第2話 旅立ち

 エラリーは静寂の中で目を覚ました。テントを開くと朝焼けが体を穿うがつほど刺さってくる。空気は澄んでいて心地良い気候だった。


 ロッキングチェアが目に入ると昨日のことを思い出して気が滅入った。一緒に暮らしていたウイルキーやドロシーが居なくなった現実をいまだに受け入れきれない。覚悟はしているといっても、いざ居なくなってしまった現実は異常であるとしか思えない。


 これで何人目だろう……。


 エラリーは川辺へと歩いていった。川面に朝暾ちょうとんが目映く反射し、カワセミがじゃれるように水浴びをしている。エラリーは陰鬱な感情をはらうように顔を洗った。



 放置された住宅は廃墟とはいえそのまま残っているにもかかわらず、エラリー達がこの河川敷を根城としたのには幾つかの理由があった。

 住宅の電気、ガス、水道などのライフラインが滞り、通信が断絶していること。家屋は倒壊や火災の恐れがあり、住むに適さないこと。

 そして、何より大きな理由は、孤独であること。少年少女は寂しさから逃れ、楽しさを求め、自ずとこの地を選んだ。


 この河川敷から空に伸びる煙を見つけ、それをしるべとしてこの地に少年少女はこぞってきた。

 その火をいた者の名はルルー、ここでひとりテントを建てて生活をしていた。そこへひとり、またひとりと集まってきた。少年少女はそこで知り合い、互いのことを語り合い、慰め合い、そして笑い合った。


 始めは住宅地へ帰ってゆく者もいたが、結果的にここに移り住む者が増え、共同生活をするようになった。少年少女にはそれが楽しかったのである。この地に集った者は15名、この地は彼らの村となり、家となり、仲間は家族となった。


 しかし彼らは自由ではなかった。人々を跡形もなく消す『黒い風』に常に怯えなければならなかったのである。



 エラリーが川から戻るとアガサが起きて火を焚いていた。

「おはよう」

 マッチやライターは食糧と共に廃墟の店から調達してあるので、火を点けることに苦労はしない。

 アガサは川から汲んだペットボトルの水を鍋に入れて煮立たせている。

「眠れた?」

 アガサにかれてエラリーは「あんまり」と答えた。

「仕方ないよね。昨日の今日じゃ」


 目の前で消えてしまったドロシーの姿を思い出し、エラリーはまた顔に陰を落とした。自分を慕ってくれていたドロシー、今にも背後から甲高い声が聞こえてきそうに思う。その変わらない日常が呆気あっけなく奪われてしまった。


 エラリーは焚き火の前に腰を下ろした。パチパチとたきぎもだえるように鳴っている。

「5人になっちゃったね」

 エラリーは静かにうなずいた。

「うん……」

 アガサは忙しなくスープを用意する。

「どんどん減っていく」


 エラリーは何も答えることが出来なかった。わいわいとにぎやかに過ごした大勢の仲間がどんどん消されてゆく。病気や寿命で亡くなるなら覚悟出来たかもしれない。

 けれど違う。

 元気な者が突然消えてしまう。それを納得し受け入れることは到底出来るわけがなかった。



 テントでごそごそと物音がしている。寝ていたサラや他の二人も起きたようだ。

「ねぇ、エラリー」

 アガサはエラリーの横へ座った。

「わたし、ここをとうと思うの」

「えっ?」

 驚いて訊き返すエラリーへアガサは顔を向けた。

「ここに居ても、ただ消えるのを待つだけだよ。でももうそれはイヤ」

「アガサ……」

 アガサは強い意志を瞳に込めて眉を上げた。

「原因を知りたいの。『黒い風』について」


 エラリーは突然のことに戸惑いどもった。

「で、でも危ないよ、そんなこと」

「このままじっと待つつもり? もう仲間が消える姿を見たくない」

 ドロシーの消えゆく姿が再び目の前によみがえる。結果的にアガサを助け、ドロシーを見捨ててしまった自責の念、自分はどうすれば良かったのだろうかとエラリーは何度も己に問いかけていた。


 グラグラと鍋が煮立ち始めた。

「わたしたち分からないことばっかだよ。『黒い風』がなぜ起こるのか、何処どこから来るのか、なぜ人が消えるのか、どうして大丈夫な人とそうでない人がいるのか」

 アガサは語気を強め、エラリーを訴えかけた。

「そして、どうして人間以外には何の影響もないのか」


 アガサの内なる焦燥と憤怒があふれる。ルルーが居なくなって以来、アガサはここのリーダーとしてみんなを引っ張ってきた。彼女にしか分からない苦悩が常に重責となってし掛かっていたことをエラリーは知っている。

「だからわたしは知りたいの。そして克服したいの」


 アガサの確固たる決意は犇々ひしひしと伝わってくるが、それは同時にエラリーの不安をあおってきた。

「でもどうやって知ろうと言うの?」

 アガサは揺るぎない決意のままに喋る。

「きっと何処かにわたしたちのような生き残りの人達が居る。その人達を探して情報を集めるの」

「どうやって?」

「それは……勘よ」とアガサは目を泳がせた。さすがにエラリーは納得しない。

「勘? そんな闇雲に探すのなんて無理だよ」

 しかしアガサは至って冷静であった。

「闇雲でもないよ。思い出して、『黒い風』って常に西のほうから吹かない?」

 確かに昨日も西側から吹いてきた。ただ毎回風向きが同じだったかエラリーは確定出来ない。


「わたし、記録していたの。わたしたちは川沿いに住んでいる。川を軸として考えると、常に川上から吹いてきていた」

 アガサは確信を持って主張した。

「つまり西のほうへ進めば、何かしらの手掛かりがあると思うんだ」

「西へ?」

「そう」

「でも向かってる最中に『黒い風』が吹いたらどうするの? 危険だよ」

「大丈夫よ。エラリー、あんたが守ってくれれば」

 アガサはエラリーの肩に手を置いた。

「僕が?」

「そう、昨日みたいに」


『黒い風』には相性のようなものがあって、誰が犠牲になるかは、その都度違っている。

「アガサを守れたとしても他の皆はどうするの?」

 アガサは双眸そうぼうを冷ややかに細めた。

「三人は置いていく」


「置いていく?」とエラリーは驚愕きょうがくの声を上げた。

「そんなのイヤだよ」

 しかしアガサは動じず、低い声でさとすようにつぶやいた。

「あの子達を連れていくほうが危険なの。エラリーだって風か吹いた時全員をかばうことなんて出来ないでしょ」

「それは……」

 昨日のドロシーがまさにそうだった。


「大丈夫、サラは二人の子を守ってくれる」

「サラが? でも昨日……」

「だからこそ、必死で二人を守ってくれる」

「…………」

「サラにはそう伝える」

「サラに?」

 アガサはうなずいた。

「わたしたちが帰ってくるまでお願いねって」

「そんな無責任な」


 アガサは眉間を深め、目尻を上げた。

「エラリー、わたしたちがサラより先に消えない保証ある?」

 エラリーはアガサの瞳に吸い込まれるように見つめ返した。

「わたしだってサラ達をずっと守ってやりたい。けど、わたしたちが消えてしまったら? サラが次のリーダーとならなきゃいけないの。それは明日かもしれない。5分後かもしれないの。だから覚悟を持って生きなきゃいけないの。


 わたしたちはそんなあの子達に何を残せる? ただ生きながらえるだけの未来? びくびくした未来? 今わたしたちに出来ることは、彼らのそばにいて守ることじゃない。『黒い風』のない未来を作ることよ!」

 サラ達が寝ぼけ眼で焚き火に寄ってきた。

 アガサは笑顔になり、立ち上がって砂を払った。

「さぁ、朝御飯にしましょ」



 アガサは朝食後、サラ達に旅立つことを告げた。三人は泣きわめき、「行かないで!」とアガサに抱きついた。アガサは三人を強く抱き締めながら、思いを彼らに真摯しんしに伝えた。ひとりひとりの目を見て、涙ながらにさとし続けた。分かりやすく、優しく、丁寧に、懇切と、何度も何度も。


 サラ達が了承してくれた時、アガサは再び彼らを抱き締め、「絶対帰ってくるからね」と泣きながら頭をでた。

「ごめんね……」





 一週間の後、アガサとエラリーは河川敷の端に設けた墓の前に立っていた。土を盛り、河原の石と木の枝で飾られただけの簡素なルルーの墓であった。

 二人は手を合わせ、出発の報告をした。

 そして準備を整え、西に向けて出発した。サラと幼い二人は泣きながらずっと手を振っていた。



「大丈夫かな」

 エラリーは残した三人が気掛かりだった。

「大丈夫よ。サラはもう立派なお姉さんだもん」

「お子ちゃま扱いしてたのに」

「子供は急激に大きくなるものなの。エラリーだってそうでしょ」


 アガサは小さなリュックを背負い、意気揚々と歩いた。キックボードも食糧も三人のために残しておいた。この一週間で街への食糧調達や釣りのやり方も教えた。

「どこかでバイクでも見つけよう。乗れるものがあればいいけど」

「あってもすぐ使い物にならなくなるよ。道路ガタガタですぐパンクしちゃって。その点ポリウレタンタイヤのあのキックボードは最強だったね。なんたって小回りがくし」

「じゃあ、やっぱりキックボード探すかなぁ」



 エラリーはリュックを背負い直した。

 馴れ親しんだ土地を離れて徐々に郷愁が込み上げる。新しい土地には生き延びた人は本当に居るのだろうか。その人達はどう生きているのだろうか。生きていたとして、次に『黒い風』が吹いたなら、生きていられるだろうか。


「また吹くかな、風……」

 エラリーはアガサに言うともなくひとりごちた。アガサはそんなつぶやきを聞いてか聞かずか、ただ前を見据みすえていた。

「大丈夫。エラリーが居るから大丈夫」

 アガサは恬淡てんたんとした口調で呟いた。

「だって……」

 そしてエラリーに振り返った。

「エラリーは特別な存在なんだから」



 **



「おい、起きろ!」

 激しい怒号に圭吾は目を覚ました。クラスメイト達がこちらを見て笑う先に、教壇に立つ教師の怒り顔が見えた。

「休み明け早々に居眠りか」

 先生の皮肉に教室がドッと沸いた。圭吾は哄笑こうしょうの渦の中で段々と意識がはっきりしてきた。


 2ーBの教室、今は五限目の歴史の授業中。昼食後でついついうたた寝をしてしまった。

 先生は仕切り直して授業に戻って喋り出した。源義経がモンゴルに渡ってチンギス・ハンになったという伝説は史実ではない、と力説した。しかし圭吾の耳には入っていない。圭吾は頬杖をついてじっと先程まで見ていた夢を思い出していた。




「それで、どうなるの?」

 放課後、漫画研究部の使用する教室で桃葉は圭吾の話を聞いていた。

「知らないよ」

 圭吾はパイプ椅子に座って足を組んだ。

「はぁ!? なにそれ、なにその中途半端な話!」

「だってそこまでしか見てないし」

 そう言って圭吾は大きく欠伸あくびをした。


 三階の片隅にある古めかしい会議室が漫研の部室代わりとなっている。中央に机を四つ並べ、その周りに部員が円卓の騎士のように座る陣形だ。壁側には本棚が置かれ、市販の漫画や雑誌、資料集、そして漫研部の歴代の部誌が並んでいた。

 たった五名しか在籍しておらず、この場には圭吾と桃葉以外に一人しかいない。そもそも圭吾は漫研部に所属していない。


「そこまでしか見てない?」

 桃葉の声量が段々と上がる。

「だから言っただろ、夢だって。夢とは感じないけど寝ている時に結局は見るんだから夢なんだよ」

「じゃあ、夢の話で漫画描けって言うの?」

 桃葉は深く溜め息をついた。圭吾もまたその桃葉を見て嘆息した。


「求めるから与えただけだろ」

 桃葉は不満げに圭吾を指差した。

「なにその言い方! せめてどういう展開になるか分からないと無理よ」

 責める桃葉を圭吾は軽く往(い)なした。

「寝たらまた見るかもな」

 すぐさま桃葉は返す。

「じゃ、今すぐ寝なさいよ」

「簡単に寝れるか!」

 圭吾もすぐさま突っ込んだ。

「せめて、その風ってのが何なのか教えなさいよ」

「知らないって!」

しばらく休んでて、これだけ?」

「他人に頼りすぎなんだよ」


 二人のやり取りをじっと見ていた部長がしびれを切らして割って入った。

「まあまあ、二人とも」

 部長がなだめて桃葉はようやく黙った。部長は赤いメガネの縁を上げた。

「とにかく文化祭まであと一ヶ月切ってるんだから」


 そう言われて桃葉は苛立いらだちと共に焦りに駆られた。

「あー、もう! あんただけが頼りだったのに!」

 桃葉はなお苛立いらだちを募らせて頭をむしった。

「嫌なら自分でアイディアを出せよ」と圭吾は厭味いやみを加えた。

 桃葉は我慢ならぬ表情を浮かべて両手をきつく握り締めたが、どうにかその怒りを抑え込んだ。


「……分かった。信じて描いてやるわよ」

「は?」

「とりあえず今のところまで描くから、続きを見たら教えなさい。すぐにネームに取り掛かるから」

 そう言って桃葉は落書き帳を取り出して机に置いた。そして鉛筆でサッサッと構図を描いてみた。漫画原稿用紙にネームを描くのは後々自宅で行うため、今はラフ描きのメモのようだ。


 桃葉は突然ピタリと鉛筆を止め、ボーッとしている圭吾のほうを振り返った。

「とにかくあんたはとっとと寝なさい!」


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