第19話 決意を胸に

「見て、天然温泉あるよ!」

 ノルン国の海岸沿いを進むと湯気の立ちこめる街並みが見えた。この一帯は元々栄えた温泉街だったようだ。

「チャンス! 入って行こう!」


 四人は中へ入って設備を確かめた。人はおらず、水道は止まり水が出ない。けれど天然温泉は人が消えた今も湧き続けていた。村には五右衛門風呂が川沿いにしつらえてあり、毎日風呂に入ることは出来た。しかし旅先で釜風呂を用意することは困難であり、廃墟の蛇口は水が出ないことがほとんどのため、川で水浴びをする程度しか体を洗えない。そんな中で温泉で疲れを癒せることはこの上ない贅沢だった。



 男湯ではエラリーとジャンが湯船に浸かっていた。

「女湯のぞこうとするなよ」とジャンが横目で釘を刺した。

「しないよ」とエラリーは笑った。

 真剣にヴァンが言うので、エラリーは少しからかいなくなった。

「でもクレイグって可愛いよね」

 ジャンは湯船を叩いた。

「はぁ!? お前、クレイグをそんな目で見てたのか?」

 ヴァンは目尻を上げてエラリーににじり寄った。エラリーは笑う。

「そういう意味じゃないって。魅力的な可愛らしい子だなぁって思っただけだよ。賢いし」

 ヴァンは自分が褒められたかのように悪い気はしなかった。

「まぁ、あいつは頭が良いのは確かだ。村人は皆頼りにしてる」


「ヴァンはクレイグのことどう思ってるの?」

「はぁ!?」

 ヴァンは突然のことであからさまに動揺した。

「あれ、まさかクレイグのこと?」

 温泉で火照ほてった顔を更に赤らめた。照れ隠しに口を湯船に沈め、ブクブクと泡を立てた。


 しばらくそうして冷静さを取り戻し、ジャンは真剣な顔つきに戻った。


「……クレイグはな、身内を失って絶望の縁にいた。今じゃ信じられないが口がきけねぇほど塞ぎ込んでいたんだ」

 確かに今のクレイグからは想像がつかない。素直に何でも喋る人懐っこい子という印象しかエラリーにはなかった。

「そんなあいつをチェスタトンが救ったんだ。だからチェスタトンに一生返せないほどの恩を感じてるんだよ」

 あの小屋でクレイグが懸命に『黒い風』の研究をしている姿をエラリーは思い出す。単なる研究好きというよりも解明に必死の様子だった。


「あいつがチェスタトンの遺志を継いでるのは、チェスタトンの業績を無駄にしたくないからだ。チェスタトンは間違ってなかったと証明するためだ。

 月命日の祭りもクレイグの提案だ。今もあいつはチェスタトンを慕っているんだよ」

 ヴァンは白濁した湯で顔を洗った。

「亡き相手には勝てねぇってことだ」


 口ではそう言うものの、ジャンには確固たる決意がみなぎっている。それは端から見てもすぐに気付くほどの熱意であった。


 エラリーはジャンの横顔に微笑んだ。

「勝てるよ」

「あ?」

 もう一度エラリーはヴァンに呟いた。

「勝てるよ、きっと。チェスタトンの遺志を果たしたら、きっと。そこから先、そばにいるのはヴァンなんだから」


 ヴァンがクレイグのことを必死に守っていることは痛いほど伝わってくる。それはクレイグにも当然伝わっているはずだとエラリーは信じている。こんな荒廃した世の中で支え合って生きている、クレイグだってそんな相手を大切に思わない訳がない。


 ヴァンはエラリーを見つめ、ふっと表情を和らげた。

「そうだな……」

 ヴァンの目に闘志が灯る。

「その為には何としてもヴァーユを解明しないとな」

 エラリーはにっこりと微笑んだ。

「うん」




「うーん、最高!」

 一方、女湯ではアガサとクレイグが湯船で疲れを癒していた。

「ホント、生き返るぅ!」

 久々の温かい湯を堪能する。川での水浴びで過ごしている数日間を経ての温泉は格別であった。


 体が内側から温まってきた頃、アガサはクレイグに尋ねた。

「ねぇ、エラリーの体、結局どうだったの?」

 クレイグはニヤニヤ答えた。

「とっても筋肉質だったよ」

「そんなことじゃない! 調べた結果のことよ!」

 クレイグは笑った。

「冗談よ。だから言ったでしょ、変わった所は何も無いって」

「そう……」

「ただ特別な遺伝子を持った特異体質であることは間違いないね」

 アガサも知っていたことだが、他人に断言されるとエラリーが遠い存在のようで寂しくなった。


「それはもう気付いていたんでしょ」

「まあ……」

「ヴァーユは建物や車も透過して人間に襲いかかる。人間の体も何事もなく透過するはずなのに人間は消えてしまう。おかしいと思わない?」

「……確かに」

「基本的に人間の体はヴァーユを通さない。体の表面で弾くの。一瞬のことで分からないかもしれないけれど、我々の体はヴァーユを弾いている。


 エラリーの体は弾きながら更にその一部を吸収していた。それはヴァーユは元々人間の体も透過するってことの証拠かもしれない。透過してしまった者はヴァーユが体に入り込み、その時に体の分子結合をバラバラにされ、体は消えてしまう」

「そんなこと可能なの?」

「どうだろう。チェスタトンはだからこそヴァーユは光に似ているとしていたわけ」


「確か電磁波の一種って」

「そう。リンゴって何で赤く見えると思う?」

「青いのもあるけど」

「赤いリンゴ! 光には様々な色があって、リンゴは赤い光だけを弾いて、他の色の光を吸収するの。だから人の目には赤く映る」

「へぇ、そうなんだ」

「そう。これをヴァーユに置き換えて考えてみたの。ヴァーユは幾つかの色で構成されていると考えてみて。例えば七色の虹のような風が吹いてきたとして、我々の体が七色だったら全て弾いてくれる。けど、六色しかない体だったら残りの一色が体に入り込んでしまう」

「ふむ、なるほど」


「その人はヴァーユを体内に取り込んでしまって消されてしまう」

「その違いは何? なんで弾く人と通してしまう人が居るの? 何で今まで弾いていた人が急に消えたりするの?」

「それはまだ分からない」

「エラリーの体は『黒い風』を取り込んでる。つまり犠牲者と同じことが起こっているということ?」

「理論上はそう。だけどエラリーの体は入り込んで吸収しても何も起こらない。そこが特異体質たる所以ゆえんよ」

 アガサは考え込んだ。


 エラリーは『黒い風』が吹くと身をていしてアガサに覆い被さる。エラリー本人も『黒い風』を浴びても消えないと自覚しているはずだ。それは無意識なのか。体で感じているのか。



「ねぇ、ところでエラリーのこと好き?」

 クレイグが唐突にアガサに尋ねた。

「はぁ!? 何なのよ、急に」

「別に隠さなくていいよ、バレバレだから」

「べ、別に、隠してなんか」

「お願いがあるの」

「何よ、譲らないからね!」

 クレイグは軽く笑ってからアガサを真剣に見つめた。

「エラリーと子供を作って」


「はぁ!?」

 アガサは火照った顔を更に赤らめた。クレイグはそれでもずっと真顔だった。

「人類を存続させる為にも大事なことなの」

「な、何よそれ!」

「エラリーのあの体質を、その遺伝子を残す為に」

 アガサは口ごもった。

「そ、そんなこと言われても私は……」

「知ってる。あの二人の子はルルーとの子なんでしょ? 見当はついてた」

 アガサは口をつぐんだ。


「嫌なら私でも、他の娘でも構わない。エラリーの遺伝子は残すべきなんだよ」

「そんな誰でもいいみたいに言わないでよ!」

「だからアガサに頼んでるの」

「…………」

「他の人にそれを任せるのは嫌でしょ?」

「…………」

「この旅が終わったら、いや、道中でも構わない。エラリーの子を作って」



 温泉宿で一泊を過ごし、四人は再び都を目指した。四人の顔は険しい。険しいがそれは士気の下がった険しさではなく、それぞれの内に何かしらの決意が込められた凛々りりしい険しさだった。








「ふわぁぁ」

 ノックスは退屈そうに欠伸あくびを漏らした。


 玉座の肘掛けにもたれて、階下にひれ伏す民が貢ぎ物を献上しに来ていた。民達は長蛇の列を成し、果物や海産物や幣帛へいはく(※)を次々に捧げてゆく。そんな光景にノックスは飽き飽きしていた。自分を畏敬いけいする民達に何の感情も持ち合わせていなかった。

 ※幣帛=神に供える布、玉など。


 ノックスはもう一度大きな欠伸をすると、目をこすりながらつぶやいた。

「早く来ないかなぁ、エラリー」


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