第15話 ゾディアック教団編6
「シン、起きろ」
「うう……」
身体を揺さぶられ瞼をゆっくりと開く。
眠気眼を擦りながら起き上がるとソファーの側にリディアさんとマスターが立っていた。
「随分と熟睡していたみたいだな」
「仕方ないさ、シンは騎士団の詰所でずっと尋問を受けてたんだから」
「ふん……あの
「なっ!? うるさいぞ
「これから命を預ける相手だぞ? 今のお前なんかで本当に――」
マスターが言葉を言い終えるよりも先に、気が付くと隣にいたはずのリディアさんの姿がマスターの背後にあり、その首元に短剣を突き付けていた。
やれやれとばかりに首を振るとマスターは両手をあげる。
「どうやら腕は以前と変わらないらしい」
「当たり前だ」
よく見ると二人は既に装備をつけ準備を完了している様子だった。
壁に掛かる時計を見るとその針が二時四十分を指していた。
「す、すいません! 急いで用意を……」
と、そこまで言って特段自分に準備が必要が無いことに気が付く。
強いて言うならコイツを忘れない事だろうか。
ソファーの横に立てかけておいた夢想蓮華に手を掛ける。
『十分な休息を取れましたか?』
「うん。そういえば昨日の夜からずっと寝ていなかったからね」
嵐のように忙しい濃厚な時間で気が付いていなかっただけで大分疲労が溜まってたんだろう。考えてみれば昨日の夜からずっと一睡もしていなかったしな。
「気になってたんですけど、リディアさんその背中のって……」
目を覚ましてからずっと気になっていた。
リディアさんの背中に背負われた身の丈程もある大きな大剣。
最早鉄塊と呼んだ方が正しいのではないかと思える程大きく、分厚い。
普段リディアさんが僕に稽古をつけてくれる時は一般的な刀身のロングソードを使っていたはずだけど。
「ああ、これか? これが私の相棒だ。これまでコイツと何度も死戦を潜り抜けてきたんだ」
無骨なその剣はその大きさ故に見合った鞘が見つからなかったのだろう。
刀身には布切れが巻かれ背中に革のベルトで固定されている。
でも、その刀身を見るだけで鍛冶師の僕には分かった。
この大剣が幾千の剣と打ち合ってきたこと。
どれほど念入りに手入れされているのかということが。
「ええ……。とても素敵な剣で、リディアさんにぴったりです」
「準備はいいか?」
「はい。僕は大丈夫です」
「私も問題ない」
「なら作戦開始だ」
♢
王城を中心に同心円状に広がる王都。
貴族の邸宅は王城から程近いエリアに広がっている。
中でも公爵であるブラン公爵邸は極めて王城に近い最も警備が厳重なエリアに存在していた。
僕達は今下水道にいる。
「うう……酷い匂いですね」
下水道の中はそれは酷い匂いだった。生ごみと排泄物を発酵させたような強烈な匂い。鼻が曲がりそうだ。
「我慢しろ。じきに鼻が慣れてくるから」
対して前を歩く
「……しっ、一度止まれ」
腕で僕らを静止させ、
僕らが物陰に隠れていると曲がり角から明かりと共に足音が近づいてきた。
「なあ本当に下水道まで見回りするのか?」
「ああ、上からの命令だからな」
「くそっどうして俺達が……。ひでえ匂いだしよ……。どうして今日に限ってこんなに警備が厳重なんだ?」
「そりゃあライオネット様の婚約者であられるクロエ様が誘拐されたのだ。同じ公爵家の人間であるブラン公爵家の人間が狙われないとも限らないからだろう」
「はぁ……。さっさとここの見回りを終わらせて地上に戻ろうぜ」
松明を持って巡回に来たのは話の内容から推察するにブラン公爵家の衛兵と見て間違いないだろう。
「まさか下水道にまで警戒の目を向けているとはな。ここからは更に警戒する必要がある、なるべく音を立てないように進むぞ」
小声で話しかけてきた
今僕達は下水道を経由してブラン公爵邸に侵入しようとしている。
外からの侵入は警備網が堅牢すぎて突破するのがほぼ不可能だからだ。
この道は一部の人間しか知らない極秘のルートなのだという。
そんなものを知っている
「ここだ」
後を追い階段を昇っていくと階段は食糧庫へと続いていた。
これで第一フェーズは完了。ブラン公爵邸への侵入に成功した。
そしてここからは第二フェーズ。
第二フェーズは早さと隠密性が要求される。
僕達は視線で合図するとそれぞれ別方向へと歩みを進めていく。
どうやらブラン公爵邸の中にはどこかに地下へと続く秘密の通路があるらしい。その情報は
ただ断片的な情報から
僕らは貉さんが三か所、僕が二か所と分担し秘密の通路があるかもしれない箇所を探索することになっている。
僕が任されたのはこの食糧庫から最も近く警備も手薄な食堂だ。
残るリディアさんはというと――。
「賊だっ!! 賊が出たぞーー!!」
「……」
一人で警備兵を引きつける囮役を引き受けた。
『さあ、
「……うん」
その計画を聞いた時僕は反対したがリディアさんも貉さんもこれが最も安全で確実だと断言した。
囮とは言ったがリディアさんのその瞳からは自分が犠牲になるだとかそんなものは微塵も感じられなかった。
強い、強い瞳。
自身に満ちた強者の眼差し。
「うわぁぁぁぁぁ!?」
「なんだコイツ!!」
邸宅の庭園から聞こえてくる衛兵達の悲鳴と鳴りやまない金属音。
そっと窓から覗けばそこには大剣を軽々しく振りまわし、宙を舞うように戦うリディアさんの姿が見えた。
月明かりに照らされて戦うリディアさんの姿はまるで踊り子のようで。
とても美しいと思った。
「おい! たった一人の賊相手に表の奴らは何を苦戦してるんだ!?」
「どうやら相当の手練れらしい! 俺達も急いで加勢するぞ!!」
「まずっ……!」
廊下から声が聞こえると同時に近くにあったテーブルの下に急いで潜り込む。
「ん……?」
「おい、どうした?」
「いや、今そこで何か動いたような」
「そんなこと気にしてる場合じゃないだろ! ほら、急ぐぞ」
「あ、ああ……」
甲冑の金属音と走り去る足音が遠ざかっていくことに安堵する。
「危なかった……」
『早く我々も任を全うしましょう』
「うん、そうだね」
食堂の中をくまなく探索していくがおかしなものは特に見つからない。
奥の厨房の方に入りこんだがそちらも特に目ぼしい物は見つからなかった。
ここじゃないとしたら次は執務室か。
僕が任されたもう一か所のポイントに向けて廊下に静かに出る。
物音を立てないよう細心の注意を払いながら進んで行き執務室を確認する。
執務室の前には衛兵が二人待機しているようだった。
他の部屋には衛兵がついていたりなんてしなかったというのに……。
『
「……蓮華、やれる?」
『もちろんですとも』
静かに蓮華を鞘から抜き放つと深く息を吐いた。
僕が隠れている物陰から近いほうの衛兵までの距離は凡そ五メートル弱。
姿勢を低く、僕は一気に衛兵の元まで駆け出した。
「……っ!? てっ――」
剣の声のままに。
蓮華が教えてくれる最速の一手を。
村正流、一の太刀。
「
衛兵が声を上げるよりも先に僕の剣の刀身で強く衛兵の兜を殴打した。
衝撃で脳震盪を起こしたのだろう、衛兵が一人その場に倒れる。
「貴様……何者だっ!」
『もう一人はどうしますか? 不意を突いた先程とは違い今度は正面からです。相手を傷つけずに無力化するのは困難かと思われますが』
「僕と蓮華なら出来るだろう」
『仰せのままに』
「一人でぶつぶつと何を言っているのだっ!」
僕に向けて振りかぶられる剣。
月明かりに照らされたそれを僕は刀身で逸らし、そのまま衛兵に向かって突進する。
「ぐぁっ……」
柄で思いきり兜を殴打するともう一方の衛兵もその場に倒れた。
「ふぅ……。ありがとう、蓮華。君の声のおかげでどうにかなった」
『いえ、そのようなことは』
気絶している二人の衛兵を執務室の中に引き摺り入れると近くにあった縄でその身体を縛り、部屋の隅に置いておいた。
「さて……」
貉さんの情報が正しければ秘密の通路がある所にはある特徴があるはずだと言っていた。
鼻に意識を集中し匂いをよく嗅ぐ。
「あっ」
今、甘い香りがした。
もし甘い匂いがしたならばそこに。
匂いが強く感じられる場所を探す。
床に近い程匂いは強くなっているようだ。
ここだろうか?
絨毯の敷かれた床の一部。
そこは一見すると分からないがよく注視するとその一部分だけ切り取られたような跡が残っていた。
絨毯を退けるとそこには桃色の石灰のようなもので描かれた魔方陣があった。
「見つけた……!」
これこそが秘密の通路の鍵。
秘隠の魔術の魔方陣を描くための触媒として使用する粉末にはスウィートフラワーと呼ばれる砂糖の原材料にも使われる花の特に甘い花粉が用いられる。
だからその甘い匂いに気付ければ秘密の通路がどこにあるか分かるかもしれないというわけだ。
魔方陣に刀で傷をつけるとそれまでそこに本棚があったはずの場所が陽炎の様に揺れて地下へと続く階段が姿を現した。
「よしそしたら……」
予め渡されていた発煙筒に火を点け、窓の外から打ち上げる。
夜空に光るのは桃色の煙。
それは第二フェーズ成功の証だ。
窓から見える中庭では中心に立つリディアさんの回りを取り囲むように数えきれない衛兵が倒れ伏し、その周りをさらに取り囲むように衛兵が円を作っている。
本当ならばここで僕は貉さんと合流してから先に進む予定だったのだが――。
窓の外に見えるリディアさんの様子。
明らかにさっき見た時よりも動きが鈍くなってる。
「――!」
よく見るとリディアさんの横腹に矢が深々と刺さっている。
それに加えて切り傷があちこちにつき、至る所から流血している。
やっぱりいくらリディアさんとは言えあの物量を一人で捌き切るのは無理だったんだっ!
「……蓮華、このまま僕一人で地下に向かう」
『計画では貉殿と合流してから動くはずでは?』
「時間が惜しいんだ……少しでも、一刻でも早くクロエさんを助けて作戦成功の狼煙を上げない限りきっとリディアさんはあの場で衛兵を食い止め続ける」
『……』
「僕はクロエさんを助けたい。でも、同じくらいリディアさんも大切な人だ。どっちも失いたくない。そのためには……」
『分かりました、主。行きましょう我々で』
「っ! うん!」
白い石階段を降りていく。
照明はなく、ただ暗い中自分の足音だけが木霊している。
階段を降りて降りて降りて、すると何かが見えてきた。
「あれは……牢屋……?」
鉄格子に阻まれた向こうにいるのは魔物や動物、獣人らしき人や人間の様に見えるものいる。
「これは一体……」
左右ぎっしりに敷き詰められた鉄格子。
どの牢の中にいるものも同様に項垂れ力なく横たわっている。
一件共通点の無いそれらには一つだけ共通点があった。
牢屋の中で鎖に繋がれた彼等はその誰もが暗闇の中で光る、朱い、朱い瞳をしていた。
左右を見渡しながら奥へ奥へと進んで行くと、その空間に異質な重厚な鉄扉が見えた。
鉄扉の向こう側を覗き穴から見ると、立方体の中心で鉄製の椅子に縛られたクロエさんの姿があった。
「クロエさんっ!!」
鉄扉を開けようとしたが鍵がかかっているのかびくともしない。
仕方ない……。
蓮華、聞かせてくれ君の声を。
村正流、二の太刀。
「
重厚な金属の扉を、紙を切るように容易く切り落とす。
両断された扉は左右に別たれ音を立てて倒れた。
室内に入ると鼻につく匂いがした。
これは……血の匂い。
よく見るとクロエさんが縛られている椅子の周りには血液が飛び散ったような跡が残っている。
クロエさんの腕や足には小さな針孔のような跡があり僅かにまだ流血していた。
「……っ。クロエさん、クロエさん! 大丈夫ですか!?」
「ん……」
ゆっくりと瞼を開くクロエさんの様子に安堵する。
「よかった……目を覚ましてくれて」
「シン……? どうしてここに……」
「後で詳しく説明します。今は一刻も早くこの場を離れましょう」
「え、ええ……。うっ……!」
僕がクロエさんの手を取ろうとするとクロエさんの顔が苦痛に歪んだ。
「ごめんなさい、多分指が折れてると思うの……」
よく見るとクロエさんの右の人差し指は青紫色に変色しあらぬ方向に曲がっていた。
痛むだろうに……。
「……っ! 大丈夫です、もう大丈夫ですからね……」
ふらふらとした足取りのクロエさんに肩を貸すとそっと腰に手を回し、ゆっくりと来た道を戻っていく。
コツ、コツ、と石畳を叩く足音がこちらにゆっくりと向かってきている。
足音は階段から、そして僕達の前へと。
「やあ、君がシン君かい? 僕はライオネット・ブラン。クロエの婚約者だ。悪いんだけどクロエを部屋まで戻してあげてくれないかな?」
「断る……ッ」
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