第3話 参
(1)
燈明の炎が暗闇を頼りなく照らす中、
今夜はやけに寝つきが悪い。眠れないならいっそ薬を作ろう、そろそろ在庫切れしそうな物があったし……などと思い、板ぶきの床に胡坐をかき、薬研車を動かす。
あとはそう、妙な胸騒ぎがする。今宵は起きていた方がいい気がしたから。
しかし、明け方近くになっても何事も起きることはなく。
薬研車を動かす度に、ただ薬種がすり潰されていく音が静かに響くだけ。
薬研車を曳く手は止めず、周は手前の入り口、土間の順に視線を巡らせ、四方の土壁を隠すかのように置かれた各薬棚をぐるり見渡し、最後に奥の閉め切った襖で視線を止めた。
周の勘は
今必要な分の薬の材料は粗方すり潰した。調合は明日でも構わないだろう。
どうせ樹は早朝以降しか戻らないに決まっている。奴が戻るまでひと寝入れしよう。
残りの作業を一息で終わらせ、近くの台座に薬研車とすり潰した薬種の皿を置く。
埃が被らないよう布をかぶせ、ひとつに束ねていた肩より少し長い黒髪をばさり、下ろす。
「さて、さっさと寝ますかねぇ」
前髪をかきあげ、大きなあくびを一つ。
年齢不詳と言われる程度には若く見られるけれど、実は四十路近い身なので徹夜は地味に堪える。
またひとつ、大きなあくびをしたのち、奥の寝所へ入ろうとした時だった。
入り口を叩く音。聴き馴染んだ声。
しかも切羽詰まったような。
「はあ、徹夜決定だねぇ」
溜息つきつつ、入り口を開ける。
「うおぉぉおお?!開けんの早えな!」
「人の安眠妨害しておいて開口一番に言うことそれ??」
「あ、あぁ、すまん」
「ん。よろしい。で、薬草の受け渡し以外で俺に用??しかも火急で」
「周!こいつを助けてやってくれ!!」
「こいつ??」
周の、下弦の月に似た細い目が更に細くなる。
樹の勢いに内心押されていたのと、暗闇で気に留めていなかった。否、あまりに荷物のような雑な抱え方に人の形だとしばらく気づかなかったのだ。
「樹。いくら俺と違って
「おいこら、誰がんなことするか」
「冗談だって。山で怪我したのを拾った、とか……」
徐に樹が見せた少女の無残な火傷に周の顔色が瞬時に変わる。
「誰かにやられたんじゃねぇ。こいつが……、自分でやった」
「……そう」
「おめぇは医者じゃなくて薬師だ。助けてくれってのはお門違いだろうけどよぉ、でも」
「樹。裏の井戸で水汲んでくる。この子を奥で寝かしてやって」
「あ、おい……」
「早く!」
目をカッと見開き、やや乱暴に樹に告げると、周は樹を押しのけるように外へ出た。
(2)
「にしても馬鹿なことしたね」
ひとまずの火傷の治療を終え、わずかに開いていた寝所の襖を閉める。
布団の中、泥のように眠る少女を間に、周は呆れ笑いで樹を見返した。
「最初に助けを求められたときに助けてやれば良かったのに。一度期待を裏切った相手に助けられても簡単に信用できないよねぇ」
「じゃあ、どうすりゃ良かったってんだぁ??女衒からこいつを買い取るにしたって、山に入るのに金目の物なんざ持ってねぇし」
「一緒に
「あのなぁ……、おめぇは俺を何だと思ってやがる。大体俺は一年の大半自分の家にいないから、こいつを育てることはできない。かと言って、普段郷にいない俺がこいつを誰かに預けるってのも」
「気が引けるってわけ。だったら俺を使えば??俺の口からなら郷の者にこの子のことを頼みやすいでしょ」
一瞬、樹が大きな身体を竦め、ちらと周に視線を送りつける。
「あ、言っとくけど、一時預かりならいいけど俺が本格的に引き取って育てるのはなしだよ。
「あのなぁ」
「その代わり、この子の里親を探すためなら手を尽くすよ。お前ができない分ね」
「わりぃ。ありがとな」
「いいって。一応、お前は手のかかる弟分だしさ。あ、そうだ。代わりに今回の薬草摘みの報酬はなしね」
呆けた顔で、え、と小さく漏らした後、樹は声にならない絶叫を上げた。
少女の眠りを妨げないところはえらい、と内心で褒める周の肩を掴み、ぐらぐらと揺さぶってくる。
「いやさぁ、この子、うちでしばらく預かるし、その間の薬代とか食事代とかいろいろ入用だし……、そういうわけでよろしく、って聞いてる??聞いてないね??」
引き続き声なき絶叫を上げ、床に崩れ落ちる樹に、周はあーあ、と肩を竦めてみせた。
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