第7話 漆
(1)
宵の空を彩る月も星も。辺りを覆いつくす闇すらも。
全てを燃やしつくさんとする炎が、闇よりも禍々しき黒煙が。
小高い山の城館から上がっていた。
『
これまでの婚家では戦が始まる前に、もしくは夫君にじわじわと毒などを盛り、弱らせ、命を奪い次第、尾形家へ戻られたではないか。
何故だ。
再三、毒を盛れとの命も一度も実行しなかった。
どうして今度ばかりは
どうして今度ばかりは──
尾形領へ戻らず、自ら火を放ち、自害の道を選んだ??
樹が潜む樹々より少し離れた東の山道から馬が複数駆ける音、まだ少年と言っていい年頃の男の掛け声が耳に届く。それらが聴こえてきた方向を無意識に睨み据える。
杜緋はこの地で消えた。
『んじゃあ、弔い合戦と行こうじゃないか』
(2)
「たつき、たーつき!」
「んが?!」
バッと大きく振り返ると、襖を半分開け、周が顔を覗かせていた。
いつの間にか壁に凭れ、胡坐をかいたまま居眠りしまったらしい。
傍には布団の中、仰向けでぐっすり眠るみぃの姿が。
あの後──、戦の演習後、怪我人の手当を周と共にする内に夕方になり、結局、周の家へ泊まることになったのだ。
「風邪ひいても知らないよ」
「ガキじゃねぇし。簡単にそんなもん引くかよ」
言ってる端からみぃが派手に布団を跳ね飛ばし、苦笑しつつ直してやる。
自ら顔を焼く苛烈さ、口の減らない生意気さはあれど、年相応の幼さを見ると少し安心する。
「回復にはまだ至ってないけど、元気になってきて良かった」
「そうだな」
「ところでさ」
「なんだよ」
「ひさしぶりに一杯やらない??」
周の口角がにぃっと吊り上がる。
つられて樹も似たような顔で笑う。
「いいねぇ」
みぃがちゃんと寝ているか今一度確認し、立ち上がる。
寝所を出ると居間の中央、火が小さく炊かれた囲炉裏端には白い三合徳利と同色の盃
「冷えるし熱燗にしといたよ」
「お、ありがてぇな」
三合徳利を間に胡坐をかき、肴はなしで周と盃を交わす。
熱さと強い酒気とで喉が灼けつくのが却って心地良い。身体が芯から温まってくる。
「そうそう。みぃちゃんを引き取って育てたいっていう夫婦がいてさ」
「誰だよ」
「作さんとかねさんとこ」
「あそこはずっと子供ができなくて、やっとできた一人息子を戦で亡くしたもんな。いいんじゃね??……なんだよ」
「いや」
周は、彼にしては珍しく次の言葉を言いあぐねている。
樹はめんどくさそうに姿勢をより崩し、胡坐を更に崩す。
その動きで燈明が大きく揺れる。
「樹さ、みぃちゃんのこと結構気にかけてるよね??本当なら今頃は別の村へ軍事演習に出てたでしょ」
「あー、まぁ……、そりゃあ、連れてきた以上はな。ある程度元気になるまではほっとけねぇだろ」
「……の割に、あの子と顔合わせて話すの苦手っぽい気がするんだけど??」
「はぁ、そんなこたぁ」
「みぃちゃんさ、どことなく面差し似てるよね。杜緋様に……」
「周」
睨むでも狼狽えるでもなく、樹は正面から表情なく周を見返す。
「……ごめん、これ以上は黙っとく」
「……そうしてくれるとありがてぇな」
空になった盃へ、自分で酒を注ぎ入れる。
先代領主の息女かつ現領主尾形
また、周の父は杜緋の母に仕える薬師であった。
幼き頃、樹、周、杜緋は乳兄弟であり幼なじみであり、年の離れた紫月含めて四人で過ごすことが多かった。
杜緋と紫月の母親が側室で、紫月の異母兄が後継者だったためか、姉弟は随分伸び伸びと幼少期を過ごしていた。特に姉の杜緋は活発でよく笑う少女であった──、が。成長するに従い、杜緋の活発さは鳴りを潜めていく。
美しくも氷のように冷たく、頑なに笑わない姫君へ変貌していった。先代領主が政略に利用するため、娘に心を凍らせよと命じたからだ。
乳兄弟とはいえ一従者、一薬師でしかない樹と周に成す術などない。
その従者の任すらも杜緋が他国に嫁いだことで解かれてしまう。代わりに任じられたのは杜緋が嫁いだ国での斥候役。それも一度や二度じゃない、合計四回もだ。
杜緋は他国へ嫁いでは数年で戻らされ、四度目の婚姻を最後にその国で自刃し、自ら命を絶った。
杜緋の死の直後、紫月は策を弄し父と異母兄を追放、領主の座に就いた。
斥候の任を解かれた樹は紫月の命により、戦のない時期は農民兵の軍事演習のためにここ十年間、領内各所を巡っている。
磨き続けた剣の腕は、生まれ落ちた時より定められた護るべき対象──、杜緋のためのものだった。
だが、失って十年。護る者を持たない剣は振るえば振るう程に虚無に支配され──
「呑みすぎ。俺の分まで吞まないでくれる」
「あぁ、わりぃ。考え事してた」
徳利にかけた手を慌てて戻す。
感傷に耽っている間に無意識に何杯か吞んでいたらしい。
「俺が余計なこと言ったせいかも」
だから、わざわざ言うなよ、と言いかけて、口を噤む。
周も同じように察したのか、細い目をわずかに見開き、盃を唇の手前で押しとどめた。
「嫌な気配がする。様子を見てくる。お前は絶対出てくんなよ」
静かに盃を、板張りの床へ置くと。
樹は帯刀し、外の闇へと姿を消した。
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