雨天願えど花火は上がる

御調

第1話

 見上げれば粉々に砕かれた窓ガラスが半球状に飛散する瞬間だった。秋晴れの空を背にキラキラと光の粒を纏う庁舎は一瞬だけ幻想的な美しさを見せたが、追いつきてきた塵煙がそれを台無しにした。ひらひらと舞う紙切れ、よもや機密書類じゃないだろうな。あれがうちの課じゃなくて良かった。目の前の現実に頭が追い付かず、そんなことを考えていた。

 玉谷たまや市役所に爆破予告文書が届いたのは三日前のことだった。市長の横領疑惑への糾弾や市政への不信を主としつつも逆恨みや妄想の多分に混じる、見本のような怪文書だった。こうした脅迫は数年に一度程度あることで、役所側の対応も手慣れたものだった。職員や市民、報道機関には素早く周知され、当日に予定されていたイベントや会議は再調整された。犯行の予告時刻には来庁者を含めた全職員が念のため屋外に避難することとなった。といっても本当に爆発が起こるなどと信じた者は殆どおらず、若手職員が「こんなこと本当にあるんすね」と面白がっている程度だった。あるいは誰も本気にしていなかったからこそ面倒な手続きが省略され、スムーズな調整を可能としたのかもしれない。かくして予告当日、業務の停滞に悪態を吐きつつ避難指示に従った職員や来訪者は予想外の爆発に驚かされたものの、誰一人として掠り傷すら負わずに済んだのである。


「死傷者ゼロは素直に美点として良いよな。問題は…」

 騒動の余韻も収まったオフィスで一人呟く。災害時だろうが大事件だろうが業務を継続するのが役所というもので、多少の爆発程度では当然止まらない。総務課は警察との調整をしているし管財課は被害金額を弾いている。施設課は修繕の手配を終えた頃だろうし、広報課ウチはこの事件をを検討中だ。といっても通常業務の大半を非正規職員に依存した広報課ではこうした業務に総動員で取り組むことはできず、一人夜の事務所に取り残される羽目となっている。

 最低限の明かりが寂しく光るオフィスで改めて振り返る。

 今回の爆破予告、死傷者を出さなかったことをまずはメインに推すべきだろう。夕方の報道が「適切な避難指示のおかげで助かった」と来庁者の声を流してくれたのは追い風と言えるが、そう長くは続かない。爆発を未然に防げなかったことは遠からず手落ちとされるだろうし、一時的とはいえ通常業務が滞ってしまったことで損害を受けた市民らもじきに不満を訴えだすだろう。何より警戒すべきは予告犯の動機、すなわち市長や市政への不信にスポットライトが当たってしまうことだ。

 第一報を出してから既に数時間が経過している。インパクトの強い事件だけに続報に期待がかかっており、ひとつ手順を誤れば同情は侮蔑へ、応援は糾弾へと容易に転ずる。かといって焦らせば焦らすだけ期待と同量の不信が募る。最適なタイミングで最適なストーリーを提示し続けることは不可能にせよ、ダメージを許容範囲内に抑えなければならない。

 先の報道では死傷者がなく、一部の業務が停止する旨を述べた。続報では物的あるいは情報的な被害状況、そして市民生活への具体的な影響について伝えるべきだろう。そこに市民に迷惑をかけてしまうことへの心苦しさとテロリズムに屈しない姿勢を印象付けるコメントでも添えられれば上々だ。そこそろ課長も会議から戻る頃だろうから、この方向で打診してみよう。

 そこまで考えたところで、背後でドアの開く音がした。

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