【完結】黒風の神様(くろかぜのかみさま)
浅見 青松
第1話 『黒い風』
集落地、ルルー。
野球のマウンドやベースの置かれた河川敷でテントを
現在人口は7名。
「早く行くわよ」
黒髪を頭頂でお団子状に丸め、額に丸いヘッドライトを着けた少女アガサが叫んだ。白いタンクトップと迷彩柄のパンツを履き、黒い革靴で砂煙を上げながら走った。
「今行くよ」
それに答えた金髪の背の低い少年はエラリー。ブラウン地に黒いゼブラ縞のある、体より大きめのつなぎの服を風で膨らませながら走り、後ろを振り返った。
「ドロシーは留守番してなよ」
「あたしも行く!」
白いスニーカーを急いで履いて駆けて来る少女はドロシー。エラリーと同じ程の背丈で、走りながら茶色い髪を後ろ手で結んでいる。赤いTシャツを
アガサが待ち構える堤の上、
だが、建造物は倒壊し、電柱は倒れ、電線はウナギの死骸のように道路に横たわっていた。それらの荒廃が文化の
※大逵=大通り。
三人は往来途中のまま乗り捨てられた車の群れの間を縫って車道を走った。
「東通りならまだあるかな」とアガサが風に乗せて
「ホント? まだ近くにもあるんだぁ」とドロシーも嬉しそうにはしゃいで叫んだ。
所々陥没した道路を巧みに避け、三人はキックボードをキキィと鳴らしながら舗道をジグザグに滑走していった。
目当てのスーパーは二階から上が半壊していたが、建物としての機能は辛うじて保っている。
キックボードをドリフトして止めると、アガサは「よし、まだ誰も来てない」と自動ドアを手で
店内は営業状態のままに商品が陳列されて放置されている。光が届かなくなるにつれ薄暗く、奥は完全に真っ暗であった。電気は
階段で地下一階へ下り、先頭のアガサは頭のライトを点けた。思わず鼻を
「地下は匂いが
そう言いながらカゴをキャスターに乗せて店内を物色して歩き回った。その後をエラリーはついていき、ドロシーもまたそのエラリーの後についていった。そしてキャスターを
「ねぇ、エラリー、たまにはお肉食べたくない?」
エラリーはすぐに
「食べたい。けど、ここも無理だよ。とっくに腐ってて」
「わかってる。だから今度、もう少し南の
「南の山間?」
「そう、確かあそこら辺って家畜がいたと思う。ウシとか」
「へぇ。見たことないや。でもまだ生きてるかな」
「大丈夫よ、きっと。だって人間じゃないもん」
エラリーは頭を振ってライトで照らされた店内を見回した。商品棚に整然と並べられた牛乳パック、デザート、山積みの果物、通路の所々に商品の入ったまま放置されたカゴ、散在する衣類と靴、『セール』と書かれて掲げられた
アガサはカゴの中に缶詰やシリアルを手当たり次第に入れていった。
「ちょっとエラリー達も手伝いなさいよ」
辺りを見回していたエラリーは言われて即席スープをカゴへ入れた。ドロシーも「はーい」と生返事をしてスナック菓子やチョコレートの賞味期限を確認してカゴに入れ込んだ。
「あ、そうそう」とアガサは見回してインスタントコーヒーの瓶を手にした。
「サラに頼まれてたのよねぇ。あの子まだお子ちゃまだから砂糖とミルクも買ってあげなきゃ」と世話焼きっぷりを楽しむように笑いながらカゴに入れた。
「エラリーも他に何かある?」
エラリーは「うーん」と考え込むと、左奥へと行こうとするのでアガサは人差し指を突き上げて左右へ動かした。
「そっちは生鮮コーナーよ。近づかないでよ。臭いがこびりついちゃうし、わたしグロキモはNGだから」
エラリーは言われて「ははっ、わかってるよ」と
商品をビニール袋にパンパンに詰め、入りきらない物はリュックに押し込んで三人はスーパーを出た。
「ったく、車が使えればもっと運ぶの楽なのに」
アガサが眉間を狭めて愚痴った。
「仕方ないよ」とエラリーは道路へ目を移した。
「こんなに車が道を塞いでるんだもの」
アガサはキックボードにビニール袋を提げて溜め息をついた。
「ホント、車も消えちゃえばよかったのに」
「人間と一緒に」
三人は来た道を戻り、
「持ってあげるよ」
アガサは紳士的な振る舞いに照れながらも喜んだ。
「ありがと」
それを見ていたドロシーはエラリーに駆け寄って「あたしのも持ってよ、エラリー」とビニールを差し出した。
「もう両手が塞がってるよ。それにお菓子ばっかで重くないじゃないか」
エラリーが言うとドロシーは口を尖らせた。
「ずるーい! アガサばかり
「そんなことないよ」
「そんなことあるわよ!」
膨れっ面でドロシーはふてくされた。
「いいもん、エラリーにチョコあげないから!」
そう言って早足で進んでいった。
「ははっ、待ってよドロシー、わかったよ、持つよ」
エラリーは先を進むドロシーを追い掛けようとした。
その時、突如河川敷の西側からどす黒い突風が吹きすさんだ。エラリーはその気配に振り返った。瞬間にアガサが叫んだ。
「『黒い風』よ!!」
アガサはビニール袋を手から離し、
「ドロシー、伏せろ!!」
エラリーの掛け声に気付いて立ち止まっていたドロシーは、あまりに巨大な暗黒の突風に身を
その怯えたドロシーに容赦なく『黒い風』が襲い掛かり、ドロシーの体を呑み込んだ。
「いやぁぁぁぁ!!」
それはまるでそこに元々何も無かったかのように、『黒い風』に触れたドロシーの体は存在を無くした。
「ドロシー!!」
風は草木を
そして静寂に戻った。
エラリーは被さった体を起こし、アガサの腕を取って立たせた。
「大丈夫?」
アガサは
「……大丈夫」
そして目の前の光景を
ビニール袋から散乱したスナック菓子とチョコレート。赤いTシャツと脛までのカーゴパンツ、白いスニーカーが河川敷の真ん中に捨てられたように転がっていた。
密集したテントへ戻るとサラが二人に気付いて
「アガサ!」
サラはショートカットの髪を振り乱しながらアガサに抱きついた。
「ウイルキーが!」
そう言って
「他の子は大丈夫だった?」
サラは涙を
「ドロシーは?」
サラはアガサに尋ねた。アガサは何も言うことが出来ずに口ごもった。その後ろから足を
サラは目を見開いて顔を震わせた。
「うそ……、うそ……、ドロシーも……」
サラの瞳に再び涙が溜まってゆく。
「私止めたの、ドロシーがエラリーに付いていくって言うから! ウイルキーとテントでおとなしく待とうって!」
サラは泣きじゃくってアガサに
「本当に言ったの!」
アガサはサラの体を両手で強く抱き締めた。
「サラのせいじゃない!」
サラの
「サラのせいじゃないの!」
サラの頭を何度も何度も撫でた。それでもサラはアガサの胸の中で大声で泣き続けた。
先程までウイルキーが
「ウイルキー……」
最年少で甘えん坊だったウイルキーはみんなに溺愛された少年だった。しかしこうして呆気なく消えてしまった。そんな記憶が元々無かったかのようにこの世界は何の
ウイルキーは苦しまずに一瞬で消えたのだろうか、そうサラに
決まりきっている。
消える時は本当に一瞬で、苦楽などもなく、それらすら風は鋭利に残酷に奪って無の世界へ
サラをテントに寝かしつけて、アガサは外に出た。エラリーがロッキングチェアの前で
「ずっと大丈夫だったのに。なんで……」
エラリーは歯を食い縛り、
「関係ないのよ、今まで大丈夫だったからなんて。これからも大丈夫かなんて。だって……」
アガサは悲しいほど青い空を見上げた。
「なぜ大丈夫だったかをわたしたちは知らない」
アガサは水面を切りつける灼熱の輝きを恨めしく見つめ、そしてエラリーに再び目を移した。
「わたしたちは知らない。あの『黒い風』のことなんて、何も」
**
「体調はどう?」
そう母親に
「……ああ、大丈夫」
「学校行ける?」
「……ああ」
母親は一階へ降りていった。
圭吾は自分の
勉強机、テレビ、コンシューマーゲーム機、本棚、テーブルの上のノートパソコン、ベッド横のスマホ。それらをひとつひとつ確認するように凝視した。睡眠が長かったせいか、
記憶が徐々に鮮明になり、圭吾はゆっくりとベッドから立ち上がった。
制服に着替え、母親と朝食を
そう確かめながら駅へ向かう道中、圭吾は背中を勢い良く叩かれた。
「あら、思ったより元気そうじゃない!」
目の前に立って微笑む黒髪の少女に圭吾は目を見開いた。幻影のような映像が頭に
「アガ……サ?」
「はぁ?」
同じ制服の少女は
「ちょっとぉ、久々に会って忘れちゃったの? 桃葉よ、桜井も、も、は!」
同じ高校に通っている幼馴染みだというデータが頭の中で記憶として
※愧赧=恥じて赤面すること。
「あ、いや、すまん」
桃葉は不満げに溜め息をついた。
「まさか今さら圭吾に自己紹介することになるとは思わなかった。平気なの?」
圭吾は小さく首を
「ああ」
桃葉は
「じゃ、休んでた分、何かネタはあるんでしょうね」
すぐにいつも通りに戻る桃葉に圭吾は苦笑いを浮かべた。
「いきなりかよ」
「そりゃそうよ、アイディアは常に枯渇しているのよ」
桃葉は漫画研究部に所属しており、自らも漫画を描いている。そんなこともあって折に触れて圭吾にアイディアを求めてくる。圭吾の発想はどこか幻想的で、掴み所がないけれど心に訴えかけるような情緒を持っていた。女の子目線でない、異性特有の世界観もまた桃葉には魅力的だった。
「ねぇ、何かある?」
圭吾は尋ねられて、頭の中で
河川敷、テント、荒廃した街……。
「あ、いや」
「何よ?」
あの世界はいったい……。
圭吾は頭に浮かぶ風景をなぞるように思い出した。そして立ち止まった。歩いた衝撃でそれが崩れてしまいそうな気がした。けれど思い出そうとすると、それは鮮明に広がり、世界が形成されてゆく。
「なんだかとても不思議な……」
「なになに?」
「いやにはっきりとした世界があって……」
「なに、何か浮かんだの?」
圭吾は腕を組んで考え込んだ。情景を思い浮かべると、細かい部分まではっきりと憶い出される。
「浮かんだ、というか、まるでそこに居たような」
「なにそれ、聞かせてよ。締切は迫ってるのよ」
圭吾は
その感触に包まれながら圭吾は静かに語り出した。
「エラリーという少年が……」
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