第12話 ゾディアック教団編3

 暁の空に陽が見え始める頃、僕はまだ明かりのつかない王都の街を駆け抜けていた。

 学院の正門の衛兵が居眠りしている隙をついてこっそりと抜け出し、一目散に向かったのは冒険者協会だった。


 協会のロビーに入ると強い酒気の匂いと共にテーブルに突っ伏す大量の冒険者達の姿が映る。

 床に転がる酒瓶と人を避けて歩きながら僕は掲示板に張り出された依頼を吟味した。その中で目を引いたのは鉄級アイアンの討伐依頼、小鬼ゴブリン十匹の討伐だ。


 小鬼ゴブリンといえば頻繁に現れる魔物で個の力は大したことないが群れで行動し人を襲うことで危害を加える比較的有名な魔物だ。僕が村にいたころも近隣で小鬼ゴブリンが現れたことが何度かあった。


 それに今回の依頼の小鬼ゴブリンが生息しているのはラビディアの森浅層の洞穴とのこと。

 王都からの距離も近く試し切りをするには丁度いい。


 受付にエマさんの姿はない。

 依頼書を剥がすと足早に冒険者協会を後にする。


あるじ、あちら方から不浄な気配を感じます』


 ラビディアの森に入り少し歩いた辺りで蓮華が突然声を掛けてきた。


「そんなことが分かるの?」


『どういう理由かは分かりませぬが我にはそのような能力ちからが備わっているようです』


 夢想蓮華は僕が打ち直した魔剣だが、その能力ちからはまだ未知数。今の内に勝手を知っておくことでいざという時の備えになるはずだ。


 蓮華の声に従い森の奥へと進んでいくと依頼書にあった小鬼ゴブリンが根城にしているという洞穴らしきものが見えてきた。

 入口付近に二匹の武装した小鬼ゴブリンの姿があり、ここからだと姿は視認できないが恐らく中にも数匹が隠れているに違いない。


「それじゃあいくよ!」


『はっ!』


 茂みから飛び出し蓮華を抜き放ちながら小鬼ゴブリンに向かって一気に距離を詰める。通り過ぎ様に柄を両手で持ち、横に一閃した。


 ぼとり、と音を立てて小鬼ゴブリンの上半身が頽れるのを後ろ手に、走り抜けた勢いを脚で殺し、即座に振り返ると共にこちら駆け寄ってきた小鬼ゴブリンの構えた銅の盾に向かって魔剣を振るう。


 上段から振り切った斬撃はいとも容易く銅の盾を紙切れのように両断し、刃は小鬼ゴブリンの身体を易々と両断した。


 こうして改めて持ってみると分かる。蓮華の剣とは思えない軽さを。

 それでいて切れ味は凄まじく銅の盾などものともしない。

 それにだ、一瞬の内に決着がついてしまったが、それも蓮華のサポートのおかげだ。


 剣の声がいつも僕に教えてくれるように、蓮華の声が直接脳内に響き、どう動けば剣の力を最大限引き出すことが出来るのかを教えてくれた。


「凄いな蓮華! 君がここまで強いとは思ってもみなかった!」


『いえ、我の本気はこの程度ではありません。相手がたかが小鬼ゴブリン程度だったので力を出し過ぎないよう抑えて戦いました』


「そうなの? それじゃあ次は蓮華の本気が見てみたいな」


『見せる分には良いのですが……一つ問題が――」


 ♢


 にこやかな表情を張り付けた仮面を被って、皆に愛想を振りまく。

 公爵家に生まれ、公爵家の娘として恥じぬ様にと勉強も、剣術も、品位も、なにかもを努力して、磨いて、自分の感情が表に出ないようにと偽りの笑顔を浮かべる。


 私は両親に敷かれたレールの上をなぞり、いつの日か同じく公爵家に生まれたライオットと結婚することになるのだと私は私を諦めていた。


 いつものように偽りの笑みを浮かべ、過ごしていた。

 彼女に出会ったのはそんなある日。

 新しく一年生が騎士学院に入学式。


 私は二年生代表として式に向かう中で狼人族の新入生に出会った。

 彼女は私の元に来ると一言、「お前がクロエ・ノワールか? 私と手合わせしろ」そう言った。


 私は自分で言うのもなんだが腕には自信があった。

 才能もあったと思う。

 でも、才能に驕らず努力を積み重ね続けたからこそ自信を持っていた。


 剣技も魔法も騎士シュヴァリエとしての鍛錬を幼い頃から続けてきた故の自負があった。

 しかし、彼女との手合わせの結果は敗北。生まれて初めての敗北だった。

 その胸に到来した初めての感情に頽れた時に言われた一言を未だに覚えている。


「……噂に違わぬ美しい剣だが、美しいだけだな。ハリボテの剣でしかない」と。


 彼女は私に手合わせしてくれてありがとう、と礼を言うとどこかに行ってしまった。

 彼女との出会いが私のこれまで積み上げた日常に罅を入れた。


 初めての敗北の味。

 最初は怒りも沸いた。

 でもすぐにそれが彼女に対しての怒りではなく自分に向けられたものだと気が付いた。


 彼女の言葉は私のことをまるで見透かしているようで、深くに胸に残り続けた。

 公爵家としての責務を受け入れ、己の運命を諦めた自分を否定されているような気がして。

 そんな風に悶々とした気持ちを解消するためにも気分転換に街へ出かけた日だった。


 街中をキョロキョロと見回しながら目を輝かせる一人の少年と出会ったのは。

 彼の目はとても綺麗だった。見るもの全てが輝いて見えているように。

 少年の瞳は自分の目とは比べようもないくらいに澄んでいた。

 気が付くと私は道に困ったような様子のその少年に声を掛けていた。


「君、もしかして迷子?」


 偶然出会い、学院へ案内した少年は伝説の鍛冶師の孫で気が付くと彼は騎士学院に入学することになっていた。


 学院を案内したり、少年と話している内にその瞳にどんどん惹きこまれていった。

 無垢でキラキラと見るもの全てに輝く瞳。

 偽りの仮面を被った私がいつの間にか失ってしまったそれに。

 彼女に敗北したことで罅の入った私の世界がその瞬間完全に壊れるのを感じた。


 ライオネットとの婚約が成立することになるまでの時間は僅か。

 せめて、それまで、ほんの少しの間だけ彼の側にいて、彼の目を見ていたかった。


 彼は学院に入って少しすると毎朝剣術の鍛錬に出かけるようになった。

 日を増すごとに明らかに彼の身体が剣士のそれになっていくのに驚いた。こんな短期間にあれだけ変化するものかと目を疑うほどに。


 そしてある日、実習中の彼の剣を見て納得した。

 彼の扱う剣技には覚えがあった。あの日私が初めて負けた荒さと強さを兼ね備えた彼女の剣。


 彼の輝く瞳が向けられていたのは、満面の笑みを浮かべる彼の隣に立っているのは彼女だった。

 少年は王都に来て初めてだらけの中初めて出会ったのが私だったから私に頼っていただけ。彼はもう信頼できる人を見つけたんだ、彼に私はもう必要ない。


 そう考えると胸が痛んだ。

 でも、そんなのは関係の無いこと。


 私にはもう、どうせ時間がないのだから。


 その日のことだ。部屋には一通の手紙が届いていた。

 黒い蝋で封がされた手紙。封には鹿の家紋。間違いなくそれは実家から届けられたものだった。


 内容は開かずとも分かる、ライオネットとの婚約を公式に発表するというものだ。

 手紙をしまおうとしていると扉が勢いよく開かれ彼が部屋に戻ってきた。いつもならまだ鍛錬をしている時間のはずだが今日は少し早く終わったのだろうか。


 少し嬉しかった。最後の夜、彼と少しでも長くいられると考えると。


「あら、お帰りなさい。今日は特訓早めに終えてきたの?」


「あ、いえ。すぐにまた出ます。クロエさんは勉強ですか?」


 そう聞いて落胆した気持ちになったのは何故だろう。


「ええ。もうすぐ初学期の定期試験があるからその勉強をね」


「定期試験……?」


「あら、シンはまだ定期試験の話聞いてないの」


「はい。あ、すいません! 急いでるので、この続きはまた夜!」


「ええ、行ってらっしゃい」


 扉が閉まり、完全に彼の姿が見えなくなる。

 どうして私はこんなにも落ち込んでいるんだろうか。

 彼と一緒にいられないから? どうして。

 私はただ彼のその無垢な瞳が好きなだけのはずだ。

 窓から正門へ走っていく少年の姿が見える。

 そして、その後ろからゆっくりと同じ方向に向かう彼女の姿も。


 机に置いた手に力が籠る。

 正門の前で落ち合った二人は正門を抜け、そのまま姿が見えなくなった。

 どうして胸が騒めくの? 理由わけが分からない。

 結局彼がその夜部屋に戻ってくることはなかった。

 後日聞いた話だが彼はその晩彼女の部屋にいたらしい。


 彼とこんな風に別れるのは本意じゃない。

 でも、もうこうする他ない。

 私の世界は再び分厚い殻に覆われた。


 翌日の未明から王都中に私とライオネットの婚約が発表され学院中にも知れ渡ることとなった。そして今日の放課後にはライオネットと顔を合わせる予定だ。


 これまでのように、私は偽りの仮面を被り、笑顔を作り、父様と母様が望む公爵令嬢の役目を果たしていた。

 そんな時だった。

 ふと視界に入ったのは彼と彼女の姿だった。


「あ、クロエさ――」


 彼の瞳は私と初めて出会ったときから変わらず澄んだ美しい目をしている。

 声を掛けてきた彼の横を通り過ぎる。


 もう、彼と関わる事はない。そんなことは出来ない。

 十分私はわがままをしたもの。

 後は私の運命を受け入れるだけだ。


 ライオネット・ブラン。

 ノワール公爵家に生まれた私と同じようにブラン公爵家に生まれた男。私よりも五つ年上の彼は輝かしい実績を幾つも打ち立ててきた。

 平民貴族両派閥から支持される稀有な存在。


 でも私は彼が嫌いだ。

 まるで自分を見ているような気分になる。

 家の為に生き、家の為に死ぬ。運命に抗う事を諦めたつまらない人間。


「やあクロエ、久しぶりだね」


「久しぶりね、ライオネット。相変わらず嘘くさい笑顔だわ」


「はは、君くらいさ僕にそんなことを言うのは。それよりもういいのかい? あの少年のことは」


「……!!」


 差し出された手を払いのける。

 どうしてコイツがシンのことを……!


「そんなに警戒しないでくれよ。たまたまそういう話が私の耳に入っただけさ」


「……シンをどうする気?」


「何もしないさ。さあ、顔合わせは終わりだ。食事は用意したけど……一応聞くけど食べていかないだろ?」


「ええ。貴方の顔をこれ以上見ていたくないもの」


「そう言うと思ったよ。それじゃあまたね、クロエ」


 ライオネットに背を向けると御者に言って馬車を出してもらう。

 迂闊だった。騎士学院の中での出来事ならライオネットに情報が漏れることはないだろうと高を括っていたが……。


 一応シンに注意しておくべきね。

 その時だった。


 異変に気が付いたのは鼻に残る僅かな甘い匂いでだった。

 馬車の中に充満するその匂いに気が付いた時には既に手遅れだった。

 これは……。

 霞む視界と霧が掛かったように上手く回らない思考。

 何とか馬車の中から出ようと体を動かそうとするも思うように手足が動かない。

 駄目……もう意識が……。


「シ……ん……」


 完全に意識を手放す直前。

 馬車の中に踏み込んできた何者かに担がれどこかに連れていかれる感覚を最後に意識を手放した。


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