第30話 風の構造

「エラリーが……天子の子?」

 クレイグは度肝を抜かれて思わずエラリーを見つめた。エラリーでさえ、アガサの言うことを理解出来ずに茫然としている。

 ノックスだけは少し笑っていた。



 舞い降りた者『天使』は人間を滅ぼすためにこの地へ生まれる。人間と同じ姿をし、見た目では判別出来ない。唯一異なるのは人間を消す能力を持ち、その使命を生まれながらに帯びていることだ。


 しかしその能力に殲滅せんめつ力が無ければ単なる人間と同じ存在でしかない。彼らは本来の使命を失い、普通の人間へと成り下がり、普通の人間としてこの地で暮らしてゆく末路を辿たどることになる。人間を殲滅出来ない以上、この地にとどまって死ぬのを待つしかないからである。

 そして生物の本能にならい、子を残す。


 またある者は海辺でレストランを営んだ。

 彼もまた、人間を少なからず殲滅した罪悪感を背負い、そして干乾びて死ぬ日を待っている。



 そしてある者は人間を消す本懐を失い、河川敷で集落を築き人々と暮らすことを選んだ。



 アガサは何故なぜルルーが干乾ひからびて死んだのかを当時理解出来なかった。その不可解な死を皆には告げず、『黒い風』の被害に遭ったと偽った。その遺体を安置すべく彼の墓を作り葬った。

『どうしてルルーにだけお墓を作ったの?』

 アガサは答えた。

『特別な人だから』



 舞い降りた者の能力は有限であり、使い果たすと体は干乾びて死滅する。

 ルルーは自分の遺伝子を残したのち、自らの能力を故意に使い果たして力尽き果てた。つまりルルーの死は自殺であった。


 彼らは『黒い風』が何であるかを知っている。

 自分と同じ『天使』の力であることを知っていた。

 けれど彼らはそれを口にすることは出来ない。

 したくても出来ない。

 そう作られている。


 ルルーはエラリーが誰の子であるかを知っていたに違いない。けれど彼はエラリーを他の子と分け隔てなく育て過ごした。アガサを含め、誰もが皆『天使』の子であるから、エラリーだけ特別な存在と思ったことはない。



 ノックスにおいては、子を作ることは戦略の一環でしかなかった。眷族けんぞくを増やし、人間殲滅を迅速に遂行するための手段だった。

 しかし子をはらんだ女は都から姿をくらませた。彼女の細胞構造を知るノックスは遠隔から消すことに成功したが、彼女は男児を産んだ後であった。いや、産んだのを見計らって消したのかもしれない。





 ノックスはアガサの話をじっと静聴していた。

 そして途切れた時、つぼみが開くように表情を和らげた。


「長々と考察をありがとう」

 そう言って拍手を送った。

「僕にも解りかねる範疇はんちゅうのものに関しては置いておいて、あながち間違ってはいない」



 だいだい色の光が東から広がってゆく。済んだ空気に朝陽が射し込んだ。



「ひとつ質問していいかな?」

 ノックスはアガサに言葉を投げた。

「君は、僕の放つ風の構造が見えるのか?」

 アガサは静かに答えた。

「見えるよ、今は」



 ノックスは目を見開いて、長大息を吐いた。

「なるほど。それで躊躇ちゅうちょなくその彼女をかばえたってわけか。やはりその胎児はエラリーの子か」


 クレイグは「えっ?」と思わず声を挙げた。エラリーもまた動揺していた。

 アガサは自分の腹をでた。

「そうね、あなたの孫ということになるかな」



 エラリーもまた、風の構造が実は見えている。ただ生まれながらの能力の為、自分の視界が特別であるとは思っていない。

『黒い風』を色的に『ヴァーユ』と呼ぶほうがしっくりくる、と言ったのも、ひとえに彼には違う見え方をしていたからに他ならない。

 エラリーを身籠みごもった女も言っていた。

『視界も何だかおかしくて』


 アガサもまたエラリーの遺伝子を体に宿し、特殊な視界になっているようである。

『急に視界がぼやけただけ』


 エラリーが『黒い風』の際に常にアガサに覆い被さっていたのは、反射的なものだ。いちいち『黒い風』の構造を読み取っていてからでは遅いと判断してのことである。

 もう少し読み取る能力が早いのであれば、ドロシーを消さずに済んだのだが、それは結果論である。エラリーは、迫り来る風が彼女を消してしまうことを悟り、慌てて『伏せろ!』と叫んだ。

 しかし無情にも彼女は消えてしまったのである。





 ノックスは眉間をせばめて困り顔を誇張してみせた。

「君達の成長は実に早すぎる。そして繁殖力も。それもまた脅威なる所以ゆえんだ。厄介なのはエラリーだけではなかったということか」

 ノックスはそう言いながらも顔は笑みを浮かべていた。


「ただ、君がどんなに知識をひけらかそうと、君達の体の構造は既に解読済みだ」

 アガサも斬り返すように笑う。

「本当に? エラリーを一瞬で消すことが出来るの? なぜそうしなかったの? 父性でも芽生えた?」


 アガサは達観した境地で舌鋒ぜっぽうを鋭くさせた。

「エラリーはあなたの風では消せない」

 アガサはなおもノックスを追い込んだ。

「エラリーを消す手立てはあなたには無い」


 エラリーの外膜を破壊したとしても、エラリーは『黒い風』を吸収する。

 つまりノックスはエラリーを消すことは出来ないのである。




 エラリーの子を宿し、『黒い風』の構造すら見抜いたアガサにはもはや恐れるものはなかった。

 未知であるからこその恐怖、それが払拭ふっしょくされた今、ノックスに対しても、たじろぐすくみも無い。





「ひとつ、君の熱弁に苦言を呈するとしよう」

 けれどノックスもまた、じることなく、むしろ不敵な笑みを浮かべていた。

「何?」とアガサは聞き返した。


 ノックスは右手の親指から曲げていき、数え始めた。

「1、2、3……」

 5まで到達し、指を伸ばした。

「6、7……」

 そして8で止まった。


 けれど数はそこで終わらず、人差し指を最後に伸ばした。

「9」

 そしてノックスは再び笑みをこぼした。

「僕は8番目ではなく、9番目だよ」


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