第14話 子供の未来

 四人は北西を目指し走り続ける。

 道中の荒廃した街には人の気配がまるでない。ルブラン皇国へ近づく度に『黒い風』は強くなるとされるためか、集落も見当たらない。


 海や山が近いこともあって動物達の群れに遭遇することが多くなった。野良犬が歩道をうろつき、落ちた衣服に食いついている横で、イノシシの親子が車線を闊歩かっぽしていた。カラスやドバトが廃墟の屋上で列を成し、それらをオペラでもたしなむかのように観覧している。


 人間の居なくなった世界は、それはそれで幸せな世界に見えた。本来あるべき世界の形であるかのように、何の支障もきたしていない。動物達が自由気儘きままに生息し、この地の生態がそのままそこにある。それを人工物の廃墟がけがしている。


 エラリーには余計にそれが悲しく思えた。チェスタトンの提唱した、人間だけを消すために『黒い風』が吹くという仮説がまるで真実かのように廃墟以外は穏やかだった。



 陽が傾き、見通しが悪くなった時点で河原へ下りた。外灯もない夜は完全に真っ暗になるため、早めにテントを張って寝床を確保する。街には住宅が掃いて捨てるほどあるが、河原での生活のほうが慣れいて居心地が良い。


 火をいてアガサがスープを作る。豪勢とは言えない食事に、クレイグは思わずつぶやく。

「あーあ、昼間のイノシシ美味しそうだったなぁ……」

 テントを張り終えたエラリーはクレイグの横へ座った。

「えっ、あの生き物? 食べられるの?」


「知らないの? 豚と同類なんだから美味しいに決まってる。ちょっとクセがあるけど」

「へぇ」

「豚を見つけてきて飼育するようになってからはイノシシを捕まえることもなくなったんだよ」

 クレイグはスープのカップを両手で包み持った。

「懐かしいなぁ……」

 クレイグは湯気の立つスープを眺め、その味を思い出した。

「ホント……美味しいんだから……」



 クレイグはその夜、チェスタトンの夢を見た。

 彼が幼い少女に語る物語。



 ある男と少女の物語。




 通信機から村へ帰る道中で、チェスタトンは倒れている少女を見つけた。少女を揺すっても起きる気配がない。気絶しているようだ。チェスタトンは少女をおぶって帰り、研究所に寝かせた。


 少女が目を覚ますとチェスタトンをひどく怯えた顔で見つめた。

「大丈夫? 私はチェスタトン。君は?」

 少女は何も答えなかった。

「この黒い服が怖いのかな。安心して、これは私のお気に入りの衣装みたいなもので、普通の服だよ」

 チェスタトンは自分で言って笑った。

「あ、普通の服って言っちゃったよ。実際特別でも何でもなかったんだからね。ははは……」


 少女はいまだに表情を表さずチェスタトンを見ていた。

「君はどこに住んでたの? 他に誰か居たの?」

 少女は何も答えない。

「そっか……、もしかしたら最近まで誰かと居たのかもしれないな。ヴァーユにその人を消されて……」


 チェスタトンは少女に「ちょっと待ってて」と言って小屋から急いで出ていった。そして帰ってくると、手にスープと乾パンを持っていた。

「お腹空いてるでしょ。食べて」

 少女に差し出した。警戒していた少女も空腹に耐えきれずスープをグビグビと飲み、乾パンをむさぼった。

「慌てないで、まだあるから」

 そして茶色みがかった赤い塊を少女に与えた。

「イノシシ肉の燻製くんせいだよ」



 身寄りのない少女はチェスタトンの研究所でしばらく暮らすこととなった。チェスタトンが研究する横で、床に座り、膝を抱えてじっとしている。ただじっと毎日そうしているだけだった。

 何もせず、何も言わない。

「よっぽど怖い思いをしたのだろう」

 チェスタトンは少女の心痛を案じた。


 その少女が反応を示すことがひとつあった。食事を平らげた後に、手を差し出してくることであった。

「えっ、何?」

 チェスタトンは始めは分からなかったが、イノシシ肉の燻製を渡すと、引ったくるように奪ってそれを貪り食べた。


 チェスタトンはしゃがんで少女に微笑む。

「美味しい? よっぽど気に入ったんだね。今は肉は貴重で食べる機会もないだろうから」


 食事のたびに少女は肉を催促した。けれど肉も早々に尽きてしまった。

「ごめんね、もう無いんだ」

 それでも少女は手を差し伸べている。チェスタトンを見つめながらじっと待っている。


 チェスタトンは立ち上がり、腕をまくった。

「よし、待ってて!」

 少女が待ち疲れて寝始めた頃、チェスタトンは体中傷だらけで帰ってきた。

「はぁはぁ、山で捕まえてきた。しばらくしたらまた食べられるよ」



 少女は少しずつチェスタトンに心を開いていった。チェスタトンが少女に絵本を与えると、それを食い入るように読む。絵本だけでは飽き足らず、教科書や児童小説も読みあさった。

「賢い子だ」


 チェスタトンが外へ出ると後をついていくようにもなった。チェスタトンは村の北境に巨大な岩を見つけ、それを村人と共に彫る計画を進めていた。少女はチェスタトンのすそつかみながら岩を眺めた。

「これはね、守り神を彫っているんだよ。ヴァーユは常に北西からこちらに向かって吹いてくる。だからここに石像を作って村を守ってもらうんだ」



 通信機への往復は村の者が代理を務めてくれるようになり、チェスタトンは少女との時間を大切にした。ヴァーユの研究でこもっている時は少女もまた籠り、村の復興を手伝う時はそのチェスタトンに寄り添う。常に一緒だった。

 けれどいまだに一言も言葉を発しなかった。



 ある日、チェスタトンの小屋の扉が勢いよく開いた。

「チェスタトン! 生まれたよ!」

 チェスタトンは立ち上がり、少女を連れて走った。

 村の者が赤ん坊を抱いていた。

「ほら、可愛い女の子」

 チェスタトンは皆と共に喜び、抱き合った。少女も興味津々に赤ん坊に近寄った。チェスタトンが少女に寄り添う。

「見てごらん。こうして人は新しく生まれてくる。そして命をつむいでゆく。子供に未来を託すんだよ」

 チェスタトンは少女に、人差し指を近づけてごらん、と言った。少女は指を赤ん坊に近付けた。赤ん坊は少女の指をギュッと握った。

 その時少女は顔をほころばせ、初めて小さく笑った。



 少女はそこからその赤ん坊のところを毎日訪ねるようになった。チェスタトンの裾を掴まずとも外へひとりで出掛けてゆく。

 チェスタトンが村人に呼ばれて行くと、赤ん坊をあやす少女がかすれた声を発していた。


 チェスタトンは震えながら少女に近づいた。そして顔を寄せて頬を撫でた。

「声を……君の声を聞かせて……」

 すると少女は唇をゆっくりと動かし、覚束おぼつかない声を出した。

「ク……、クレ……イグ……」

「クレイグ……、誰のこと……? 君の……名前?」

 少女は静かにうなずいた。

「いい名だ……。とてもいい名だね……」

 チェスタトンは涙を流し、少女を強く抱き締めた。



 クレイグは少しずつ言葉を喋るようになっていった。どもりながらも言葉で自分の感情を表現しようとする。

 言葉は偉大だ。喋ることで感情も豊かになってゆく。



 チェスタトンは嬉しく微笑ましくクレイグを見守った。しかし寂しい思いも重ねて募ってくる。


 クレイグの心の回復と成長は喜ばしいけれど、自分は結局力になれなかった。精神的な緘黙かんもく症と分かっていたが、クレイグの心を開くことが自分には出来なかった。自分相手では言葉を発したいと思わせることが出来なかったのだと無力さをうれいた。あの赤ん坊がそのクレイグの心を開いたのだ。


 そう落ち込みながらも、チェスタトンははたと気付いて立ち上がった。


 そうだ、子供なんだ!


 クレイグに必要なのはこれから共に生きていく子供なんだ。自分がクレイグを守る役目ではない。知識を与え、ヴァーユを解明することが自分の役目であっても、この先子供を支えるのは子供であるべきだ。子供こそが未来を築くのだ。



 チェスタトンは一目散に北の石像に出向き、一心不乱に彫り続けた。

「何してるの?」

 クレイグがくと、チェスタトンはのみを打ち付けて言った。

「この像を変えているんだ」

「どうして?」


 チェスタトンはクレイグに振り返った。

「厄災を防ぐ石像はその場しのぎの防御でしかない。それは今だけを生き延びるには必要かもしれない。けれど私が望むのは君達子供の未来なんだ」

 チェスタトンは再び石像を彫った。

「だから子供達をここに招き入れる像にしたいんだ」



 石像の腕を彫り直し終わった頃、そこに見知らぬ少年が立っていた。

「お、君は新規の子かい?」

 チェスタトンが尋ねるとクレイグが笑った。

「新規って! 堅苦しい言い方!」

「えっ、そうかな?」

 二人は睦まじく笑い合った。

 そしてしゃがみ込んで少年に目線を合わせた。

「私はチェスタトン。この子はクレイグ。よろしく」

 クレイグは少年に握手を求めた。

「よろしくね」

 少年は頬を赤らめてその手を握った。



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