第17話 ゾディアック教団編8

 迫る剣。

 認識が追い付くよりも速く目前に迫った刃を間一髪のところで受け止める。


「っ!?」


 あまりの衝撃に威力を殺しきれず、身体が後方に吹き飛ばされ壁を突き破る。


 背中に走る鈍い痛みを堪えながら崩れた石煉瓦の山から立ち上がる。

 同時に剣の声が警鐘を鳴らした。


「あぶなっ……!」


 横に跳び退いたはずが僕の腕には一筋の切り傷がついていた。


 土煙が晴れると、先程まで僕が倒れていた場所にはライオネットの黄金の剣が深々と突き刺さっていた。


「よし、それじゃあこんなのはどうかな?」


 剣を上段に構えるとライオネットはこちらに猛進してきた。

 一見隙だらけに見える構え。

 前の一撃に比べれば目で追えているし、これなら避けられる。


 そう思っていたが――。


 剣から放たれる威圧感が空気を変えた。


 なんだ……!?


 突然身体が思うように動かなくなる。

 慌てて自分の下半身を見ると、膝が今にもその場にへたり込みそうな程震えている。


 ライオネットの剣から感じる途方もないプレッシャー。

 心に反して身体が動かない。


 不味いっ――。


 ♢


「あれは――。どうやら隠し通路を発見できたみたいだな」


 月光に照らされる庭園の中央、倒れ込む数多の衛兵の中心で一息吐く。

 屋敷の窓から空へ上った桃色の煙。

 作戦の第二段階までの成功に安堵の息が漏れた。


「お前ら、そろそろ学習した方がいいんじゃないか? お前らがどれだけ束になって掛かって来ようと私は倒せない」


 相手が諦めてくれることを望み凄んで見せるが衛兵たちは気圧されながらもその手から武器を捨てることはない。


 自身を取り囲む兵士達。

 その数は軽く三十は超えているだろう。

 自分の足元で伸びている衛兵を含めれば既に五十人近く相手をしているはずだ。


 ここで兵士達の注目を集めるのが私の役割だが、そろそろきつくなってきた。


 相手は腐っても公爵家を警護する兵士。

 一人一人の練度もさることながら連携の質が高い。

 ここまでどうにか捌いてきたが闘いの中で幾つか細かい傷を受けてしまった。

 連戦と負傷による疲労が身体に重くのしかかる。


「うう……」


 足元で倒れている兵士の一人が苦悶の声を上げる。


「まだ寝とけ」


「ぐあ……」


 首の後ろ、神経が集中する箇所を力を込めて蹴ると力なく項垂れた。


 この戦いの中で私はまだ誰も殺めてはいない。

 足元で転がっている兵士達も気絶しているだけだ。


「ったく……面倒だな」


「お、おい貴様! 何故気絶させるだけで私達を殺さない。お前は何の目的で公爵邸に忍び込んだ!」


「ああ? なんで殺さないかだって?」


 殺していいならすぐにでもこの場の衛兵たちを制圧できるだろう。


 それができればどれだけ楽なことか……。


 私がこいつらを殺さないのは計画前のムジナの一言が原因だった。


 ♢


「お前相当あのガキに入れ込んでるみたいだな」


「は、はぁ? だから別にそんなことないって言ってるだろ」


 突然変なことを言い出すものだからグラスに入っていた酒を僅かに零してしまった。


「それなら別に構わないが。計画の第二段階、お前が囮となる時もし衛兵を一人でも殺めればあのガキの傍にはいられなくなると思った方がいい」


「は……?」


 懐から出した煙草を蒸かしながらムジナは続ける。


「今回の計画、いくら公爵令嬢を救出するためとはいえ俺達がやることは公爵家への不法侵入だ。それに加えて公爵家の私兵を殺してもみろ、いくらお嬢様を救出するためという大義名分があるとしても罪に問われないとは言い難い」


「……それと私がシンの傍にいられないこと、どんな関係があるっていうんだよ」


绛狼こうろう、お前確か今は騎士学院に通ってたな」


「それがどうした」


「騎士学院がそんな風に罪を負った奴を生徒として置き続けると思うか?」


「……」


 普段の生活の中では感じ難いが、騎士学院の規則は罪を犯した者に対してはかなり厳しい。


 元来騎士シュバリエとは善の者。正義の代行者とも言える存在だ。

 故に騎士シュヴァリエの卵である騎士学院生が何らかの犯罪等を犯した場合、その罪の大きさに問わず学院を除籍処分にされることが通例だ。


「もしお前がまだあのガキと一緒にいたいと思うなら衛兵は殺すなよ」


 言いたいことを言い終えたとばかりにムジナは店の裏へと引っ込んでしまう。


 シンとまだ一緒にいたいなら、か。


 私なんかに剣を教わりたいと言ってきたもの好きな奴、くらいにしか最初は思っていなかった。

 だが、稽古をつけシンと過ごす時間が増える度にシンとアイツの姿が重なった。


「……」


 グラスの中の酒を飲み干すと横になったシンの隣に腰掛ける。


 顔は別に似ていない。

 シンはまだ男というには幼い顔立ちで、どちらかと言えば可愛らしい顔をしてる。

 金髪の髪も女のように長くて後ろ姿だけであれば女子と見間違うかもしれない。


 だけど時折見せるあの目が、アイツとそっくりだった。


「衛兵を殺すな……ねえ」


 私はシンと――。


 ♢


「ふぅ……」


 大剣に身体を預けて地面に突き立てる。

 自身を取り囲むように円状に地面に転がった衛兵達。


 夥しい数の衛兵が倒れているが命を落としている者は一人もいない。


「私も焼きがまわったかもな」


 これまでの私ならきっとこいつ等を殺すことを躊躇しなかったはずだ。

 だけど、私は殺さなかった。


 全身に軽い切り傷を負いながらもどうにか誰一人殺めることなく衛兵達を倒すことが出来た。

 あとはクロエ・ノワールを救出するのみ。


 大剣を背に背負うと屋敷へと急ぐ。


 そろそろ城内の兵士達や王都の騎士団にまで情報が周っている頃合いだろう。

 早くあのお嬢様を連れて逃げないと面倒なことになるぞ。


 ♢


「う……ぁ」


あるじ!』


 頭がぼーっとする。

 隣から蓮華の声が聞こえた。


 ここはどこだ?

 辺りを見回すと水が流れている。どうやら下水道のようだった。

 さっきまで僕はライオネットと戦っていたはず……。


 身体を起こそうとすると胸に激痛が走る。


「うぐっ……」


 何事かと自分の胸元を見ると服が血で赤く染まっていた。


「くそっ……早くライオネットの所に戻らないと」


『……お言葉ですが今の状態で向かっても結果は何も変わらないかと』


「……」


 蓮華の言うことも最もだ。

 ただでさえ手も足も出なかった相手に、こんな状態の僕が挑んだところで何が出来るか分からない。


「蓮華、をやろう」


『身体に負担がかかりすぎます。そのように傷を負った状態で使えば何かしら後遺症が残ってもおかしくありません』


「構わないよ、それでクロエさんが助けられるなら。頼む蓮華、僕に力を貸して」


 一拍の間が開く。


『……承知しました』


「『魔剣共鳴レゾナンス』」


 冷たい下水道に僕と蓮華の声が静かに響いた。


 ♢


 すごい。

 それが頭に浮かんだ感想だった。


 シンがあのライオネット相手にここまで戦えるなんて思ってもいなかった。

 ついこの間騎士学院にやってきたばかりのはずなのに。


 ライオネットが放った初撃。

 私には剣閃すら見えなかった。


「あ……」


 ライオネットの重い一撃を受け止めて吹き飛ばされたシンが瓦礫の中から立ち上がる。

 攻防の中で付いたのだろう少なくない切り傷が遠目にも見える。


 あんなになって、あんなに必死な表情で。

 私なんかを助けるためにボロボロになってまで。


「シン……」


「よし、それじゃあこんなのはどうかな?」


 楽しそうに笑うとライオネットが上段に剣を構えた。

 不味い、あれは――。


「シン、避けてっ!!」


 ライオネットの必殺の一撃。

 最も得意とする剛の剣。


 以前ライオネットが出場した武闘祭で見た。

 あの時会場で見ていただけの私にまで届いた緊迫感が印象に強く残っている。

 対戦相手はその迫力を前に降参してしまったためどれほどの威力を秘めているのかは分からない。


 ただ、一つ分かるのはあれは絶対に喰らってはいけないということ。


 私の叫びが届いたのかは分からない。

 シンが避けようとしていることは遠目に分かった。

 でも、意思に反して身体がついていっていない。


 このままじゃ!


 魔力と血が枯渇しふらふらとする身体に鞭を打つ。

 今動かなければ、シンは……!


 だが無情にも剣は振り下ろされる。


「あ……」


 一歩届かなかった。


 目の前で舞う鮮血。

 胸元を大きく斬りつけられ後方へ吹き飛ぶシンの身体が幾層もの石壁を突き破って視界から消える。


 全身から力が抜ける感覚。

 その場に座り込み呆然と土煙の舞う崩れた壁に視線を向ける。


「やっぱり……これは耐えられなかったか。君ならもしかして、と思っていたんだけど」


 目を伏せ、悲しいような寂しいような表情を浮かべてライオネットが私の方に近づいてくる。


「さあ、行こうクロエ。シン君との闘いに夢中になりすぎた。そろそろ移動しないと騎士団が来てしまう」


 シンは……。

 シンは死んでしまったの?


 出会って数週間しかまだ経っていないのに、頭に浮かぶのは彼の顔ばかり。

 楽しそうな顔、恥ずかしそうに赤くなった顔、少し拗ねたような可愛い顔。

 そしてあの、純粋で真っ直ぐな瞳が――。


「待て」


「ん?」


 声のした方を振り向くライオネット。


 土煙が晴れ、崩れた壁の向こう側が見える。

 そこに立っていたのは胸元を赤く血で濡らし、全身に傷を負ったシンだった。


「シン……! もうこれ以上――」


 もうこれ以上戦わないで。

 そう言うつもりだったのに、気が付くと唇の上に指が重ねられ私の言葉は遮らられてしまった。


「え……?」


 上を見上げる。

 気が付くと私はシンの腕の中にいた。


「失礼、少々そこでお待ちくださいクロエ殿」


「シン……?」


 その姿は紛うことなくシンのものだ。

 でも、雰囲気も話し方もいつものシンとは全然違う。


 シンは私のことをそっと床に下ろすと振り返り、ゆっくりとライオネットの方に向かっていく。


「シン君……!! あの一撃を受けて立ち上がってくれたのは君が初めてだ! 嬉しいよ本当に。まだ君と闘うことが出来るなんて……!」


「御託はいい、さっさと掛かってこい」


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