運命 05

 一瞬、頭の中が真っ白になったこと以外は特に二次災害が起きなかったことは僥倖と捉えるべきか、殴られることに慣れてしまったという悲しい事実を嘆くべきか。


 僕は頭をさすりながら、後ろを振り返る。


 そこには瞳をぎらつかせ、決意と拳を固めたお姉さんと・・・・・・・・刃物を持って鬼のような怖い顔で何かを叫びながら走る彼女の姿があった。


 刃物を持って・・・・・・刃物を持って・・・・刃物・・・・刃物っ!!


 「それはやばいよ!」


 僕は目の前のお姉さんを通り越し、彗星のように一直線にお姉さんの下へ走る彼女に向かって走っていった。


 なんとか彼女の足を止め、全身で彼女の体を受け止める。


 「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すこの感触は・・・・殺す殺す殺す・・・・・・・・」


 「・・・・・・・・おい。途中で一回意識取り戻しただろ。殺意失っただろ。・・・・なぁ、なんかお前から抱き着きにきてないか?僕もう手離してるんだけど。・・・・おい!いい加減にしろ!」


 僕は無理やり彼女の抱擁から抜け出し、彼女の手から刃物を取り上げる。


 「一体、どこからこんなものを・・・・・・・・」


 「それなら常に持ち歩いてるわ」


 「・・・・・・・・そ、そうか」


 気になる。気になるけれど聞くのは止めておこう。


 なんだか怖いし、理由を聞いてしまったら僕は本気で転校と引っ越しを考えてしまいそうだし。


 まだあの学校には通わなければいけない理由もある。


 うん。これは英断だ。逃げたわけじゃない。


 僕は一人で納得することにした。


 「ちなみにもう1本あるんだけど、もう1回あの女を刺しに行こうとしたらまた抱きとめてくれる?」


 「今度は警察を呼ぶよ」


 「ならやめておく」


 「本当にありがとう」


 彼女とのこれからの付き合い方をもう1度考え直すことにしようと決めた。


 「さて、それじゃあもう家に帰ろうか」


 「えぇーもっと一緒に居たいー、なんなら永遠の時を過ごしたい」


 「じゃあな」


 彼女の甘ったるい言葉を背に受け、僕は改めて家へ向かう。


 その先には僕の唯一の憩いの場でもあり、何もかもが変わった家だけではなく、1人のお姉さんがまるで要塞の如く立ち塞がっていた。

 

 「私のことは眼中に入っていないとでも?」


 怒りとその裏に見え隠れする虚脱感を覗かせ僕に迫るお姉さんには、さっきまでの勢いはなく、どこか意気消沈しているようだった。


 「私は君の様な者から見ても小さき者なのだろうか」


 その問いは僕にというよりも自身に問いかけているような、少し僕は出会ったばかりのお姉さんの心の奥底に潜む闇を覗いてしまったようで申し訳ない気持ちになる。


 しかし、それとこれとは話が違う。


 とにかく僕は目の前のお姉さんに後ろから殴られたという事実がある以上、彼女を問いただす理由がある。


 それに何かこのお姉さんには引っかかる部分があった。


 「後ろから殴られたんですよ。眼中にないわけがないでしょう。むしろ視界に入るよりもたちが悪いですよ」


 「それもそうか」


 はっはっはーと大げさに笑う彼女の笑顔にはどこか・・・・・・・・


 「それで、どうして僕みたいな人畜無害な者をいたぶるのですか?たしか慈善事業の事前準備とか言っていた気がするんですけど」


 「そうだね。かっこつけてそう言ったんだけれど・・・・・・・・今はもうすべてが瓦解して計画は水の泡さ。でもこのまま強引に続けさせてもらうよ」


 そして彼女は僕の目の前に1冊の古本を取り出した。


 「とぼけるのは無駄だよ。私はもうこの中身を見てしまっているんだから」


 まぁ、この本をもって君の前に現れている時点でそのことはどんな馬鹿でも理解できるだろうけど。


 続けてそう言うお姉さんにはさっき見せた豪快な笑顔の片鱗はなく、僕の瞳を射抜くかのように真剣な表情で見つめている。


 しかし、僕と目が合っているはずのお姉さんはどうしてか僕を見ていると思えなくて、むしろ僕の先を見ているというか、僕を踏み台にしてどこかへ羽ばたいていこうとする『希望』のような何かがお姉さんの瞳のぎらつきから見えた気がした。


 思い違いだろうか、厭世的に考えすぎているのだろうか、それとも古本の呪いから解き放たれたれおごり高ぶった思想に陥ってしまっているのか。


 自分を否定する材料はいくらでも用意できるけれど、彼女に救われ、彼女に憧れたのならば目の前のお姉さんに一抹の不安を抱いたのであれば何かするのが最も彼女に近づくために必要な事だろう。


 それこそが彼女に学んだ強烈な正解、苛烈な正義だったはずじゃないか。


 僕は自分でもわかるくらいにひきつった笑顔を浮かべ、そして「僕はもう死にませんよ」と生意気な口調で宣言した。

 

 昼間の静かな住宅街にはあまりに物騒なそのセリフは、まるでここから何かの逆転劇が起こるのではないかと思うほどに、僕の口から出たものではないんじゃないかと疑うほどになんだかかっこよかった。


 しかし、僕に吹いたと思った追い風はやはり僕には分不相応だったらしく・・・・


 「誰に救われた!」


 お姉さんはまるで武将のように声を荒げて僕に迫った。


 「誰だ!君を改心させたのは!君みたいなどうしようもないメンヘラを立ち上がらせたのは誰だ!言え!言うんだ!」


 ついには僕の胸ぐらをつかみ、今にも殴りかかってきそうな勢いで叫び、そしてさっきまでの真剣な目つきが怒りと憎しみと、そして嫉妬のようなもので血走っていた。


 僕はそのすぐに手が出てしまう所や、その声音、そして圧迫感に常々感じていた既視感に納得がいき、そしてこの流れで行くと僕の未来はあの時の二の舞になるのではないかという絶望に膝から崩れそうになる。


 痛いのはもうごめんだ。


 僕は体を丸め、なるべく防御の姿勢をとり、口を開く。


 「あなたが小説家志望のお姉さんですね」


 


 


 


 


 


 


 

 

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