Ignition_4 不協和音の境地

「なあ、おまえさんとこのグレムリンさ……」

 回想が解けたところで、トーンを落としたサラマンダーが話しかけてきた。が、切り出したものの、続きを口にして良いものか迷っているらしい。

 言いたいことは、おおよそ推測できる。俺も一度遭遇したことがある。


 作業を続けながら、俺はサンセットオレンジの糸を引き出した。

 もちろん〈糸〉はから、それは意識下で行われる。


   *


 無機質な廊下は静かだ。だから反響する口笛が聞こえると、もじゃもじゃ頭のシルフがじきに階段を駆け上がってくるとすぐわかる。


 そんな通路に降り立って間もなく、ぺスッぺスッという妙な音がする。既に正体を知っていても、ハイスピードで移動するその異様な気配は無意識に身構えさせる。


 トイレ方面から飛び出してきたグレムリンは、うちのボス。

 胸を張って腰を突き出し、ズボンのチャックに手をかけたまま猛スピードで目の前を横切っていく。脱げないよう半ば引きずられているスリッパの嘆きがもの悲しい。


 不穏な空気の正体はおそらく、シャツか何かが挟まってチャックが上がらないもどかしさと、どうしようもない焦り。

 限界まで我慢して臨界点に到達する間際でトイレに駆け込んだが、焦りスイッチが解除されないまま次のフェーズに移行中。

 どうせ、そんなところだ。

 驚きはしたけれど特に害はない。


   *


「なんていうか、ちょっと無理なんだよなあ。生理的に」

 糸を巻き取って記憶の再生を終えたところで、サラマンダーも話し終えた。

 生理的に、か。


 俺たちは感じたことを刻みつける〈内なる石〉を持っている。


 強烈な不快感は、危険シグナルとして発動し、嫌悪を感じてしまう。

 別チームのサラマンダーは直接グレムリンに関わる必要も機会も殆どない。

 けれど視覚的な印象はキョーレツだ。時折視界に入る程度の自分でさえそうなのだから、日々接しているオマエは平気なのか、と聞きたいのだろう。


 俺が苦手なものは合成化合物の芳香や、ある種の声質。また淀みなく続く物者ものものの会話。尖った香りは脳を揺さぶり、好ましくない波形の声音は骨に反響する。

 結果、激しい頭痛と吐き気に見舞われる。

 だから俺の石にはその情報が深く刻まれているし、いち早く回避するために、それを察知するセンサーはいつも全開だ。


 俺とサラマンダーの感じ方は随分違うらしい。


 奴の不快感も認めよう。

 けれど、あたかも共感した風を装われることが、俺は何より嫌いだ。

 例えそれがより良い社交辞令として世の中で求められているとしても、その態度の印象は殆どその人の象徴として、俺の石には深く深く刻み込まれてしまう。

 それはもはや自動刻印オートマティスムなのだ。


 だからこういった場合は、似たような構造の話に置き換える。

 それこそが〈萬術士まじゅつし〉の本分。


「……時々、自家用恒星間航行機ファイア・ドラゴンがものすごい勢いで駆け抜けてくだろ?」

「え? ああ……、爆轟エンジンをブーストさせたいだけのスピード狂な」

 唐突に変わった話題に妙な顔をしつつも、サラマンダーはついてきた。

「そうかもしれない。それか衛星SAのトイレまで、ドライバーが一世一代の賭けをしてるのかも」

「どっちにしろ迷惑な奴だ」

「事後だとしても、高速移動の後って、普通の速度がまどろっこしいよな」

「おお。って、オマエ何の話してんの?」


 感情には力がある。そのエネルギーは大きさと向きを持ったのようなものだ。束ねることで偉業をも実現する。

 けれどそのベクトルによっては、何かを破滅に導くこともある。

 矢に跨っていると向かう先がよく見える。ようでいて、実はその世界における位置づけや意味合いは、ほとんど見えていない。


 だから俺はその臨場感から離れて、自分の地図に矢を当てがってみる。

 そして場合によってはそっと先端をずらす。今をほんの一度でも変えられれば、未来は大きく違ったものになるだろう。

 今は解らずとも、時間と距離を経ればこそ。


 それは俺なりのだ。



 まあボスには「家じゃないんだから」とレッツ右ストレート。

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