第26話 結末

「エラリー! エラリー!」

 体を揺さぶられてエラリーは目を覚ました。アガサに抱きかかえられ、横たわっていた。


「ここ……は?」

 アガサは涙ぐんで答えた。

「皇居よ。よかった、無事で」


 エラリーはハッと身を持ち上げた。

 皇居内、宮殿の前だ。

 ノックスと対峙たいじしていたことを思い出した。周りはまだ暗闇に包まれている。横でトロフェン素材の黒い衣服を抱き締め、クレイグが泣いていた。


 ジャンが……居ない。


 あの時の光景が閃光せんこうのように目映くまばゆよみがえった。

 あれは現実だったのか。

 ジャンが身をていしてクレイグ達を救ったあの姿。


『何としてもヴァーユを解明しないとな』


 ジャンの言った台詞が頭の中でこだまする。

 声がれるほど泣いているクレイグ。

 見るとやるせなくて胸がはち切れそうになる。



 ジャンは、消えた。

 消えてしまった。



 自分があいつを見失ったからだ。

 救えなかった。自分が。



 エラリーは自分を責め続け、そしてこの上ない怒りが体を震わせた。

「あいつは?」

 エラリーはその憎らしき仇敵を探した。沸々と湧き上がる激情に体が波打つ。

 アガサは黙って指差した。



 5m程離れた敷石の上にうつぶせに横たわる体軀たいくがあった。紫の礼服、そばには王冠が転がっている。

「あれが……天子?」

 アガサが「憶えてないの?」とエラリーに尋ねた。エラリーはまるで前後不覚の状態だった。



 アガサから聞くところによると、ジャンが消されたことに逆上したエラリーはノックスを叩きつけるように殴打した。転げるノックス。エラリーはその体の上に乗りマウントを取って、ノックスの首に右手を押し当てた。するとノックスの喉から黒い煙が湧き、エラリーの体はそれを吸収し始めた。苦しみあえぐノックス。エラリーはそれでも力で押さえ付け吸収し続けた。ノックスの体はみるみるしぼんでいき、しわくちゃになって、遂には干乾ひからびて、動かなくなった。黒い煙を吸いきったエラリーはそのまま倒れ込んだ、という。



 エラリーは立ち上がって、横たわるノックスへ歩みを進めた。牛蒡ごぼうのように皺々になって横たわる姿がそこにあった。

 エラリーはそれを見下ろした。生気がまったく無い。ノックスは出涸でがらしとなって転がっているだけであった。


「これで……終わり?」

 エラリーは力なくへたり込んだ。

「こんなにあっけなく?」

 煮えたぎった怒りが発散出来ずに体中を駆け巡っている。


 こんな結末で満足しろ、と?


 歯を食い縛るエラリーにアガサは寄っていき、肩に手を添えた。

「この男が『黒い風』を引き起こしていた。そしてこの男は死んだ。目的は達したんだよ」


 エラリーはそれでも納得出来ず、激しく首を振った。

「でも……、でもこいつがジャンを消して、ドロシーを消して、ルルーもチェスタトンもみんないっぱい消して、それなのにこんなあっさり死んで、『はい、おしまい』って!」


 エラリーは涙をはらはらと流した。

 たくさん見てきた苦しむ人々。


「みんな大切な人を奪われて、苦しんで生きて、いつ消えるかってびくびく生きて、それでも生きようとしてて。それなのにこんなにあっけなく自分は死んで!」


 唇を噛み締めてエラリーは嗚咽おえつを漏らした。アガサはエラリーの体を抱き締めた。

「だから良かったじゃない! もうみんな苦しまなくていい! 悲しまなくていいの!」

 エラリーの涙を親指で拭って、アガサは潤んだ瞳で笑った。

「エラリーはそれを果たしたの。みんなのかたきをとって、みんなに未来を与えたの!」


 エラリーは再び大粒の涙をこぼした。


 アガサは力を無くしたエラリーの体を立たせ、憔悴しょうすいしたクレイグの元へ寄った。

 そして三人で抱き合った。

「わたしたちは『黒い風』をこの世から消したの」

 そうして三人で泣き濡れた。



 これから人類を、文明を再興していかなくてはならない。帰る場所がある。待っている子供達がいる。

「チェスタトン、やったよ」

 クレイグは天に向かってつぶやいた。

「そしてありがとう、ジャン……」

 チェスタトンの遺志を継ぎ、今こうしてそれを成し遂げたことを誇りに生きていこう。ジャンの守ってくれたこの命と共に。

 クレイグはトロフェンをぎゅっと抱き締めた。





 ガレージではフィルボッツが待ち構えていた。

 フィルボッツは温かいクラムチャウダーを用意し、三人に振る舞った。

「そうか……、よく頑張ったな」

 ジャンのことは残念だったが世界は救われた。それがどんなに意味があることか、三人に熱を込めて伝えた。









 その頃……





 皇居では天子の行方知れずによって騒然としていた。宮殿を抜け出して都へでも行ったのかもしれないが、 宮殿の使用人が何人か服を残して消えており、入り口を守衛する警備隊も消えていたため、宰相カーは非常事態であると判断した。

「天子様を探し出せ」

 カーは下の者に伝達し、皇居内を探すよう指示した。カーは居ても立ってもいられず自らも探しに向かった。


 月の明かりが辺りを照らし、宮殿から東の城壁に近い敷石に何か落ちていることにカーは気付いた。それは警備隊の制服であった。警備隊を消したのは天子本人であることは間違いない。

 しかしなぜこんな所に警備隊が居た?

 カーは更に辺りを見回した。


 それを見つけた瞬間、血の気が引いた。カーは駆け寄ってそれを確かめた。

 紫の礼服と転がった王冠。そして干乾ひからびた骨と皮だけの存在。


 カーはわなわなとそこにへたり込み、そのカラカラの体を抱えた。

「なんと、おいたわしいお姿に」

 呼吸も鼓動もないミイラと化した天子を抱き締め、おいおいと泣いた。

「我が国の象徴、我が国の希望が!」


 天子と共に世界をべるはずの野望がついえてしまったことをカーは嘆き叫んだ。肇国ちょうこく(※)し、都を復興させ、これからという時に、全てが水泡に帰してしまった。これまでの努力は無駄だったのか。

※肇国=新しく国家を建てること。


 カーは絶望と共に地面に泣き崩れた。

 









 光。







 煌々こうこうたる光。









 カーはまばゆい光が自身の周りを包むのを見た。それは頭上から雲を裂いて射し込んでいた。


 顔を上げてカーは空を見上げた。いまだ夜明け前。月の光とはまったく違う、もっと強く輝かしい光が小さな楕円となってふわふわと頭上に浮いていた。その光は綿毛のようにゆっくりと降りてゆき、カーの腕に音もなく収まった。



 それは赤ん坊。生まれたばかりの赤ん坊が寝息を立てて眠っている。あどけない寝顔。左手の甲に小さなあざが見えた時、カーは声を出して泣き叫んだ。

「ああ、神よ!」



 豚小屋で産まれた子は人々にまつり上げられて天子となった。しかし、人々がそうしようがしまいが、元来神の子であったのだ。本当に天が授けた神の子であったのだ!








 帰還した三人をねぎらった後、フィルボッツは立ち上がった。

「では、早く都の民達に天子の死を伝えねば」

 そう言ってフィルボッツはガレージのシャッターをくぐった。



 その瞬間、皇居の方向がきらめいたかと思うと突如煙が天に昇った。黒い雲がうねるように膨張すると、それは弾け飛んで地を瞬く間に駆け巡った。

 フィルボッツは身をかがめ、腕で防御しようとしたが、フィルボッツの体は粒子となって飛び散った。


 エラリーは瞬間にアガサとクレイグの体に被さった。狂った猛獣と化した『黒い風』は物凄いスピードで疾走していった。


 それは都を抜け、国を抜け、全世界を駆け抜けていった。



 世界の全ては再び、『黒い風』に覆われた。


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