運命 06
僕の中から声とも呼べない弱弱しいものが漏れ出たというのが正しい現場報告である。
人はすぐに変われない。
それがこの世の理である(泣)
閑話休題。
すでに僕の胸からお姉さんの手は離れていて、けれどビビりな僕は未だ亀のように背を丸め防御の姿勢をとっていた。
まるで会心の一撃を放ったかのような終わり方だったけれど、いざふたを開けてみればこのざまである。
強気な物言いからは想像もつかないような現在の惨めな格好とのギャップに僕自身でも笑いそうになるほどだった。
そんな僕とは裏腹に、少し顔を上げたことで見えたお姉さんの表情はまるでこの世の終わりを目撃したかのような絶望的な顔をし、顔色は光で透けてしまうほどに真っ青に、真っ白になっていて、今にも倒れそうに見える。
「大丈夫ですか?」
流石にここまで弱り切ったお姉さんを目の前に防御の姿勢は必要ないだろうと感じた僕は亀を解き、お姉さんと相対する。
「やはりあの女は来ていたか。そりゃそうか。はっはっはー」
僕の問いかけはおそらく聞こえていないのだろう。
僕を無視し、自身と対話するお姉さんは見ていて辛いものがあった。
事情は知らないにせよ、お姉さんもまた彼女に魅了され、焦がれ、そして絶望した側の人間なんだろう。
あの学校の彼ら彼女らのように・・・・・
僕とは違う道を行った彼ら彼女ら、そしてお姉さんに対して『同情』の気持ちは微塵も感じないが、仕方ないよと相槌を打つことは容易にできた。
それだけ彼女という存在は大きく、皆の目を引き、そして無意識に違いを見せつけられる。
僕が彼女の毒牙にかからなかったのはそもそも僕の立ち位置が最底辺の救いようもない絶望的な場所だったからであって、それはまさに不幸中の幸いだったと今なら言える。
しかし地盤のしっかりした人間が彼女に関与し、彼女に魅せられたのならばああなってしまうことは火を見るよりも明らかだった。
むしろお姉さんは彼女に対抗意識を燃やしているという点では一線を画すと言っても過言ではない。
けれど今のお姉さんは僕があの学校の、あの学級で見た人たちと変わらない表情、変わらない瞳をし、ひどく危うかった。
そして残念なことに僕はこの問題の解決策を何一つ知らず、むしろ現在進行形で模索中だった。
「と、とりあえず家に入りませんか?涼しい場所でお話ししましょう」
僕は放心状態のお姉さんの手を引っ張り、半ば強引に家の中へと引っ張っていった。
もしかしたら僕には本当にプレイボーイの素質があるかもしれないと、また変な勘違いを起こしたことはあまりにKY的発想だったのできれいさっぱり忘れることにしよう。
飲み物を出し、リビングの机で何もせず向かい合う事30分といったところだろうか。
僕から家に招いておきながら何も話さず、何の進展もないまま無駄な30分を過ごしたというのが現場の簡単な報告である。
しかしこの場で目の前の意気消沈したお姉さんに何かできるのであれば、僕はそもそも彼女に救われることなくあの『惨憺』な状況から脱せていただろう。
だからつまり僕はまだ発展途上。
これから、これから成長するもん!
そう意気込みつつ、僕はまるで黙っていることが優しさであると言わんばかりに意味深な表情を浮かべ、黙っていた。
そうこうしているうちに、お姉さんも正気を取り戻したのか顔色が良くなり、それに伴い僕の出した飲み物で喉を潤し、そして口を開いた。
「君もあの女の正義に当てられた側の人間なのか?」
先ほどの剣幕が嘘かのような穏やかな視線と共に落ち着いた声音で問いかけられた。
僕はそれでもお姉さんにびくびくとしながらも、今度はしっかりとお姉さんに目を合わせて答える。
「正義というよりも僕が当てられたのは拳だった気がするけれど、少なくとも僕は拳も含めて彼女に救われました」
「そうか。君も被害者だったのか。あの女の過剰なまでの暴力的で異常な思想に呪われてしまったうちの1人だったか」
ため息とともにこぼれ出るその言葉を僕は見逃すことが出来なかった。
「僕は被害者じゃない!」
静かな家に突如轟く怒声に僕自身驚いた。
しかしここで怯んでしまっては彼女に面目が立たない。
僕はこの勢いのまま続けた。
「被害者意識はもう捨てた。こんな陰気臭い家に住めばそんな意識が芽生えるのは当然なのかもしれないけれど僕はもうやめたんだ。これからはそういう『同情』を誘うような生き方をしないと誓ったんだ」
「あの女は神様でもなんでもない。ただの人間。ちっぽけな何億人といる中の1人だ。君たちは勘違いしている。・・・・いいや都合の良い解釈をして崇拝する対象を神違いしている。しかしあの女もあの女だ。自身の都合の良い解釈を都合の良い使い方をしている。だからこそ君たちは被害者なんだ。社会主義的思想に妙なカリスマ性を感じてしまった哀れで醜い被害者だ」
お姉さんの言葉には重みがあり、何も成していない僕の言葉はあまりに軽く。
風に吹かれて飛んでいくように、僕の意見は気分や時間といったものに簡単に左右されそうだった。
直接的なことは言われなかったけれど間接的に「お前ごときがあの女の何を知っているんだ」と突き放されたみたいだった。
僕の家なのに、僕だけが過ごす家なのに何故か疎外感と居心地の悪さを感じる。
「時に・・・・君はもう死にたいという情熱的な生への衝動は収まったのかい?」
ニヒルな笑みを浮かべて問いかけてくる姿は彼女に似ているなと思う。
意地悪な問いかけ方をする人だ。
「今はもうありません。けれど情熱は失っていませんよ」
「なんだよそれ」
お姉さんはまたしても黙り込んでしまった。
何かお姉さんの顰蹙を買うようなことを言ってしまったのだろうか。
まぁお姉さんにとって今日のこの日がただの徒労になってしまったという事に関しては申し訳ない限りだが。
しかしここで僕も同じように黙り込んでしまうことは最低最悪の悪手であることは火を見るよりも明らかで、むしろ彼女との唯一のつながりを見つけたのだから利用する以外の手はない。
僕はさっきとは打って変わって、あえて空気を読まずに口を開く。
「彼女は・・・・お姉さんの妹さんは家ではどんな感じなんですか?」
僕は彼女とお姉さんとの関係性、家での過ごし方などプライベートを探ることから始めた。
彼女と過ごしてきた時間が僕の知る人間の中で1番長く、そして濃いであろうお姉さんからは少なくとも1つくらいは何か知ることが出来るだろうという算段だった。
そこからあの『惨憺』な彼女の現状を打破する何かを得られるとは到底思えないけれど、何かのきっかけにはなって欲しいという期待も込めて。
しかし僕の期待は一瞬、たった一言で崩れ去った。
「思い出したくもない」
それは明確な拒否反応だった。
知らないでもなく、覚えていないでもない。
知っていて、覚えているうえでなおそこに悪意はなく、ただ単純に言語化することで明瞭になる過去を見たくないという拒否反応であった。
突き放されたわけでもなければ、おいて行かれたわけでもない。
けれど僕はその場に佇み、これ以上の追及は不可能だと本能で悟った。
そんな僕を見かねてなのか、お姉さんは「それに・・・・」と言葉を続けた。
「私はもう実家には住んでいないんだ。だから最近のことは何も知らない」
お姉さんは申し訳なさそうに告げた。
しかしそれは喉から手が出るほどに欲しかった解決の糸口が目の前で途切れたのと同義であった。
可視化する前に、プツンと途切れる音だけを奏でて。
だからと言って僕は彼女の血縁であるお姉さんを無下に扱うわけにはいかなかった。
そもそもお姉さんは僕を救おうとしてくれた言わば恩人もどきなのだ。
その心意気に感謝して、せめてこの空間が何もない空虚なものではなかったと思って帰れるようにしよう。(なんてちっぽけなお土産なんでしょう)
僕はもう1度コミュニケーション能力に関して全く揮わない脳みそをフル回転させた。
希望の楽餓鬼 枯れ尾花 @hitomu
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