惨憺 06
「やあやあ、こんにちは。いや、こんばんは?」
チャイムの音とほとんど同時に僕は玄関の扉を開け、彼女を出迎える。
多少おどけた様子の口調からも垣間見えるように、彼女から昨日のようなぎらついた雰囲気は見受けられない。
彼女曰く昨日の行いは自身の怒りを爆発させただけだと、僕に対して殺意が芽生えたと、そしてやり方を間違えたと認めていたが、彼女は1度たりとも謝罪の言葉を口にはしなかった。
それはやり方は間違えたと認めたが、決して自分が間違えたと、自分の正義が揺らいだとは微塵も思っていないことが窺えるようだった。
あくまで勝手な推測で、エビデンスはどこにも存在しない。
ただ勝手に言葉だけを拾って、そしてあの数分で感じた彼女という存在を加味した結果、そういった結論に自分の中で落ち着いたというだけで。
まぁただそれだけ僕は彼女について何も知らないのと同時に、彼女のことを少しでも知ろうとしていると思えば可愛らしいものだろう。
ともあれ今はそんなことを些細な事であると頭の片隅に追いやれるほどに、これから始まる彼女との会合に心躍らされていた。
時刻は昨日より少し早い16時30分。
昨日と変わらないのは、後ろで1つにまとめられた黒髪と、鋭い瞳。
そしてこの辺りでは、いや、有名な進学校として老若男女問わずに知名度の高い北白梅高校のセーラー服を身に纏っている。
そんなセーラー服は不本意にもダサいことでも有名であった。
まぁ、僕もその点に関して同意せざるを得ないというか。
そもそもセーラー服がどうという以前に、彼女にはセーラー服そのものが似合っていなかった。
スタイル抜群の彼女には、やけに子供っぽいそのセーラー服がコスプレのように見えて仕方がない。
まるで、いかがわしいお店でつけたオプションのような感じと言えばさらに分かりやすくなるのだろうか。
もっと身近なもので例えるなら、女子大学生が宅飲みでよっぱらい、冗談半分で実家から持ってきた高校の制服を着ているみたいな。
・・・・・・・・いやに具体的だな。
決して僕の願望というか、フェチというか、そう言った類のものではない。
本当に本当に本当だ。
か、閑話休題!
閑話休題したものの、話は変わらない。
ボコられた分の仕返しとは言わないが、彼女の制服についての話をもう少しだけしよう。
彼女のセーラー服の左腕の部分には北白梅高校の校章が縫い付けられていた。
僕はどうしてかその部分に興味を惹かれ、昨日北白梅高校の制服を調べた。
その縫い目が歪に荒く、荒々しく、僕が抱く彼女のイメージとはそぐわなかった。
彼女は暴力的ではあるものの、手先は器用そうだったし、なにより曲がったものが嫌いなのだと思っていた手前、雑な手法で縫い付けれられたそれがどうも浮いていた。
そんな経緯のもと調べると、驚いたことに北白梅高校のセーラー服にはそもそも左腕に校章なんてついていなかった。
仮に、入学後に後付けを義務付けられるのなら、ホームページでも校章が縫い付けられた写真をアップロードするはずである。
有名な進学校が奇を衒って、わざわざ校章を外した状態の写真をアップロードしたとは考えにくい。
なら、どうして。なぜ?んーー-----?
「おいおい。君はこんなにもか弱いレディを寒空の下にいつまで置いてくつもりだい?」
「か弱いレディの拳はそんなに痛んだりしないと思うんですけど」
「私の辞書には、女に理屈は通じないと記されている。女に通じるのは・・・・・・・・女の気分で変わるから何とも言えないなぁ」
はっはっはーー!と呵々大笑をする彼女はどうも愉快そうだった。
とりあえず昨日のように僕がボコられるという不安だけは解消されたみたいだ。
「いやぁ、自分で言うのもなんだが、ほとんどもう元通りじゃないか」
一息ついたと言わんばかりに、大きな息を吐くのと同時に彼女自身が散らかしたリビングそしてキッチンの現状に感嘆の声を上げる。
「そりゃあまぁ昨日僕が片づけておいたんで」
「ふむ。君はもしや潔癖と言う奴か」
「そんなんことないと思うんですけど」
「いいや、君は潔癖だ。少なくとも女性関係は潔癖だな」
彼女は憎たらしいほどの嫌な笑みを浮かべしょうもない、もはや言葉遊びとは程遠いような嫌がらせを僕に向ける。
ふん!そんな簡単な挑発に乗るかっての。
「勝手に決めつけるな!僕がいつ、未経験だと言った!証拠は!理屈は!言えよ!言ってみろよぉ!」
「うん。君はよくいままでスパムメールやらに引っかからなかったね。もはや恐怖だよ。そこまでわかりやすくわかりやすいのは」
「くっ!」
意外と僕は乗せられやすく、わかりやすい性格なのかもしれない。
僕は僕のことをもう少しクールな奴だと思っていたんだけど。
「それにしても昨日に続いてまたしても両親はいないんだな」
彼女は部屋を見渡したついでと言わんばかりに、僕の家にないものを告げる。
別に先ほどの潔癖云々とは違い、今の発言に裏も表もないのは分かっているし、彼女にとってそれは雑談の1つでしかないことも重々理解しているが、僕の顔はどうしても少し歪んでしまう。
そんな僕の表情を見るや否や、彼女は何かを察したらしい。
「仕事・・・・というわけではないんだろうなぁ。ううむ、計りかねるな。いやはやいくつか候補はあるのだが、違っていた時のリスクが大きすぎるし、なによりそれを君より先に口に出すのは私の主義に反する」
いたって平坦な口調で話す彼女には別段裏表も同情もなかった。
言いたければ言えば?別に言わなくても私は何とも思わないし。
ただ、私からは何も言わないよといった姿勢は彼女の本心そのものなんだろう。
しかしそれは僕の脳裏に浮かんだ唯一の逃げ道を、まるで頑丈なシャッターで閉じるかのように強く勢いよく塞いだ。
言葉にも表情にも出さない手前、案外偶然なのかとも思われるが、彼女の瞳は先日のぎらつきを取り戻していた。
ゆえに、彼女の今の発言は故意であり、そして僕の返答が少しでも意にそぐわなければ、説教改め鉄拳制裁が始まるんだろう。
つまり彼女は僕の手札から逃げるという選択肢を無くし、僕に心身の強化というありがた迷惑なカードを横入れしてきたというわけだ。
昨日認めた間違いが再来しそうな予感。
彼女の言う通り女ってのは気分でコロコロと変わるみたいだ。
・・・・・・・・正直言いたくないというのが本音だった。
誰にも言いたくない、誰にも気づかれたくない、誰にも気を使われたくない、思い出したくない、現実から目を背けたい。
言葉にすれば『惨憺』な現実は眼前に迫り、僕を包囲し、殻に閉じ込める。
あの時の光景が蘇り、あの時の気持ちが蘇るのに、本当に蘇ってほしいものは蘇らないという現実は僕の体に、心に、脳に、脊髄に、血液に、蘇る。
胃酸が上がってくるのを抑え、震える体を抑え、揺れる気持ちを抑える。
彼女ならという期待は逃げだろうか、無責任だろうか。
彼女なら最後まで付き合ってくれるというのは傲慢だろうか、彼女なら僕の気持ちに寄り添ってくれるというのは勘違いだろうか。
俯く僕は彼女の瞳をもう1度見つめる。
そこに映る僕の表情は・・・・・・・・・・・・
「フフフ・・・・・はっはっはーー!いいね!最高だ!いやはや傑作だよ。最悪の笑顔だ。この世で1番醜い笑顔だ。醜態だ!最低だ!気味が悪い!悪魔も戦慄するだろう!だめだ、笑いが・・・・・・・・ハハハ、こらえきれない・・・・いっひっひーーーーひゃはっはっはーー!」
「ち、ちょ、流石に言いすぎですよ!笑いすぎですし・・・・」
彼女は目尻に浮かぶ水滴を人差し指で払い、崩れた相好を戻した。
そして僕に向かって指を指し、大口を開く。
「そうだ。それなんだ。それこそが生き方だよ。人生だよ。ピエロになるんだ。薄ら笑いを浮かべるんだ。嫌な時は笑顔になるんだ。嘘をつくんだ。他人にも、自分にもだ。徹底的に。それは逃げじゃない。勝ちだ。勝利だ。君は勝った。過去に。素晴らしい!マーベラス!アメイジング!」
感情の昂りが抑えきれないのか、彼女の声量は先日よりも大きく部屋に轟き、全身を使い僕に語り掛けてくる。
その姿はまるで今でも自分自身に暗示をかけているような、しかし僕はそんな彼女が神々しく見えた。
いいや、神々しくというか、もはや僕には彼女の存在が神にすら見える。
自分の行く道を示し、その道の先頭に立ち、悪鬼羅刹を薙ぎ払う。
この世の不行状を憎み、炯炯たる目で悪を絶ち、正義を振りまく。
誰よりも人間らしく、誰よりも活殺自在、ゆえに誰よりも神に近い。
正義に対して自由な彼女は新しい僕を産んでくれた。
人間は神から創られたという。
ならば僕は彼女に創り替えられたのだから、彼女は僕にとって神様そのものなんだ。
僕は初めて自分の苗字を誇りに思う。
神宮寺。神に守られ、そして神を守る。
見えない物にすがるのは辛い。偶然に価値を見出すのは虚しい。
それならば見えるものにすがり、必然に価値を見出せばいい。
僕は彼女に説教という名の洗礼を受け、今新たに立ち上がった。
彼女についていけば、彼女の正義に従えば僕は変わることができると、この時確信に変わった。
強烈な正解は、苛烈な正義は、誰もいない僕の心にどっしりと、どっぷりと入り込んだ。
そして僕は彼女に焦がれた。
・・・・・・・・これでは少し誤解を招いてしまうかな。
ここは1つ言い換えさせてもらおう。
僕は彼女にあこがれた。
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