第13話 もう大丈夫だから


「どうしたのエラリー?」

 目覚めると、横に寝ていたアガサがこちらを見ていた。

「……いや、別に」

「何か変な夢でも見たの?」


 エラリーは湯気のように漂う淡い光景を思い出そうとした。けれどそれはとらえる前に溶けて消えてしまった。どこか違う所に自分が居たような気がする。それがどこだか分からない。

「大丈夫だよ」

 エラリーは安心させようとアガサに笑って見せた。

「ならいいけど」


 アガサはエラリーに体を寄せた。

「ねぇ、エラリー」

「うん?」

「あの子達にまた寂しい思いさせちゃうね」

「でもアガサも都へ行きたいんでしょ?」

「うん。私はこの目でちゃんと真実を見たい。そしてあの子達のために未来を作りたい」

「そうだね」

「こんなママ、あの子達許してくれるかな」

勿論もちろんだよ」

 エラリーはアガサを抱きしめた。アガサは静かに目を閉じた。

「そうだといいけど」



 翌日二人は軽い荷物をまとめて、ルブラン皇国へと旅立つ準備を整えた。雨雲が腹を空かせたネズミの大群のように空を覆っていたが、二人にはさして問題ではなかった。


 二人と共にクレイグとヴァンが荷物をたずさえている。クレイグは調査として是非に参加したいと願い出て、ヴァンはそのお供を買って出た。未知の世界へ出向くエラリーとアガサにとっても二人は心強い存在だ。


「じゃあ、サラ、また寂しい思いをさせるけどお願いね」

 アガサはサラに二人の子供を託した。

「任せといて!」

 サラは胸を張って出発を送った。二人の子はわんわんと泣きじゃくっていたが、サラがすぐに膝をついて二人をなだめた。もう立派な守役もりやくであった。



 北の道へ続く村の境で道祖神どうそじんの石像が四人を見守っていた。ネコのエドガーがそこに座り込みこちらを見ていた。ヴァンが近づくと、エドガーはつぶらな瞳でヴァンを見つめた。

「じゃあな」

 そう言って去ろうとするヴァンにエドガーはついて行こうとする。それをヴァンは制した。

「ついて来なくていい」

 それでもエドガーはヴァンに寄り添おうとする。ヴァンはしゃがんでエドガーの頭をでた。

「俺はもう大丈夫だから」

 エドガーの瞳を見つめ、ヴァンはあの日を思い出した。





 ヴァンが目を開いて最初に見たものは、ショッピングモールに散乱する人間の衣服だった。あの『黒い日』に幼いヴァンは突如ひとりきりになった。訳が分からず怖くて恐ろしくてずっと泣き叫んでいた。


 ヴァンは泣きながらモールの外へ助けを求めるように走り出た。路上の車は立ち往生したまま動かず、追突の煙がもうもうと上がっている。歩道には衣服が散乱し、どこを探しても人が居ない。自分がひとりになってしまったことに再び孤独が襲ってきて嗚咽おえつを漏らして泣き続けた。



 ヴァンはとぼとぼとショッピングモールへ戻り、しばらくそこで暮らした。家への帰り道も知らず、何より外を出歩くことが怖かった。

 モール内には食べ物や水はふんだんにそろい、おもちゃやサッカーボールもある。けれどそんなものは一時の慰めであって、ヴァンはすぐに寂しくなった。

 それに加えて急にやってくる黒い何かがモール内を通り過ぎる。それが恐ろしくて自分の体を抱き締めて震えている日々だった。



 そんなある時、足にり寄ってくるものがあった。何処どこから入ってきたのか、それは一匹のネコだった。ネコは孤独に震えていたヴァンに寄り添い、頬を擦り付けてじゃれてきた。


 ジャンは涙を拭い、その時に初めて頬を緩ませた。

「可愛いな」

 ネコは撫でられて喉を鳴らし、ジャンの服を噛んで引っ張った。ジャンが立ち上がるとネコは歩いていく。

「どこ行くんだよ」

 ネコはジャンを入り口まで連れていき、ジャンプして激しく地面へ下りると、まだ稼働していた自動ドアが開いた。

「お前、賢いな……」


 ネコはヴァンを先導し歩いていった。外を出歩くことに躊躇ちゅうちょはあったが、動く唯一の生き物としてネコは逃したくない存在だった。

 ネコは時々振り返り、まるでヴァンの歩幅に合わせるかのようにゆっくりと前を歩いた。


 そしてしばらく歩くと山のふもとにたくさんのテントが張られているのが見えた。

 そこにはたくさんの人が寄り集まり、黒い服を着て畑を耕し、小屋を造っていた。

 ジャンは圧倒されながらも、生きて動いている人間に出会えたことに膝から崩れ落ち感涙した。

 ネコは足元で小さく鳴いた。

「俺をここに連れてきてくれたのか?」

 ジャンはネコを強く抱き締めた。


 ネコはジャンについてくるよう先導して再び歩き出した。ジャンはネコについてゆく。

 北の境まで行くと、何やら石像を彫っている者がいた。ヴァンに気付いて振り返った。

「お、君は新規の子かい?」

 すると横に居る青い髪の女の子が笑った。

「新規って! 堅苦しい言い方!」

「えっ、そうかな?」

 二人はむつまじく笑い合った。

 そして男はしゃがみ込んでヴァンに目線を合わせた。

「私はチェスタトン。この子はクレイグ。よろしく」

 横の少女はジャンに握手を求めた。

「よろしくね」

 ジャンは頬を赤らめてその子の手を握った。



 ヴァンはそれから麓の村に住み、皆と共に勉強したり、作業を手伝ったりして過ごした。やぐらを作り、川沿いに風呂小屋も作った。仲の良い友達も出来、毎日を楽しく過ごした。


 けれど『黒い風』はそんな友をジャンから一瞬で奪ってゆく。仲良くなった友が目の前で消えていく。ジャンはまた寂しさに襲われた。


 するとネコのエドガーはどこからともなく、新しい生存者の子を見つけては村へ導いた。そしてジャンの体にり寄って元気づけた。

 ジャンはエドガーの頭を撫でた。

「また新しい友達を見つけてくれたのか?」



 エドガーはそうして何度も生存者の子をジャンの前に連れてきた。

「また連れてきてくれたのか?」

 ジャンに撫でられるとエドガーは目を細めてジャンに寄り添った。

 ジャンは連れて来られた子に目を向けた。ひどくやつれている。そして裸足だ。

「君はなんて名前?」

「僕は……」

 男の子はもじもじしながらも顔を上げて答えた。

「僕は……ノエル」



 エドガーによって村に子供が集まってくる。

 けれどジャンは次第に人に対して心を開かなくなっていった。仲良くすることが恐ろしかった。仲良くすればまた失って苦しむことになる。そう自分に言い聞かせ、壁を作って閉じこもっていった。ぶっきらぼうで人に強く当たる性格になっていった。


 それでもエドガーはずっとヴァンのそばにいた。チェスタトンが消えてしまった時も、そのことでふさぎ込んだクレイグを自分の力では慰めきれなかった時も、ずっと寄り添っていた。

 どんな時も変わらずジャンを支え、励まし続けてくれた。


 ずっと寄り添い、励まし続ける。


 それがジャンの心に決意を芽生えさせた。

 エドガーがずっとそうしてくれたように、自分もそうありたい。

 クレイグにはずっと笑っていてほしい。

 あの日あの時、クレイグの手を握った時から、自分がここに居る理由が出来た。


 その決意と共にここに居る。今はもう不安や絶望はない。クレイグを守ることを使命とし、揺るぎない今を生きている。

 エドガーがそう導いてくれた。






 ジャンはエドガーの頭を思う存分に撫でた。

「じゃあ、留守番頼んだぞ」

 エドガーは寂しそうにジャンを見つめた。

「心配するな、俺はもう大丈夫だから。俺みたいな奴をまた導いてくれ」


 ジャンは立ち上がってエドガーに背を向けた。エラリーは歩いてゆくジャンに尋ねた。

「いいの?」

 ジャンは静かにうなずいた。

「ああ、あいつも俺ばっかりじゃ大変だろうからな」


 四人は村人の希望を一身に受けてキックボードに乗り込んだ。

「御武運を」

 村の者がはなむけの言葉を投げ掛けた。

 エラリーは石像の前に座るエドガーに手を振った。

「じゃあな、エドガー!」


 横にいたクレイグが突然叫んだエラリーを不思議そうに見つめた。


「エドガーって……誰?」


 エラリーは驚いてジャンへと視線を移した。ジャンは何も言わずキックボードを漕いだ。

 エラリーがもう一度振り返ると、エドガーの姿はなかった。



 ただチェスタトンの彫った石像が、手招きするような仕草でじっとたたずんでいるだけであった。


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