第2話 怪我だらけの少女
アルク・アンドレオはガルデニア連邦の一部で有名だった。南西の国境戦線で活躍したからだ。隊の指揮官として尊敬され、結果を残し、外敵を追い払った。南西の隣国と協定を結び、その地方に平和が訪れた。
「そこまでっ! 勝者――」
「うぐっ」
ばたりと倒れたフォルト。手からは既に竹刀が離れていた。そのまま空を見る。今日も快晴。陽射しが強い。
「……あーあ。駄目だなあいつは」
「だなあ。アルク前隊長の息子だって? なんか期待外れって感じ」
「なあ? 俺、親父からアルク隊長のお子さんとは仲良くしとけとか言われてるけど、ちょっとなあ」
「座学もそこそこ以下で、剣もこれだ。将来こんなやつに背中預けんのか?」
「なーんかいっつもやる気無さそうだよなあいつ」
「どうせ親のコネで良いポストに就くんだろ? 成績最悪のくせに」
「ムカつくよな」
そよ風は優しい。だが。
フォルトにとってはいつもの陰口を乗せて耳まで障ってくる風だ。
「あー……。うっせえ」
誰にも聴こえないように呟く。剣術の授業はそこで終わった。昼休憩である。がやがやと、皆が闘技台から去っていく。
「なんでうまいこと、こう……。思い通りに動かねえかなあ。俺の身体。いつも焦っちまう。もっとゆっくり流れてくれよ。時間。慌てちまう。もっと冷静に……。くそっ。真面目に反省とか、要らねえよ」
食堂はすぐ隣だ。他のクラスの生徒達からもよく見える。
彼の無様な敗け姿が。
「……べっつに、お前らと並んで戦うつもりもねえわ。安心しろよ。俺は軍人になんぞならねえよ」
「そうなの?」
「えっ」
闘技台に仰向けで寝転がったまま、起き上がる気力も無く、空に向かって愚痴を吐く。そんな彼の言葉に、返事をした声があった。
女声。この士官学校に似つかわしくないような。
声の主が覗き込んでくる。黒く長い髪が、フォルトの頬に垂れた。
「あっ。ごめん」
「えっ……」
色素の薄い、黄色の肌。額の右側に、ガーゼ。
「…………なんだっけ。お嬢様」
「はあ? 良いからそこどいて。軍人になるつもりが無いのにどうしてこんなところに居るのよあなた」
噂のミセリア・グライシスだった。濃紺の制服の左肩に、赤の縦筋。フォルトのものには緑の縦筋。
ミセリアが編入生であり、フォルトより下級生であることが示されている。
「…………はいはい。どうでも良いだろ
丸い瞳だった。不意に覗かれて驚いたフォルトはすぐに立ち上がり、制服に付いた土を払って闘技台から降りた。
「……今日『も』? あなた昨日、見てたの?」
去ろうとしたが、ミセリアから疑問を掛けられた。
フォルトは振り向かずに。
「…………あんたのことは有名だし、この闘技台は食堂からよく見える。『見てた奴』なんざ俺だけじゃねえよ」
「……ふぅん」
「…………」
フォルトは、つい。居心地が悪くなって。
「……なんか、揉めてたのか? 上級生と決闘みたいになってたぞ」
「……!」
訊ねてしまった。
「…………あなたに関係無い。放っておいて」
「はいはい。悪かったよ」
数秒の後、ミセリアが答える。視線も口調も強かった。フォルトは結局彼女の顔を見ずに、立ち去った。
□□□
「はー……。だる」
シャワールームにて。フォルトは頭からシャワーを浴びながら、その場に座り込んだ。
「シャワー浴びてたら折角の昼休憩の時間減るじゃねえかよ……。訓練したくねえ……」
この士官学校に入学して、1年経った。なんとか進級したは良いものの、フォルトにとってはこの生活は苦痛でしかなかった。大人達から期待され、同級生からバカにされ。授業もテストも結果を残せない。
「親父がどうだからなんだってんだ馬鹿野郎ども。……痛ってえ。あいつマジで打ち込みやがって。……あー。このまま医務室行って午後サボるか。腫れてるしイケるだろ」
水の音が続く。
もう、土はすっかり洗い流し終わっている。
「…………くっそ」
フォルトは中々、動く気になれなかった。
「……彼女とか作って誰かに甘えてえ……。ハッ。寒気がするわ。座学も剣もゴミでやる気もナシの俺に、んなもんできる訳ねえだろ」
意を決して、立ち上がる。蛇口を閉める。なんとか、シャワールームを後にした。
「何やってんだ俺……」
□□□
「…………医務室、行くか? こんな擦り傷でまた訓練抜けて、あいつらになんて思われるか……。ちっ。どうでも良いだろ。……くっそ。サボりの才能もねえよ」
もう、休憩時間が終わる。結局昼食は摂れなかった。サボろうかどうか悩みながらぶつぶつと言っている間に、医務室の前まで来てしまった。
「……なんて言うんだ。てかそもそも先生に医務室行ってくるって言ってねえぞ。ああくっそ。なんなんだもう」
その手前で、ウロウロと。
午後の訓練の始業ベルが校内に響いた時に。
「……アンドレオ?」
「あっ」
医務室のドアが開いて、看護教諭がフォルトを見付けた。
□□□
看護教諭は金髪をポニーテールに結んだ女性だ。メガネと白衣が特徴的で生徒達からは人気が高い。
「また負けたのかアンドレオ」
「…………まあ」
「診せてみろ。ああ、軽いな。だが痛いだろ」
「……まあ」
「ちょうど今、手が空いた所だ。まず消毒だな。こっちへ来い」
「…………はあ」
医務室へ入る。看護教諭は手際よく、フォルトの腕にあった擦り傷を処置していく。
「午後の訓練は?」
「…………『
「そうか。出るか? ここで少し休んでいくか?」
「………………まあ」
「返事はしっかりしろ。……それともこの怪我と別の要因で、何か辛いことがあったりするか?」
「…………いえ。大丈夫……す」
「……そうか」
フォルトは、誰かに打ち明けたいと思いつつも、知られることを恥だと思っていた。この、モヤモヤを。
「まあ良い。好きなだけ休んでいろ。ま、後で怒られるだろうがな。私も今から昼食だ。少し売店に行ってくる」
「はい」
教諭が医務室から退出した。フォルトは少し横になろうと、カーテンで仕切られたベッドに向かった。
「きゃっ」
「あん?」
カーテンを開けると。
「あっ」
「はっ?」
顔のガーゼをさらに3つに増やし、両腕と右脚に包帯を巻いた、ミセリアが居た。
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