスは「そうだよね」と神妙な顔で頷いたが、イクスは相変わらず親の仇のような顔で魔女を睨みつけている。


 ルーカスに全く疑われていないのも不思議だが、イクスが魔女を全く信用していないのも不思議である。現状の魔女はたしかに怪しい。銀髪の魔女が現れた直後、川辺で見つかった魔女と髪の色が同じ少女。魔女との関連を疑うのは当然だろう。記憶喪失というのも都合が良すぎる。

 

 それでも、今の魔女には魔力がない。だから怪しくともルーカスは普通の少女だと思っているのだ。というのに、なぜイクスは魔女のことをやけに疑っているのか。


 まるで魔女が人間ではないと確信しているようだ。そう思った魔女は自身の考えに体を震わせた。だとすれば、魔女が行っている人間のフリなど茶番でしかない。

 実はルーカスも分かっていて、魔女の反応を楽しんでいるのだろうか。そんな最悪な考えが頭に浮かび、魔女はルーカスすらも信じられなくなった。


 部屋の中に重たい空気が満ちる。怯える魔女に魔女をにらみつけるイクス。どちらもお互いの様子をうかがい動かない。

 そんな空気を壊したのはルーカスの一言だった。

 

「イクスとはおいおい仲良くなってもらうとして、まずは名前だね」

「え?」

「は?」


 緊迫した空気を全く感じていなさそうなのんきな発言にイクスと魔女は図らずしも同時に声をあげた。何言ってるんだコイツという顔でルーカスを見つめてしまったが、視界のはしでイクスも同じ顔をしている。

 二人の視線を受け止めたルーカスは首をかしげている。


「だって、名前がないと不便だろう?」


 たしかに不便ではあるが、今の状況でそれをいうかと魔女は呆れた顔をルーカスに向けそうになり、慌てて引っ込めた。

 イクスとも仲良くなってもらうという発言もだいぶ恐ろしいし、目の前の好青年じみた存在は空気が読めないのかもしれない。


「ルーカスさん、まさかと思うけどコイツをここにおくわけじゃないだろうな?」

「まさかって、目覚めたばかりの子を放り出せって? イクスは私がそんな薄情な人間だと思っていたの?」


 心底悲しそうな顔をするルーカスにイクスは言葉を飲み込んだようだった。

 飲み込むな! もっと押せ! こんな身元が分からないガキ、外に放り出せと主張しろ! と魔女は心の中で必死にエールを送るが、当然ながら届かない。

 ルーカスは魔女の内心を知らずに安心させるような優しい顔で笑いかけてきた。


「君が元気になるまで、責任もって家で面倒みるからね」


 面倒みないでそこら辺に捨ててください! お願いします! という気持ちであったが、言えるはずもない。魔女はなんとか内心を押し留めて、控えめな笑みを浮かべた。心の中は大荒れであったが、表に出せない。ものすごくストレスが溜まる。


「じゃあ、君の名前を考えなきゃね。ジョセフィーヌとかどうだろう?」

「もうちょっと庶民的なやつで」


 しかしながら続いたルーカスの言葉には本音が滑り落ちた。



※※※



「本当にリリシアで良かったのかなあ。アントワネットとかシャルロッテとか、もっと可愛い名前あったんじゃないかな」

「自分の娘につけろ」


 未だにブツブツ呟いているルーカスを見てイクスは顔をしかめた。ルーカスが提案するいかにもお嬢様な名前を嫌がり、最終的にリリシアで妥協させた銀髪の少女の粘りは相当なものだった。本気で嫌だったんだろう。


「えー、可愛くない? ジョセフィーヌ」

「長い」


 貴族は妙に長い名前をつけたがるが、結局は縮めて愛称で呼ぶのだから最初から短くていいだろうとイクスは思う。そもそもイクスもルーカスも短い名前なのに、身元不明の少女に貴族風の長い名前をつけたがるのも意味がわからない。

 シルフォード家は女性が生まれにくい家系らしいので、異性の身内に飢えているのかもしれない。だとすれば、適当に養子でももらってくればいいのにと内心嘆息した。シルフォード家の養子になるのを拒否する人間はいないだろう。


「ルーカスさん、何考えてるんだ」


 イクスの問いに未だブツブツいっていたルーカスが動きを止めてこちらを見た。いつもと変わらなぬ優しげな相貌。それだけではないと知っているが善人であることは事実で、自分の立場をよく分かっている賢い人でもある。

 だからこそ、胡散臭い少女を介抱し、名前まで与えた意味がわからない。


「気づいてるよな?」


 ルーカスよりもよほど未熟な、まだ魔法使いの資格も得ていない自分が気づいたのだ。ルーカスが気づいていないはずがない。そう確信があるのに、ルーカスはゆるりと首を傾げてみせた。


「なにを?」


 その反応は本当に無邪気な子供のようで次の言葉が出ない。本当に気づいていないのだろうか。いや、そんなはずはない。けれど、もし本当に気づいていないのなら……。

 まとまらない思考がぐるぐる回り、イクスは自分のほうが質問したはずなのに頭を悩ませる。


「服の話? たしかに、リリシアちゃんにちょうど良さそうな服ないかも。アニタに頼まないと」


 イクスが悩んでいる間にルーカスは見当違いな結論を出して歩き出した。その後ろ姿を見送ってイクスはため息をつく。


 普通、付き合いが長くなるにつれて相手のことがわかってくるものだろうに、ルーカスに関しては付き合いが長くなるにつれてよく分からなくなる。

 良い領主であり、よい兄ではあるのだ。それなのに、たまに霞を掴んでいるような感覚に陥る。


「何考えてるか、分かんねえ……」


 イクスのぼやきは前をいくルーカスに聞こえているだろうに、ルーカスは振り返らなかった。

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