第2話 弐

 樹が颯爽と駆けることで草葉のざわめき、揺らぎは大きく、騒がしくなる──、筈が、不思議と風に枝葉が揺れる程度の物音しか立たず。

 野盗たちが異変に気付くよりずっと早く樹は彼らの前へ躍り出た。


「なんだ貴様はぁ!」


 問うと同時に樹に斬りかかった野盗の一人を、流れるように袈裟懸けに斬り伏せる。

 野盗たちの足元にはさきほどの女衒と、売り物の少女たちが血だまりの海ですでに事切れていた。

 躯たちの中で無意識にあの少女の姿を探すも、二人、三人と次々と斬りかかってくるせいで探す余裕がない。


 賊を斬り伏せる度、小袖に返り血が跳ね、草履や脛当が血に濡れていく。

 戦場なら斬った分だけ金が入るというのに、これじゃタダ働きだ。


「やってらんねぇなぁ!あぁん!!」


 落陽の影差す草木にも血飛沫がかかる。

 落陽の緋。燃えるような紅葉の紅。血の赤。

 薄闇に塗り替えられる直前、樹の周りだけが狂いそうな程の赤に染まる。


 刃を向けてきた最後の一人に刃を向ける。

 男は向けられた刃に怯えもせず、素早く何かを腕の中へ引き込んだ。


 この状況で生存者がいたとは。

 刀は構えたまま、慎重に動きを止め──、そこで樹はハッとなった。


「はなせよっ、バカやろぉ!地獄へおちろ!」

「おま、生きてやがったのか……」


 少女は小さく痩せた身体をもがかせ、恐怖にとらわれるどころか賊の腕から逃れようと必死の抵抗を試みている。が、どんなにもがいたとしても抜け出すことはまず不可能に近い。

 おまけに、少女に長刀を突きつける男は樹が斬り捨てた奴らと風格がまるで違う。

 身体は大柄だし、よく灼けた肌はつやつやと健康的に輝いている。他の連中はひょろりと痩せていたのに、この男はがっちりと筋肉質。凄みある目つきも数々の修羅場を潜り抜けてきた猛者だったのを強く窺わせる。


 他の連中とは纏う空気が違う。

 この男が野盗団の頭領かもしれない


「刀を捨てろよ、侍崩れ」

「おかしなこと言ってやがる。てめぇの方がどう見ても侍崩れだろうが。元隣領南条家の足軽とかか??うちの殿さんは敗戦国の連中も差別せず食いっぱぐれないよう、ちゃあんと面倒見てくれてるんだがな」

「く、国を奪った者の保護下になんて誰が入るか!」

「んー、まあそうだよなぁ。たかが足軽風情だって国への誇りはあるだろうし??でもよ、野盗紛いの真似なんかしてちゃあ世話ぁねぇ。うちの殿さんの庇護受けて、真面目に生きる奴らの方がよっぽど真っ当だがねぇ」

「やかましいっ!!」

「いたっ……!」


 少女のか細い首筋にゆっくりと刃先がめり込み、白い肌につつ……と血が伝う。

 苦痛に歪む少女の様子に樹の目つきが変わる。


「それ以上はやめろ」

「じゃあ刀捨てろよ」


 頭領の刃が更に深くめり込み、更に血が流れ──、はしなかった。

 そうなる前に、樹が頭領を風の速さで両断。


「こっちだ!来い!!」


 横倒しに倒れ行く頭領の腕から抜け出し、少女は樹に駆け寄る、かと思いきや。

 少女は頭領の躯と樹、どちらとも一定の距離を開け、足を止める。


「おまっ、何やってる!!」

「女郎屋なんぞいきたくない!!」

「はあ?!」


 少女はたった今事切れた頭領を指を差す。

 転がる骸の傍ら、まだ小さく燃え続ける松明の炎を見つめ、叫ぶ。


「こいつも!あたいをジョーダマ上玉とか言って、どこかへ売り飛ばす気でいた!一緒にいた他のねえちゃんたちは一目でたいしたことないって斬り捨てたのに!どうせおっちゃんも最後にはあたいを売るんだろ?!」

「はあ??んなことしねーよ」

「ウソだい!!」


 半べそをかきながらの、万感の思いが込められた悲痛な叫びは森全体に響き渡るほどのこだまと化す。


「器量、器量ってうるさい!顔なんかもうどうでもいいよ!!顔なんか良くたっていいことなんか、ひとっつもないし!!」

「あっ!こら、待ちやがれっ!」


 少女は松明を素早く拾い上げる。

 そんな小半時も持たないであろう、頼りない松明を手に逃げるつもりか。

 しかし、少女が移した次の行動は、悪い意味で樹の予想を裏切った。


 少女は炎をひどく強張った顔で見つめ、松明を握る小さな手は酷く震わせ──


「やめろ!!」


 樹が叫ぶと同時に少女は固く目を瞑り、炎を顔に押し付けた。


「ばっ……!何考えてんだ!!!!」


 急いで駆け寄り、少女の手から松明を奪い取り、そこら辺に放り捨てる。

 倒れかけた身体を腕に抱き、焦げた前髪を慌てて払いのけ──、息を飲む。

 少女の左の頬から鼻翼にかけて皮膚が焼け爛れ、見るも無残な状態に……。


「こ、これで…、う、売れない、ね……」

「だからっ!端からないって言ってんだろがよぉ!!」


 樹の怒鳴り声が傷に響くのか、少女は顔を徐に顰め、そして、なぜか笑った。


「おっちゃん……、こ、今度は、助け、て……。くれる……??」

「敵わねぇな。参った。なんて子供がきだ。面倒くせえが助けてやる……、こんちくしょうがよ!」


 少女は樹の返答に安心した途端、意識を失った。

 痛々しい寝顔から目を逸らし、夜の帳が降り始めた空を仰ぐ。


 ただ頼まれて薬草摘みに来ただけだというのに、なんて災難だ。


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