第15話 温もりを待つ者

 雑木林をくぐる一本道を抜けると、密集した住宅街に辿たどり着いた。スロープになった坂を下り、枡目ますめに整備された区画に家屋が連なっている。


 その街中で素早く動く影をクレイグは見た。動物かと思ったが、それは二足歩行で生け垣の角を素早く曲がっていった。

「見て、見て!」

 先頭を走るクレイグが後続の三人に手で合図した。

「生き残りよ!」

 キックボードを降りて、四人はその生け垣の先へ向かった。密集した家屋はほぼ倒壊しておらず、閑静な住宅地のままに留まっている。


「どこ行っちゃったんだろう」

 クレイグは辺りを見回して動く影を探した。

「おーい、誰か居ませんかぁ」

 呼んでも応える者は居なかった。

「ホントに見たの?」とアガサがクレイグを怪しんで尋ねた。

「見たよ! 間違いない!」

 クレイグは口を尖らせた。けれど目撃したのは一瞬だったし、それが人間だったかと言われれば確証はなかった。

「見間違いかなぁ」とクレイグは弱気になった時、エラリーが「あっ」と声を上げた。

「下見て」

 エラリーが地面を指差した。アスファルトに水滴が落ちている。クレイグがしゃがんで地面を触る。

「新しい。今落ちたばかりの水だね」

 やはりここを誰かが通ったのだと確信する。



 四人はその水滴の跡を追った。幾つかの十字路を折れてその辿り着いた先の一軒の家の前で、少年と幼女が向かい合っている姿があった。

「やっぱり居た! おーい!」

 クレイグが大声を掛けると、少年たちは体を反射的に震わせて、家の中へ入っていった。

「ちょっと待って!」

 クレイグ追い掛け、ドアノブを回したが鍵が掛かっている。

「ちょっと! 怪しい者じゃないって!」

 それでも扉は開かなかった。

 エラリーがクレイグの肩を叩いた。

「仕方ないよ、急に知らない人に出会ったからビックリしたんだよ」

「でもせっかく出会えたんだし。保護してあげないと」


 するとジャンが無言で家の裏へと向かった。

「ちょっと!」

 三人はジャンを追い掛けた。裏庭には縁側があり、大きな窓ガラスがある。

「ここから入れる」

 そう言って庭の石を手に取った。

「壊す気!?」

「仕方ないだろ」

 ジャンが振りかぶった右手をアガサが止めた。

「やめて! 余計に警戒しちゃう!」

「そんなこと言っても助けてやらないと」

「わたしたちがあの子達をどうやって助けるの?」

「そりゃ、村に連れて行けば……」

 言っているジャンもそこでアガサの言いたいことを察した。連れていったところで彼らを助けるすべは持っていない。『黒い風』から救う手立てを自分達は持っていないとアガサは言っている。


「それでもこんな所に居るよりマシだ。お前らだって子供を村に連れてきたろ? ここで寂しく暮らすほうが悲惨だろ」

 自分が経験した孤独をジャンは投影していた。あの闇が襲ってくるような恐怖、それを彼らが味わっているのなら救ってやるべきだ。

 ジャンは構わず石を投げようと手を振りかぶった。



 その騒ぎに気づいたのか、家の中の少年たちが縁側へ続く床の間までやって来た。ジャンは右手を下ろし、二人に叫んだ。

「危ないからどいてろ!」

 少年たちはジャンに気付き、怯えて抱き合った。そんな状況にもかかわらず、少年は小さい幼女の前へ震える足で立ち、四人をにらみ、「うー」とうなり声を上げた。手にはニジマスを持っている。この幼女、おそらく妹の為に川で採ってきたようだ。



 ジャンは少年に窓越しに言った。

「魚取りゃしねぇよ」

 けれど少年は頑として動かない。

「開けてくれ。村へ連れてってやるから」

 少年はそれでも唸りながらじっと睨んでいた。

「聞こえてるだろ?」

 少年は答えない。


 クレイグはやり取りを見ていて身に詰まされる思いがした。

「もしかして、言葉を……?」

 ジャンはクレイグに振り返った。

「どういうことだ?」

 クレイグはバッグからノートとペンを取り出し、文字を書いて少年達に見せた。


『私はクレイグ。あなた達の名前は?』


 少年達に紙を見せても、何の反応もしない。視線が紙に向かっても文字を読もうとしない。

「やはり言葉を……知らない」

「は? 嘘だろ?」とジャンは驚いた。

「おそらく」

「そんなことあるか? 家の中に本くらいあるだろ?」

「誰も読み書きを教える人が居なかったら?」

 ジャンは思わず息を呑んだ。


 少年は話をしようとせず唸るばかりで、こちらの言葉を理解していない。クレイグはジャンにさとすように呟いた。

「私達の村の子は周りが教えるけど、もし今までこの子達がずっと二人きりだったら?」


 それはあり得ないことではない。親が消えてしまって、周りに生存者の集落がなかったら、誰も教える者はいない。生まれた当初は親から言葉を投げ掛けられていただろうが、物心がつく前に言葉という媒体を失ってしまったら、言葉を使う機会がない。使う必要がない。わずかな声の抑揚で二人が以心伝心し合えるならば、ここは言葉の要らない場所なのだ。



 兄の後ろに隠れている妹は兄にすがりながら、赤い布を握り締めていた。壁に飾られた額縁には赤い服を着た女性が赤ん坊を抱き、小さい男の子と寄り添う写真があった。妹の手に持つ布は母親の衣服だろう、それを震える手で鼻に押し当てて匂いを嗅いでいた。朧気おぼろげに残る母親の温もりを匂いで思い出しているのだろうか。


 幼い二人には『黒い風』のことも、親が消えてしまったことも理解は出来ていない。だからこの家でずっと母親の帰りを待っている。そうして二人で生きてきたのだ。


 ジャンの肩をエラリーがそっと掴んだ。

「……行こう」

 ジャンは力を失くして石を落とした。


 村へ保護し、言葉や文字を学ばせたい思いもある。けれど、それはこちらの都合である。それがこの兄妹の幸せとは限らない。他人が彼らの場所を奪う権利はない。二人きりで寂しいだろうけど、この家で親の帰りを待つことを彼らから奪ってはならない。あの兄妹にとって、四人は部外者であり、二人の生活を脅かす存在になるのだ。


 四人はしずしずとその家をあとにした。



 キックボードを再び走らせてゆく。

 きっとこの世界にはこういった救われない孤児がまだ居るのだろう。そう思うと四人の決意はより一層固まり、ルブラン皇国へ向かう足取りも強まった。


 家の前にはシリアルやチョコレートやらが大量に入ったバッグが置かれていた。いずれ兄妹はそれに気付き、喜んで食べてくれるだろう。

「彼らが望む時が来たら、エドガーが導いてくれるよ」

 エラリーが言うと、ジャンは何度もうなずいた。

「そうだな……」


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