運命 04

 「やっと終わったねー」


 気持ちよさそうに伸びをする姿はまるで日向ぼっこを満喫する猫のようだ。


 けれど日に当てられた彼女の姿に残念ながら猫の様な癒しの効果はなく、むしろ僕をざわつかせる。


 真っ白な腕は程よく肉付きしていて、そこからゆっくりと視線を下げていくと袖の隙間から穢れのない、それでいて瑞々しい脇がちらりと見えた。


 僕の眼はその瞬間釘付けどころか、穢れのない瑞々しい脇に張り付けされ、それに加えて僕の瞳はその瞬間を画面録画した。


 僕は一生をかけてこの記憶を守り抜くことを誓う選手宣誓を自分の中の小さな運動会で勝手に催した。

 

 そこからさらに視線を下げると、少し反らされた腰のおかげで大きな胸が強調され、制服のボタンが今にも張り裂けそうな様子が瞳に映し出される。


 あぁ彼女はなんて罪づくりな女なんだろう。


 それでいて僕はどれだけ無力なんだろう。


 そんな蠱惑的な彼女を見ているとやはり落ち着くはずもなく、僕の心は脈動し、あからさまに脈拍は上がる。


 「まー君、見すぎだよ」


 「あぁごめんごめん」


 「どうしてそんなに私のこと見てたの?」


 「そこに魅惑的な山があったら登るように、そこに瑞々しい谷があったら下るように・・・・つまりはそういうことだ」


 「そんなに断言されても・・・・どうゆうことよ」


 さっきまでの悪魔的な笑みはどこかに消え、その残滓と少しひきつったような表情が入り混じった何とも言えない笑みを浮かべる彼女は僕に気圧されていた。


 むしろ開き直るふりをして自分を騙すことに精一杯のあまり、発言に気を付けられなかった自分に後悔したけれど、もう後の祭りだ。


 このままいくことにしよう。


 「人類の進化というのは好奇心に成り立っている」


 「どうしたの・・・・急に」


 「分からない物を探求し、見えない物に手を伸ばし、失敗と死を繰り返し今がある」


 「だ、だから何が言いたいのよぉ・・・・」


 「好奇心を失うことはそれすなわち種の破滅を意味する」


 戸惑い、困惑する彼女を目の前に僕の力説は止まるどころかむしろ勢いを増す。


 「つまり僕は今好奇心に満ち溢れている。いいや、これはもはや野心というべきだろうか。はっはっはー」


 呵呵大笑呵呵大笑×69!


 腰に手を当て、まるで海賊のように豪快な笑い声をあげる。


 海のように深い僕の言葉は彼女の僕に対する大いなる誤解を解いてくれただろうか。


 いいや、解かなければならない。


 彼女に隙を見せることは僕という存在そのものを破滅に導いてしまう。


 僕はうすーく、うすーく、けれど0.01ミリよりはかろうじて大きく瞼を開き、彼女の表情を窺った。


 そこには先ほどまでの困惑したような表情はなく、呆れ、そして少し疲れたような表情をした彼女がため息をつきながら肩を落としていた。


 「好奇心や野心に満ち溢れた人が、太陽の光を反射するくらい全身真っ白で、それでいてちょっとした風で吹き飛ばされそうなくらい細いわけがないじゃない」


 馬鹿じゃないのと言わんばかりに僕の頭からつま先までゆっくりと視線を下ろしながら、嘲笑交じりに僕の外見のすべてを否定をした。


 けれど彼女がここまで僕に自然体で接することが出来ていることに対しては少し嬉しくもある。


 「なににやにやしてるのよ。もしかして私に惚れた?」


 「ふんっ。自惚れるな」


 僕は精一杯の強がりを見せて歩を進めた。




 いつもの曲がり角にさしかかった。


 ここを曲がれば僕と、そしてさっきから腕と腕が微妙に触れるような距離を故意に維持している彼女の家が見える。


 住宅街なだけにこんな直角な曲がり角で、曲がった先が見えない危険な場所であっても車通りなんて滅多にないから、特に警戒心を持つ必要はない。


 ないんだけど・・・・・・・・


 「どうしてお前はいつもこの曲がり角が近づくと毛を逆立てる猫みたいになるんだ?」

 

 警戒心をマックスにした彼女は歩くスピードが如実にゆっくりになり、執拗に周囲を確認する。


 「何をそんなに勘ぐってるんだ?もしかして脱法的な何かを吸引しているのか?」


 「そんなわけないじゃない。ちょっと静かにしなさい。これはまー君のためなのよ」


 最近なりを潜めているからって油断は禁物よね。


 小声で叫ぶという気持ち悪い表現が正しい彼女は声こそ小さいものの、仕草がやかましく、けれど表情は真剣そのものだった。


 一体彼女をこんな風にさせたきっかけは何なんだろうと思ったけれど、深入りするのは面倒そうだったのでやめる。

 

 今は解決しなければならない大きな山に集中すべきだろう。


 全く進展どころか、何もつかめていないんだけれど。


 「何か分からないけれど、今日も別に何もないよ。ほら行くぞ」


 僕は彼女の腕をとり、少し強引に引っ張る。


 「きゃ!・・・・こ、これが吊り橋効果ってやつなのねぇ」


 「お前、これが目的とかじゃないよな・・・・」


 僕が掴んだ腕はまるで元々そうであったかのように僕の腕を包み込み、いつのまにか僕ががっちりとホールドされてしまった。


 僕が掴んだ主導権は一瞬にて奪われたような形になってしまったけれど、曲がり角が近づく度僕の腕をつかむ力が増していくのを感じるのは少し辛い気持ちになる。


 僕のために彼女が何を秘密にして、何に苦しめられているのかを僕が何も知らないでいることは、怖かったしそれでいて何とも言い難い気持ちになった。


 「それじゃあ曲がるよ」


 「うん」


 僕と彼女は同時に右足を出し、誰かの塀でできた曲がり角を曲がる。


 「あっ」


 曲がってすぐに声を出したのは僕でもなく、彼女でもなく・・・・・・・・目の前で驚いたような、それでいて少し気まずそうな表情で棒立ちになっているお姉さんだった。


 「ねぇ・・・・見た?」


 如実に焦りが顔に出ていて、それを覆い隠すかのように作り笑いを浮かべるお姉さんを見て僕は久しぶりに普通の人を見た気がした。


 それに僕は安堵したけれど、こんな閑静な住宅街で、それでいて僕の家の付近をこの辺りでは見ない顔のお姉さんがうろついているのを見過ごすわけにはいかない。


 事実、僕の隣の彼女は何故か戦闘態勢に入っているみたいだし。


 猫みたいに「シャァァァー、フシャァァァー」って言ってるし。


 ・・・・・・・・相変わらずあざといな。


 まぁいいや。

 

 とりあえず、このお姉さんにかまをかけてみようか。


 「そうですね。そういうのはやめたほうがいいと思います」


 抽象的で雲を掴むような返答をし、このお姉さんに事の詳細をしれっと吐いてもらおうというのが算段だ。


 僕は目の前の家にさっさと帰りたい欲を押し殺して、彼女が無害であることを願った。


 それにもし欲に従って目の前のお姉さんを無視しようものなら、隣の獣が何をしでかすか分かったもんじゃない。


 頼むから何でもない無害な人でいてくれよぉー。


 ポイ捨てしたとかそんなことなら全然許すからさー。


 僕は懇願するような瞳をお姉さんの口許に向ける。


 「こ、これはあれ・・・・・・・・慈善事業の事前準備・・・・なんちて」


 渇いた風が僕たちの周りに吹いた。


 ギャグマンガみたいにみんなでその場に擦っ転がることはないけれど、なんだか拍子抜けした。


 「そうですか。ならいいです」


 それでは、僕はそう言い残し家へと歩を進めた。


 「あれま、意外とあっさり。そいじゃ、またねー」


 そういうお姉さんこそあっさりしてるんですね、なんて軽口を叩こうと思ったけどやめておく。


 ひらひらと手を振るお姉さんはまぶしいくらいの笑顔を僕たちに振りまいてくれた。


 僕はその笑顔にどうしてか一瞬視線を奪われてしまったけれど、まぁ気のせいだろう。


 「まー君は渡さないんだからぁ!」


 「おい!別に僕はお前のものじゃないだろ!」


 僕たちのやり取りを見届けるお姉さんの笑顔が少しどこか雲ったような気がする。


 身内の醜態を晒したような、そんな気がして僕も早くこの場を去りたかった。

 

 「じゃあな!」


 僕は彼女の腕を振りほどき、残り数メートルの道を駆けて帰った。


 家の敷居をまたぎ、ドアノブに手をかけたその時、「まー君!」という叫び声と共に・・・・・・・・僕の後頭部に鈍痛が走った。

 

 


 


 


 


 


 


 

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