第2話


 入ってきた課長は明らかに疲れた顔をしていた。

 挨拶もそこそこに部屋を縦断し、一度倒れ込むように課長席に座ってからハッとした顔をして立ち上がり、こちらの席に向かってきた。

「おつかれ。これ、差し入れ」

「ありがとうございます」

 差し出された缶コーヒーを受け取りながら続く言葉を待つ。課長が差し入れをするときには様々な意図が考えられるが、今回の場合は「心して聞いてくれ」だろう。

「さっきの会議で、各課から被害報告の追加があって」

 重苦しい語調に背筋を伸ばす。まさか実は怪我人がいたことが判明したのだろうか、それとも重要なデータが焼けてしまったのだろうか。課長は続ける。

「建設課から、図書保管庫C-12書架の一部焼損があったと」

 意外な内容に拍子抜けする。言ってしまってはなんだが、記憶では大した資料のある棚ではない。こちらの反応を見てか見ずか、課長はさらに続ける。

「それと施設管理システムサーバーの破損」

「は?」

 それは妙だ。図書保管庫とサーバー室は建物の反対側だ。今回の爆発はそれなりの規模ではあったが、フロアごと吹き飛ばすようなものではない。爆心地に近い図書保管庫はともかく、サーバー室には影響など出ないはずだ。

「何かの間違いではないですか」

建設課長あちらさんが言うには、飛散した塵が悪さをしたのかもと」

 そんなわけがあるか。塵煙は確かに周囲の機械を壊したが、サーバー室には届いていない。仮に届いていたとして、サーバーを守る二重の扉と防塵壁がその瞬間だけ開け放たれていたとでも言うつもりだろうか。

 明らかに不自然な被害報告と課長の疲れ切った様子、建設課長、C-12書架、施設管理システム。いくつかのキーワードが頭の中で徐々に符合してゆく。その様子を察したのか、先んじるように課長が言った。

「来週の出張だろうな」

「ああ、つまり…行きたくないからと」

 あまりの馬鹿馬鹿しさに力が抜ける。

 建設課長の出張。出張という名目ではあるものの実態はお叱りの呼び出しだ。昨年の全国市町村会議で何やら他市と揉めたらしい我らが建設課長は、売り言葉に買い言葉で「じゃあ来年、成果をお見せしますよ」と啖呵を切ったそうだ。その成果を保管すべきC-12書架が未だに埋まらないことが最近の彼を苛立たせていると聞いたことがある。つまり建設課長は、爆発騒ぎに乗じてこの件を有耶無耶にしたいのだ。

「こう言っちゃなんですが、小学生ですか」

 宿題はやったけど家に忘れました、と教師の前でこうべを垂れる小学生が頭に浮かぶ。その年齢ですら通じない言い訳を、こともあろうに役職持ちの大人が使おうという発想がどうかしている。仮にその場は誤魔化せたところで追及が終わるわけもなく、むしろ焦らせば焦らすだけ期待そして不信は膨らむものだ。

 それだけでも頭がくらくらするが、課長はさらに追い打ちをかける。

「小学生が一人ならまだマシだったんだが」

「これ以上聞きたくないんですが」

「港湾課と財政課、都市計画課、そして市長公室からも似たような報告があった。それぞれ事情は違うが、要求は同じだ」

 つまり宿題は家に忘れたので広報課はそのように記録を作れ、と。

 たしかに各課それぞれに良からぬ噂は聞いている。中には不祥事と呼ぶべきレベルのものはあれど、最悪でもトップの謝罪程度で済む話のはずだ。言ってしまえばその程度のことに記録を偽り、場合によっては報道に乗せろと言うのか。

 そのまま数秒のあいだ課長と見つめあっていたが、そうしていたところで何も始まらない。まったく気は進まないが会話を進める。

「それで、まさか引き受けたんじゃないでしょうね」

「それがそのまさかで」

「何してるんですか課長、しっかりしてください」

 とは言うものの、その答えは予想できていた。無事に突っぱねられたのならこれほどまでに暗い顔をしているわけがない。

「建設課だけなら却下できたんだよ。でも皆が同調すると無理だったんだ」

 課長の弁明も理解できる。各課長とも曲がりなりにも役所社会を生き抜き長の座を手にした古強者たちだ。手練手管の限りを尽くし道理を引っ込め無理を通すことなど慣れたものだろう。そんな海千山千の猛者たちがこぞって縋るのがこんな子供騙しというのがあまりにも情けない。


 しかし引き受けてしまったのならばもう帰り道はない。呆れている間にも嘆いている間にも時間は進むのだ。頭を切り替えねばならない。

「分かっているとは思いますが課長、そのまま通したらアウトですよ」

「ああ、勿論だ。だから厄介なんだ」

 あまりの馬鹿馬鹿しさに忘れたくなるが、文書逸失の偽報などれっきとした不正だ。今回のケースに限れば大した影響は無かろうと将来どのように連鎖するかわからない。だからこそ何千何万のつまらない文書が丁寧に番号を振られて保管されているのだ。

 ひょっとすると各課長は何か重大な事案に結びつきそうな心当たりがあり、この騒ぎを隠れ蓑に危険な芽を摘もうという心積もりなのかもしれない。過程はどうあれ不正を働いた実行犯は広報課うちになるのだから彼らとしては美味しい話だ…と、むしろそのような権謀術数の一端であってほしいとさえ願う自分がいる。本当にこんな小学生レベルの尻拭いに失職や逮捕のリスクを乗せられているのだとしたら堪ったものではない。

 本来ならばこの時間は、“凶悪なテロリズムに屈しない無謬な市政”を描いた物語の編纂にあてるはずだったのだ。この組織で働く中である程度の汚れ仕事を引き受ける覚悟はしてきた。広報ストーリーに嘘は書かないまでも都合の悪い真実に辿り着かないよう矛先を逸らし、時には明らかな不正にも目を瞑り証拠を握り潰してきた。それが最終的には市民の安心な生活に繋がるのだと自分を慰め、汚れゆく魂を墓まで抱え込むつもりでいた。あるいは自分が糾弾の矢面に立たされた時には真正面から裁きを受ける気でいた。それがどうしてこんなことに。

 嘆いている時間などないとわかっていながらも、あまりに愚かしい状況を嘆かずにはいられなかった。

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