第16話 授業

「ほら、二人とも起きて」

 サラは横で眠る二人の子を起こした。

「んん、まだ眠ぅい」

 二人の子は目を瞑ったままで布団から出ようとしなかった。

「もう、お寝坊さんたちね。ママにちゃんと良い子でいるって約束したでしょ?」

 二人はようやく目を擦りながら起き上がった。

「はい、お利口さん。さ、川で顔を洗ってらっしゃい」

 子供達は半分眠りながらも起き上がった。

「サラ、ママの喋り方に似てきた」

 そう言って川へ向かった。サラは照れくさいような恥ずかしさを感じた。


 サラもテントから出て朝陽を浴びた。気候は少し肌寒さを感じるが心地は良い。川の匂いがする。テントを川沿いにしてもらったおかげで気持ちも安らいだ。

 帰ってきた二人の顔を拭いてあげ、服を着替えさせた。

「じゃ、食べに行きましょ」


 サラ達はテントの外へと出ていった。

 河川敷では備蓄した食糧を少しずつ食べて暮らしていた。幸いアガサ達が早く迎えに来たため、調達しに行かずに済んだ。ふもとの村に来てからは村の者が食べ物を与えてくれる。しかも即席食品だけでなく、魚や山菜、芋などを調理して出してくれる。サラ達は食事が楽しみになった。


 麓の村に来てから数日が過ぎていた。慣れない環境でありつつも、周りの人々が優しく接してくれるおかげで、サラ達も気兼ねなく過ごせている。活気ある村に来て、規則正しい毎日を送っていた。

「やぁ、おはよう」

 サラが振り返ると少年がにこやかに立っていた。

「おはよう」

 サラは笑顔で返した。

「良く眠れたかい?」

「うん、たっぷり」

「じゃあ、今日もみっちり勉強しようか」

「えー、みっちりやるの?」

「そりゃそうさ、まだ教科書の目次くらいしか進んでいないよ」

「ひぇー」

「子供達の面倒は保母さんに任せて、サラはたくさん学ばないと。なにせ知らないことばかりなんだから」

 サラは深く溜め息をついた。

「はーい。じゃ、またあとでね、ノエル」



 サラは子供達を預けてからノエルのもとを訪れた。

「よし、来たね。じゃあ、始めようか」

「はーい」

 川より北側、草むらをならした広場に勉強机が並べられている。ホワイトボードが前に置かれ、年上の者が子供達に授業するこの村の青空教室である。サラは初めて学ぶものが多いため、編入前にノエルから個別レッスンを受けているといった形だった。


「まずは昨日までの復習だ。まずはこの世界について」

 サラは目線を上へと動かし記憶を呼び起こした。

「えーっと、この世界は『黒い日』前までは17地区に別れていて、国というものがありました」

 ノエルはふむふむとうなずいた。

「そこではたくさんの人々が暮らしていて、デンキやガスを使い、建物の中で暮らしていました」

「そうだ」

「ツウシンキを使い、世界の人々と情報を与え合いました」

「うん、いいよ」


「自動車という乗り物で移動して、遠くの国に行くことも出来ました」

「そうだ」

「食べ物は動物や植物を獲ってきた人とお金というものと交換して手に入れていました」

「そうだね。そして『黒い風』ヴァーユによって今のような我々の生活に変わり、今の僕たちのような生活が始まったわけだ」

「これくらい知ってるもん」

「まぁ、そうだけど、僕も君も昔の人の生活を見たことないから」


 ノエルは続けてサラにいた。

「では、この世界はどういう形をしているのかな?」

「えっとぉ」

「思い出して」

「あ、こんなの」

 サラは指で輪っかを作った。

「そう、そんな形だけど何て言うんだっけ?」

「えっと、きゅう」

「そう、球体だ。実際には楕円形の世界があって、僕たちはに住んでいる。その下の部分に陸地や海があって、そこに僕らは住んでいる。おわんの底に僕たちは居て、陸地と空は同じ球として繋がっている。分かったかい?」

「わかったぁ」

 ノエルは満足げに頷いた。


「では、この世界の陸地の面積は?」

 サラは額に人差し指を当てた。

「えっとぉ、18,000メートル?」

「キロメートル」

「キロメートルで……」

「東西に約18,000km、南北に約11,000kmあるんだよ。そこにたくさんの人々が住んでいたんだ」

「どれくらい?」

およそ3億人くらいとされている」

「ふぅん」

「だから街いっぱいに人が居たんだよ」

「信じられない」

「そうだね。今じゃ信じられないよね」


 ノエルは教科書を取り出した。

「では今日の内容に入っていくよ。6ページを開いて」

 サラは教科書を開いた。

「僕たち人間についてだ」

 教科書は手書きで、村の者が記してそれをまとめたものである。

「男性と女性が交わることで子供が作られる。これはとても重要だよ。子供を作ることで僕たち人間を絶やさないようにするんだ。受精後、すぐに妊娠期間となる」

「知ってる。赤ちゃんがお腹の中に出来るんだよね。ドロシーがそう言ってた」

「そうだね。僕たち人間は、お腹の中で80日間過ごし生まれてくる」


 ノエルはホワイトボードに絵を描いて説明する。

「そして生まれて数日で幼児と呼ばれる大きさになる。つまり100cmほどだ。そして数ヶ月で少年少女となる。大体140~150cmの背丈になるわけだ。つまりサラはもうすぐ少女になるわけだね」

「うん、早くなりたいなぁ」

「すぐになれるよ。サラはもうお姉さんだもんね」

「うん」

「さて、この少年少女期が人生で一番長い期間だ。そののち大人期、老人期となる。この期間はとても短く、なる者とならない者がいる。僕らの体は活発な少年少女期を長く保つことで他の生物よりも進化を続けてきたわけだ」


 ノエルはページをめくった。

「特に大人期や老人期になるとヴァーユの被害に遭う確率が高くなる。勿論もちろん個人差はあるけど、抵抗力の衰えが原因であるようなんだ。

 特に男親の場合、遺伝子を子に託したことで著しく抵抗力がなくなるとされる。チェスタトンも子を残したのち、消えてしまった。

 オスの立場からすると、遺伝子を放出した途端、オスの役目は終わるようで悲しいけど、自然界としてはよくあることだ。まぁ、オスはメスの体から切り離された不要な生殖器、とも生物的に捉えることが出来る」


 サラは少し眠そうだ。

「おっと、ちょっと難しすぎたか。では次のページ、ヴァーユ、君たちの言う『黒い風』について学んでいこう」

 サラは少し顔を曇らせた。ノエルもそれは覚悟の上だ。どんな子も同じ表情を示す。

「サラ、つらいのは知っている。僕もたくさんの仲間や友達を失ってきた。けれど僕たちはだからこそ『黒い風』を知らなくてはならない。これから先、生きていく上で、知っておかないといけないんだよ。子供達を守るためにも」

「うん、分かってる」

「偉いね。じゃあ、続けよう。『黒い風』ヴァーユは……」



 授業の合間に休憩を挟んで、二人は散歩に出掛けた。村の者たちは小屋を造り、畑に種をき、山へ山菜やキノコを採りに行っている。山から下りてきた者がノエルに挨拶した。

「よお、ノエル」

「やあ、どうだった?」

「ああ、今日はなかなかの収穫だったぞ。ほれ、野ウサギも捕まえた」

 ノエルは見せられて思わず目を反らした。男は気付いて申し訳なく頭をいた。

「ああ、すまん。ノエルはウサギ苦手だったな」

 男が去った後、サラは不思議そうにノエルにいた。

「あの動物、美味しくないの?」

 ノエルは首を振った。

「さあ、僕は食べたことないから」



 歩きながらサラは尋ねた。

「ねぇ、ノエル」

「ん?」

「ノエルはこの村にいつ頃来たの?」

「僕かい? 僕は幼児期から少年期に差し掛かるくらいの頃だよ」

「寂しかった?」

 ノエルは首を振った。

「いや、ここに来たときは全然。もっと寂しい時があったからね」

「そう」

 サラは少しうつむいた。


「サラは寂しいのかい?」

「うん、ちょっと。アガサとエラリーが居ないとやっぱり」

「ああ、ヴァンとクレイグと一緒に都へ行ったっていう人達だね」

「うん」

「どういう人達なんだい?」

 訊かれるとサラは表情を明るくさせた。

「アガサはとってもすごいの! 頭も良くて、強くて、みんなアガサを慕ってるの。わたしもアガサみたいになりたい」

「そうか、サラの憧れなんだね」

「うん」

 サラは瞳を輝かせて頷いた。

「あとエラリーはね、とっても優しい。面倒見が良くてみんな大好きで。……でもエラリーはルルーのことが好きじゃなかったみたい」

「ルルーって?」


「わたしたちの住んでた所に居た一番上の人。エラリーはアガサのことが好きだし、ドロシーとも仲良かったから、ルルーのことイヤだったのかなぁ、なんて」

 ノエルはなんとなく事情を理解した。

「そうか……。色々あったんだね」

 サラは深く首肯した。

「そうなの。ホント、男と女って厄介やっかいよね」

 サラは急にねた(※)言い回しをしながら困り顔をした。

 ※陳ねた=ませた、おとなびた。



 陽がかげる前に本日のカリキュラムを終えて、サラは教室の椅子で背伸びをした。

「あー、疲れたぁ」

「よく頑張ったね」

 ノエルは教科書を片付けた。

「ノエルはこれからまたあの小屋?」

「そうだよ。クレイグの引き継ぎさ」

「何しに行くの?」

「新しい通信機だよ」



 ノエルとサラはクレイグの小屋の中へと入った。クレイグの残した機材をノエルはサラに見せた。

「今までの通信機はとても多くの電気を消費して送受信してきた。けれど電気の無くなった今では使い物にならない。だからクレイグは新しい通信機を考えたんだ」

「ふぅん、どんな?」

 ノエルは得意気に鼻を膨らませた。

「ヴァーユを利用するのさ」

「ヴァーユって『黒い風』のことでしょ?」

 ノエルは頷いた。


「そうさ、ヴァーユは電波と似ていてね、しかも世界にくまなく行き届く。これを利用することで電力を得て送信に利用するんだ。すごい発想だよね」

「うーん、よく分からない」

「ははっ、難しいよね。それでもクレイグは、あの忌まわしい風を利用することを考えついたんだ。ただ受け取る相手が居なければ無駄なんだけど、いずれそういった発明が世界に広がれば、もっとみんなの意見や情報を共有出来るようになる。だからこそクレイグはルブランへ向かってヴァーユの正体を確かめに行ったんだ」


 ノエルは瞳を輝かせた。

「チェスタトンの頃の記録は少し古いからね、現在の世界の状況を知る必要がある」

 ノエルはえつに入って語り続けた。

「この世界の構成上、ヴァーユは北西のルブランから吹くとして、東の果ての地から空へと伝い、空を通り一周する軌道をとっている可能性がある。だとしたらこちらの受信も不可能じゃない。そもそも二十数回吹いているのなら対流が既に生じていてると考えると……」


 サラは魂が抜けそうになりながら、小屋の扉をそっと閉めて出ていった。ノエルはとても熱心だが自分の世界に入ると手が付けられないのが玉にきずだ。



 サラは保母さんの施設へと迎えに行った。子供二人は居なかった。

「あの二人もう帰ったよ」

 サラはテントへと戻った。

「ただいまぁ」

 二人の声がしない。

「ジャックぅ! エミールぅ!」

 呼んでも返事がない。

何処どこ行ったの? 出てらっしゃーい!」


 そののち村中を探したが、二人の子は見つからなかった。


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