Ignition_Fire 閉ざされた世界

 依頼主に針の入ったケースを渡して急ぎ向かったのは、一・五メンタル四方の小さな空間。奥の特殊作業室の前室だ。

 ここで特殊繊維の作業着に全身を包み、エアリアル・ブレスの間で洗礼を浴びて、ようやく侵入できる。

 要は「ばっちいモンを中に入れたくねえ」というわけ。

 入退室の度に脱ぎ着するのは面倒だから、中でトイレを我慢する気持ちはよく分かる。


 俺の席はこの小さな前室の片隅にある。専用個室と言えば聞こえは良いが、本来は常時滞在するような場所ではない。

 そのための部屋じゃない、なんてくだらない理由ではなく、空調の最下流に位置するからだ。うまく動作しないマシンに苛立って、特殊作業室の中でシルフが叫んでいる声も通気口から丸聞……


 おい、マシンを殴るな。


 廊下から入ってすぐの壁際にぴたりと誂えられた机は、小型端末と書類一枚で八割が埋まってしまう。が、作業効率を考えれば最適解とわざわざ設置された。

 ボスも機械室――ガスボンベがずらりと並び、常に装置やポンプの動作音がウルサイ――の小さな作業台で仕事するので、そいうものなのだろう。前室から見て正面に特殊作業室、左手に機械室、とそれぞれにドアと通気口が設置されている。


 作業着を掴んだところで、パスッと異音がした。

 すぐさま機械室へのドアを開けると、いつものように耳障りな動作音がぶわっと押し寄せてくる。何事かと眉をひそめるグレムリンには目もくれず、壁際にずらりと並ぶガスボンベを確認する。

 圧力計の数値は正常。酸素濃度計のアラート音もない。

 だがドアを開けた瞬間のごく微かな異臭。すぐに薄れてしまったけれど、何事も無かったはずはない。


「ボス、すぐにこの部屋から出てください。さっき聞き慣れない音がしました。それに妙な臭いが――」

 何しろ部屋が部屋だ。

「僕は何も感じなかった」

「でも……」

「いいから!」

 少し憤慨した様子で前室へ締め出され、ボスは機械室に籠城を決め込んでしまう。


 急ぎの仕事があるのだろうけれど、いつも身体の一部のように持ち歩いている小型端末で事足りるのだから、此処でなくともよいではないか。

 だが呼びかけに応じないので埒が明かない。


 確認すべきは稼働中のポンプと特大の超純水製造機ウンディーネ。可能性があり、異常があるまま放置したくないものはその二つ。

 此処にそれらを導入したレプラコーンにすぐさま事情を伝え、何気なく機械室からの通気口を見上げた。そして溜息をつく。

 機械室も特殊作業室と同じく内部気圧が少々高めに調整され、ドアを閉ざすと通気口が開いて自然と空気が前室へ排出されるよう設計されている。

 そしてから降り注ぐ。


 俺は部屋を出た。


 相手が感じていないことを伝えるのは難しく、たいてい神経質だと疎まれる。

 解毒草のようにのうちに消して回ることが、巡り巡って。どれだけそう言い聞かせても、波打つ皮膚や瞳の奥の陰りに相手の感情を見つけると考えてしまう。

 自分はこの世界にそぐわないと。

 

 外へ飛び出すきっかけなんて、こんなものなのかもしれない。

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