第18話 ミルンの国
南北に伸びる山岳地帯を進んでいくと、広大な平野が続いている。青々とした草木が一面に生え、その先に
「国境を超えたみたい」
チェスタトンの村から北に800km、ルブラン皇国に隣接するミルン国に辿り着いた。
第9区と10区を司る、伝統ある王家が統率する大国である。経済の中心地として高層ビルやタワーが建ち並び、最先端の技術と頭脳が集まり、全世界17地区を牛耳っていた。
ただそれは『黒い風』が猛威をふるう以前のことで、今は動かない柱時計のように街も国もガラクタと成り果てた。
かつて栄えていればいるほど、荒廃した街は悲惨に見える。
「ったく、通りづらいったらありゃしない」
交通量に比例して、乗り捨てられた不動車も多く、今まで進んだどの道よりも大渋滞している。
三人はキックボードを手で押して歩いた。
ひときわ高くビル群が
「ここが有名なミルン通りか」
クレイグは額に手で
「有名なの?」
エラリーは尋ねた。
「かつては、ね。金融、株式市場、製造業からファッションに至るまで、『世界経済はこの通りから作られる』って
クレイグは閑散とした通りを指差した。
「でも今じゃこの有り様。完全に経営破綻ね」
ミルン通りを北へ進んでいると、路地裏から急に声が聞こえた。
「きぇーい!」
それはエラリーに向かって突進してきた。エラリーは
「痛ぁ!」
頭を押さえ、横を見ると、
「遂に来おったか、ノックスの刺客め!」
もう一度エラリーを叩こうとする手をジャンが止めた。
「ええい、放せ! ワシは屈せぬぞ!」
「ちょっと待って!」
アガサとクレイグが男を
「急に何? わたしたちはただここを通り過ぎようとしてるだけよ」
「うるさい!」
ジャンはジタバタする男を羽交い締めにして、とりあえず落ち着くのを待った。
「みんなの
「みんなってこの国の人達のこと? 『黒い風』にやられたのね」
「あの風はお前らの仕業じゃろが!」
「私達は違う。私達は南から来たの。7地区の辺り。ミルンから南の地区よ」
「そんなもん分からん。背水の陣っちゅう戦法で、後ろから襲ったんじゃろ! ワシだってそんな愚かじゃないわい!」
男は散々暴れて疲れたのか、息を切らして静かになった。男を座らせて、クレイグはしゃがみ込んだ。
「これ、良かったら」
クレイグはビスケットを差し出した。
「ふん、敵の
男は顔を背けた。
「チョコレートもあるの」
「チョコレート?」
男は顔を輝かせた。クレイグはチョコレートを差し出した。
「……いや、
「じゃ、食べちゃうよ」
クレイグは袋を開いて一口
「あー、甘くて美味しい」
「…………」
「じゃ、もう一口……」
男はクレイグからひったくってチョコレートを
「ねぇ、おじいさん」
「おじいさんじゃと?」
「……お兄さん」
「よし」
「お兄さんはこの街の人?」
「ああ、
「他に誰か居る?」
「おらん」
「一人も?」
「ああ」
「でもこれだけ広大だったらどこかに……」
「おらん。すべて探した」
「すべて?」
男は差し出された水を飲んだ。毒入りじゃないと信用したらしい。
「すべてじゃ。生き残った者がすべての地域を
「その生き残った人達は?」
「おらん」
「みんなヴァーユ……『黒い風』に?」
「半分はそうじゃ。風にやられおった。もう半分はノックス皇国へ行った」
「ノックス皇国……。現ルブラン皇国ね」
「ルブラン皇国?」
「今は名前が変わってるっていう話よ。新しい天子が即位して、その天子がノックスという名前みたい」
「やはりあいつらの画策か!」
男は顔を赤らめて怒りを
「どういうこと? 何か知ってるの?」
「元々あの国は
ところが突然開国した途端、この有り様じゃ。やはりこれはあいつらの陰謀じゃ」
「でも皇族はすべて消えてしまったようよ」
「何じゃと?」
「そう聞いてるの。それで新天子が即位したって」 「ではその新天子とやらの
「そこまでは……。こんな最先端の国に通信機は無いの?」
「あった。しかし通信タワーが倒壊してしもうて。10地区のものも回線がやられておったそうじゃ」
「そのルブラン皇国へ行った人達は?」
「あの風を究明すべく向かったきり帰って来ん。おそらく生きてはおるまい」
男は寂しそうに息を吐いた。
「ねぇ、おじ……お兄さん。ここにずっと居るの?
「
結局、言った言葉が空回りする。
何処へ行っても風の驚異は変わらない。
避難しても、保護しても、『黒い風』から逃れることが出来ない。だから助けられない。
いつも投げ掛ける言葉は
「ワシはこの国を離れん」
「でもたったひとりじゃ……」
男は座りながら杖で地面を叩いた。
「ひとりではない! 皆がおる!」
そして地面を手で
「魂はずっとここにおる」
男は肩を
「無念と共にここにおるのじゃ」
男の拳が固く握られた。
「目の前で妻や子を消され、国民達を失おうと。ワシはここに居る」
「あなた……」
男は自らの腿ももを拳で叩いて声を震わせた。
「
男は瞳に涙を浮かべた。
「こんなに
男の頬に涙が伝った。
「ワシの国なのだから」
「行くのか、あの国に?」
「はい、わたしたちがきっと『黒い風』を止めてみせます」
男は優しく微笑んだ。
「チョコレート、
四人は男に手を振った。
「行ってきます、国王様!」
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