運命 03

 中学最後の放課後にして、僕にとって中学初めての放課後はまさに『運命』的であると錯覚してしまうような出来事であった。


 昼の光に照らされた教室で2人きり。


 日を追うごとに心地よくなってきた温かな風が、経年劣化と紫外線の標的となって少し黄ばんでしまった白いカーテンを揺らす。


 窓の外からはまるでフェス会場の様な楽し気な話声が聞こえるのとは裏腹に、この教室は静寂に包まれていた。


 僕の右手には花束でも卒業証書でもなく見慣れたファイルに挟まったパンパンのプリントがこれ見よがしに強烈なインパクトを放っている。


 1度も着ることのなかった制服はいつのまにか着れなくなっていて、僕は体だけが成長していることに喜んでいいのかむしろ悲しむべきなのか分からないまま無難な私服姿で棒立ちしていた。


 「本当に来てくれたんだ」


 言葉には出来ない何かに耽る僕に、彼女は驚きやら感動やら申し訳なさやらが入り混じったこちらも何とも言えない表情で話しかける。


 その声に、そしてそんな表情に僕は改めて彼女に焦点を当て、感慨にふけるのをやめた。


 「まぁ・・・・ね。それは約束だし」


 だんだんと小さくなる僕の声。


 なんてみっともないんだろうと思う。


 ここはやっぱりアウェイなんだなとすっかり内弁慶になってしまった僕自身が自覚した。


 彼女なら・・・・とあの時の衝撃をあの時の説教を思い出して自分を奮い立たせようとしても心の芯が逃げ腰の僕はどうしても委縮してしまう。


 「そうだよね。ありがとう・・・・・・・・・私との約束を覚えてくれていて」


 ひきつった笑顔を浮かべながら話す彼女もまた僕と同じでどこか遠慮してて、それでいて怖いんだろう。


 対象は違えど気持ちは同じ僕たちの間にはそれっきり音がなく、気まずい沈黙だけが広い教室の中を席巻した。






 最初に口を開いたのはまたしても彼女だった。


 「あのさ、しつこいようで悪いんだけど・・・・どうして今日は来てくれたの?来ない選択肢もあったのに」


 お互いに目を合わすこともない中、唐突な質問に僕はたじろいだ。


 もう帰ってしまおうかと思っていた矢先、核心を突くような質問に僕は言葉に詰まる。


 「えーと・・・・」


 時間を作るような曖昧な返事しかできない僕とは対照的に、彼女の口は何度もゼンマイをまわしたおもちゃのように軽やかに動き始めた。


 「正直、私から言いだしてなんだけど今日は来てくれないと思ってたんだ」


 渇いた笑い声と同時に吐き出てきたその言葉はおそらく本音なんだろう。


 彼女は両手に抱えた花束と卒業証書を近くの机に置き、僕と向き合う。


 「だからさ、聞いておきたいんだよね。どうして来てくれたのか」


 そのまなざしは僕を弓で射抜くかのように真剣で、花束と卒業証書を置いた姿から納得するまでこの場を離れないぞという強い意志を感じた。


 逃げられないんだと確信し、ここに来るまでに分かっていただろうと自問自答し、そして僕もプリントの束を僕の机だったところに置く。


 「・・・・ここに来なければ僕は彼女に顔向けできない」


 まるで独り言かのようにつぶやく僕は、やっぱり目を合わせることが出来なかった。

 

 根拠のない罪悪感のようなものが小さな悪性腫瘍のように広がり、気味の悪い存在感を放っている。

 

 この教室に僕の様な人間が存在しているからだろうか。


 目の前の彼女の幸せなこれからを邪魔してしまっているからだろうか。


 それとも・・・・・・・・


 頭の中に巡る様々な憶測はどれもこれもピンとこない。


 僕は正解を模索するべく彼女との対話を続ける。


 「僕はある女性に救われたんだ。その女性は荒々しくて、気高くて、神々しくて・・・・・・・・正直、今並べた言葉じゃ物足りないくらい素晴らしい女性なんだけど」


 自然と笑みがこぼれる。


 あの時のことを思い出すと、あんなにも痛々しかった思い出が楽しかった思い出にいつも勝手にすり替わっている。


 「ふぅーん。それで?」


 「だからつまり、僕をここまで突き動かしてくれたのは彼女が僕に示してく」


 「もういい!」


 ピンっと張っていた糸がプツンと切れたかのように、彼女は突如激高した。


 僕の言葉を途中で遮った彼女の声色は怒りに満ち溢れていて、虚を突かれた僕はその場で開いた口を閉じることも出来ず固まってしまう。


 「ある女性とか彼女とか・・・・あの女のことばっかり。どうして?今目の前にいるのは私じゃん!」


 積もり積もった怒りが爆発したという感じだった。


 彼女の醸し出す丸く柔和な印象は今では雲散霧消していて、満月の様な眼はキッとすぼめられ明確な嫌悪感を表している。


 どこまでも鈍感であるという自負がある僕でも彼女の怒りの琴線に触れてしまったことは表情や口調で理解できた。


 「その・・・・・・・・」


 何か、とりあえず何か話すべきだと感じた僕の口から漏れたと言っても過言ではないような音はすぐに引っ込むこととなる。


 彼女の瞳が滲み、そして涙が1粒2粒ぽろぽろと流れ落ちていた。


 「ねぇ。どうして・・・・どうしてなの。どうしてあの女なの?私の方があの女より長く一緒にいたじゃん。私の方があんたとたくさん話したじゃん。なんで・・・・」


 まるで懇願するような、それでいて震えた声で僕に語り掛ける彼女を僕は初めて見た。


 溢れる涙を気にすることもなく、文脈も何もかもかなぐり捨てた彼女を今僕はようやく心から正面で見た気がする。


 なぜだろう。あの時、窓ガラスを叩いて僕に思いのたけを告白し、今までの愚行の数々を謝罪していた時よりも僕は彼女に強く心を動かされた。


 それと同時に彼女のことを何も知らないであろう目の前の女に、僕は僕の大切な彼女を愚弄されたことに怒りを覚えた。


 「お前が彼女の何を知ってるんだ。それに長く一緒にいたからって何になる。時間ってのは誰に対しても同じように流れているんだ。それならば長い瞬間ときよりも短くとも刺激的な瞬間の方が大切に決まっているだろ。それにお前は長い時間をかけても僕を救い出すことが出来なかったじゃないか!」


 「あの女のことならまー君よりも知っているわ。まー君は騙されている!憔悴しきった状態のまー君を強い言葉と奇を衒った行動で惑わしているのよ!目を覚まして!あの女は狂っているわ。まー君は今強い光に当てられて混乱しているのよ!」


 涙で濡れた目をこすりながら駄々をこねる子供のように、けれど懸命に僕に話す姿に僕はさらに苛立つ。


 心に語り掛けてくるような言葉の数々におこがましさを感じ、もうぶん殴ってしまおうかなんて考えてしまうほどに目の前の泣きじゃくる女に嫌悪感を抱いた。


 「どうして・・・・・・・・どうしてなのよ・・・・」


 疑問ばかりを口にする彼女をよそに僕はプリントの束に手を伸ばす。


 この女はこんなことのために僕を呼んだのだろうかと心底軽蔑した。


 もう会うことはないだろう。


 僕は手に取ったプリントの束を小脇に抱え、最初で最後の教室に背中を向けた。


 「・・・・・・・・私、まー君のこと好きなの」


 「は?」


 くぐもった声での唐突な愛の告白に僕は困惑した。


 反射的に出た声にそして疑問符に無論意味はなく、むしろさっきまでの彼女の言葉よりもより鮮明に、クリアに聞こえた。


 「私とまー君は『運命』なんだよ。私たちは切っても切れない『運命』なんだよ。こうしてまた再会できたってことが証明してくれているわ」


 先ほどのくぐもった声が嘘のように晴れやかな声音で告げている。


 だけど彼女の言動の支離滅裂加減や、彼女の中で勝手な自己完結が行われていることに対して僕は呆れることしか出来なかった。

 

 一言、何を言っているんだと言ってやろうと口を開こうとしたが彼女は止まることなくまくし立てる。


 「家が隣で、家族ぐるみで仲が良くて、幼稚園も小学校も同じで・・・・・・・・そんなの『運命』以外の何物でもないじゃない!神様が私たちに与えた唯一無二の何物にも代えられないかけがえのないものなのよ!」


 「それは『運命』なんて大層なものじゃない。それは偶然だ。家が隣なのも、家族ぐるみで仲が良いのも、幼稚園も小学校も同じだったってのも何もかもお前と僕の周りにあるものすべて偶然だ」


 僕は彼女を諭すかのように冷静に、そして冷徹に告げる。


 はっきりとした物言いの中に少しでも優しさが混じらないように気を付けながら話すのは少し辛いものがあった。


 だけど僕の追い求める『運命』に対して彼女が勝手な誤解を持つことは看過できなかった。


 「そんなの詭弁よ。客観的に見れば私たちの関係は紛れもなく『運命』的なのよ。何が不満なの?私はあんたが好き。それが嫌なの?私のことあんたはどう思ってるの?私のこと嫌いなの?」


 教室の床からきしむ音が聞こえたと思うのと同時に彼女が1歩1歩僕の方へ歩みよってくる。


 僕は彼女に合わせるようにして1歩1歩後ずさりながら、上目遣いで僕を見つめる彼女から距離をとっていた。


 「ねぇ。逃げてないで答えてよ。どうなの?」


 逃げる僕を前に強気になる彼女に僕はとうとう後がなくなってしまった。


 「好きとか嫌いとか、お前にそういう感情を抱いたことはない」


 こういうことに経験のない僕はどっちつかずの答えを述べてしまう。


 後になって僕は嘘でも嫌いだとはっきり言えばよかったと思う時が来るが、それはやはり後の祭りなんだろう。


 僕の答えにもならないような答えを聞いた彼女はにじり寄る足を止め、にんまりとそれはまるでいじめっ子の様な笑顔浮かべ「へぇー」と間延びした声を出した。


 「そっかー。そうなんだー。今はまだ、むしろ上々って感じじゃん」


 「何がだよ」


 「いいのいいの。こっちの問題。それよりもそろそろ帰ろうよ。この教室なんだか熱がこもってて熱いんだよねー」


 すっずしいかーぜ、すっずしいかーぜーなんて言いながら花束と卒業証書を振り回してスキップをする彼女の背中に我儘だなぁとぼやきながら僕もゆっくりとついていく。


 喜怒哀楽の激しい、いやもはや情緒不安定という表現が正しいような彼女と付き合うことを不意に考えてみるけれど、それは鼻息で飛ばせてしまうくらいに現実味のないことだった。


 「あぁそうだ。1つ言い忘れてることがあった」


 不意に振り返った彼女は満面の笑みを浮かべて口を開く。


 「私、北白梅高校受験したから」


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

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