第28話 天使と悪魔

 相対したノックスは淡々と語り出した。


「ある日、悪魔が生まれました。悪魔達は増え続け、この世を恐怖に陥れる存在でした。そこに天使が降臨し、悪魔を退治しました」

 ノックスはエラリーを見つめる。

「さて、悪魔とは何者でしょう?」


 戛々かつかつと靴を鳴らし、ノックスはエラリーに近づいた。

しき者が悪魔とは限らないし、聖なる者が天使とは限らない」

 ノックスはエラリーの目の前で止まった。

「では、君はどっち?」



 ノックスの人を食ったような態度に耐えきれなくなって、エラリーは震える拳をノックスに繰り出した。ノックスはそれを容易たやすけた。エラリーはすかさずノックスの首を掴もうとする。ノックスはそれもすんでかわした。

「ははっ、またそれか」

 ノックスはエラリーの無防備な腹に膝を入れた。エラリーは顔を歪めた。

「ぐふっ!」


「エラリー!」とクレイグとアガサは思わず叫んだ。

 エラリーはひざまずきそうになりながらも必死で体勢を保った。歯を食い縛り、ノックスの頬へ左拳を突き出した。ノックスはそれも軽く避けて、エラリーの右頬に逆にパンチを食らわせた。

「ぐあっ!」

 エラリーの体が吹っ飛び、倒れ込んだ。口から血を流し、倒れた体を起こそうとするが、なかなか起き上がれない。

「物理的な力では僕に勝てるわけないんだよ、エラリー」


「エラリー!」

 アガサは駆け寄って、エラリーの体を起こした。

 ノックスはその姿を横目で見た。

「君に絶望を与えてあげよう」


 ノックスは静かに歩き出した。

 そして歩みを止めた。

 ノックスはみなぎる力を込めて右手を挙げた。右手が次第に黒くなる。

 ノックスの目がとらえたのは、ひとりになったクレイグであった。


 エラリーは痛みを堪えて叫ぶ。

「や、やめろ!」

 エラリーが必死で立ち上がろうとした。脳が揺れて足がうまく動かない。アガサがそれを支える。

「そんな体で彼女を防ぐことが出来るかい?」


 エラリーはアガサに支えられてようやく立てている状態だ。クレイグの元へ駆け寄る力が今は無い。


 ノックスの右手が黒い渦を巻き、クレイグに『黒い風』の照準が合った。

 クレイグは青褪あおざめた顔で震えていた。目の前2m、ノックスがこちらを向いて立っている。


 クレイグはしかしながら恐怖に背を向けることなく、おもむろに体を大の字に開いた。

 トロフェンを着ている。

 ジャンの想いとチェスタトンの遺志。


 足が震えている。けれど勇ましく『黒い風』を全身で受けようとしている。

「クレイグ! よせ! 逃げろ!」

 エラリーは叫んだ。

 それでもクレイグは動かない。

「アガサ、エラリー、今のうちに逃げて!」


 クレイグは叫び続けた。

「あなたたちは人類に必要なの!」

 クレイグは涙を浮かべて微笑んだ。

「お願い、二人で逃げて!」

「やめろ!」とエラリー。

「お願い!!」



 クレイグの叫びが皇居内に響いた。


 その姿を淡々と見つめ、ノックスは右手を止めて気だるそうに溜め息をついた。

「君がそんなことしたところで何も変わらないよ」


 クレイグは震える口元を緩ませて微笑んだ。

「そうかな。私はともかく、エラリーは違う。どんな世界だって悪は必ず成敗されるって決まってるの」


 ノックスはフッと嘲笑あざわらった。

「悪、ね」

 そして止めていた右手を振りかぶった。

「ならばお望み通り『悪』を成敗しよう」



 ノックスの右手がクレイグ目掛けて振り下ろされた。『黒い風』がクレイグに襲いかかる。

「クレイグぅ!」

 ノックスは叫んだ。

 クレイグも覚悟を決めてギュッと目をつむった。『黒い風』が包み込む。



 エラリーは呆然とクレイグの姿を見つめた。

 その目はクレイグの悲惨な最期を見届けたわけではない。クレイグの前でノックスの放った『黒い風』が弾かれていた。目を閉じ、体をすくませるクレイグの前でさえぎられていた。









 前に立っていたのは、



 アガサだった。






 わずかな隙をついて駆け寄ったアガサはクレイグの前に立ち、『黒い風』を弾き制していた。



『黒い風』は城壁を通り、都へ世界へと過ぎ去っていった。



 静寂に戻り、目を開けたクレイグは驚いた。

「アガサ……?」

 常にエラリーの陰に身をひそめていたはずのアガサが、自らクレイグの前へ立ち、『黒い風』を弾いている。

 エラリーは茫然ぼうぜんとしていた。

『黒い風』を放ったノックスも目を見張った。

 誰もが今の光景を予想だにしていなかった。



「アガサ、大丈夫なのか?」

 エラリーは痛みを堪えて叫んだ。

「大丈夫だよ、エラリー」

 アガサはそう答えると、ゆっくりと顔を上げ、ノックスへとその眼光を向けた。

 そして静かに口は語り出した。




「……かつてこの世界に、7度の爆発があった」

 その声は低く、明るいアガサとかけ離れていた。


「あなたもエラリーも知らないでしょう。あなたたちが生まれる前から世界は7度爆発を経験している。

 その時も各地で人は消えたけど、さほどの威力を持たなかったため『神隠し風』と呼ばれる都市伝説として片付けられた。けれどそれは無色透明でありながら確実に存在し、世界を巻き込んでいた。

 抵抗を持たない者は消え、大半の者は知らぬうちにそれを弾いていた」


 エラリーはなんとかクレイグのもとへと足を引きって近づき、彼女の震える体を座らせた。

 前に立つアガサは微動だにせず、けれどりんたたずんでいる。


「1度目の爆発で生き延びた者が子供を産み、2度目を生き延びた者がまた子を産む。そうして人間はより耐性の強い子供を作っていった。わたしたちはそうやって知らぬ間に進化してきた。

 そんな耐性を持つ子供ですら壊滅させられる強力な存在が現れた。それが8度目に舞い降りたあなたよ」


 エラリーはクレイグを抱え、アガサの話を一緒に聞いた。



「わたしはあなたの『黒い風』を受けても幸運なことに生き延びた。どうして助かったのかわたし自身にも分からなかった。

 けれどクレイグやチェスタトン、フィルボッツ、そしてルルーとあなたの話を聞いて、わたしの記憶が、いや、遺伝子がそれを今、導き出した」



 アガサの瞳が鋭く光った。

「あなたの言う、舞い降りた者を『天使』と呼ぶなら、生き延びた者は天使の子なのよ」


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