後悔を売った話

目爛コリー

後悔を売った話

 なぁ、そこの人。一つ、話しを聞いておくれよ。


 ――よかった。俺を見るとみんな避けていくんだ。こんな汚い恰好をしているからだろうな。まぁ金がないもんで、服なんか滅多に買えないんだ。この臭いは勘弁してくれよ。


 そういえば、人と話すこと自体が随分と懐かしい気がするな。いつぶりだろうな。ホームレスばっかりのここだったら友達の一人や二人、簡単にできると思うかもしれないが、それは違うんだな。あいつらは日々を生きるライバルみたいなもんだ。動物で言えば、チーターとライオンみたいなもんだ。


 ――あぁ、すまない。話を進めるよ。

 聞いて欲しい話ってのは、別に相談ってわけじゃないんだ。そうだな、言ってみれば自分語りみたいなもんかな。でも俺は自慢をしたいわけじゃない。どうしてもこの話を伝えたいんだ。本当に、どうしても。


 何から話そうか。

 逆にどんな風に話したらいいと思う? どうしたら興味を持ってくれる? どんな風に話したら、あんたはこの話を信じてくれる?

 まぁ信じてくれると思うが、別に信じなくてもいい。何だっていいんだ。伝われば。


 ――お、信じてくれるのか?。

 それはありがたいな。こんなにきちんと話を聞いてくれる人ってのはいたんだな。知らなかったよ。もし嘘でも、その姿勢だけでも嬉しい。

 

 少し考えてみたんだがな、やっぱり話の初めに一番言いたいことを持ってきた方が伝わると思わないか?

 やっぱりそうかい。じゃあそうするよ――。


 もう何もかもが滅茶苦茶でよく覚えてないんだがな、多分そう離れてない。予想じゃ十四年前の話だ。違ったら勘弁してくれ。なにせ俺は自分の年齢すら忘れちまったんだ。


 さて、言うからな。


 話は十四年前。

 俺はな――後悔を売ったんだ。



 *



 昔から完璧にしないと気が済まない人種だった。

 それは俺らしさを形成するスペースの中で、最も大きな空間を占めていたんだ。まぁ、俺は完璧主義者ってわけだ。今は違うがな。


 俺と言えば完璧主義ってのは、小さい頃から周りのみんなに定着していて、よく馬鹿にされたもんだ。

 工作だったら「おい、いつまでやってんだよ」と後ろから急に作品を壊されたこととか、料理だったら調味に時間をかけすぎて逆に美味しくなくなることとか。とにかく色々あった。

 

 俺は完璧主義者だったが、それと同じくらいに不器用だったんだ。

 周りのみんなができて、俺だけができない。それが堪らなく悔しかった。

「できるまでやれば、必ずできる」

 変なことを言ってるかもしれないが、諦めなければいいんだと、俺は思っていた。そうすれば何だってできるようになる、と。


 実際のところ、それってどうなんだろうな。

 「できるまでやれば、必ずできる」って言われてもそりゃそうだってなるが、それを実践した人ってどれくらいいると思う?


 ――俺?

 あぁ、そっか。まぁ、丁度いい。続きを聞いてくれ。

 実はな、俺は諦めたんだ。できるまでできなかったんだ。


 辛かったんだ。

 みんなが一の力でできることを、俺は十の力でもできなかった。

 それって人生を無駄にしていると思わないかい?

 今だったらそうは思わないんだが、当時の俺、まぁ中学に入る前くらいの俺は、そう思ったんだ。思ってしまったんだ。


 実は、後悔ってのはそれなんだ。


 俺は何一つ成せないまま、大人になっていった。

 手を伸ばせば届いたかもしれないもの、届いたのなら未来が違っていたかもしれないこと。俺には成功体験が一つもない。何か一つくらい掴めたのなら、俺はもっとましになっていたかもしれない。

 究極のたらればだ。でも、そんな思考を辞めずにはいられなかった。


 俺は落ちぶれていったんだ。

 できないやつは淘汰される。教育に俺は負けた。


 でも日本って国は、つくづく幸せだと思う。

 そんな使えない俺でも、職にありつけたんだ。


 底辺すれすれで生活をして、貯金なんて貯める暇もないくらい毎日がぎりぎりで、でも今と比べたらずっとましな生活だ。

 楽しくもないし、辛いことばっかだったがな。


 そんな風に生きてる俺は、前を向けなかった。なんでだと思う?

 後悔に苛まれていたんだよ。何もできなかった――できるまでやらなかった。

 学生時代ってのは貴重で、大人になったらその時間は返ってこないんだ。どれだけ金を払っても。まぁ払う金を俺は持っていなかったがな。


 金に困って、そして日々後悔が頭に重い痛みを残していく。

 なんだって俺は生きているんだ。

 毎日そう思っていたよ。

 だからある日、俺は自殺を決意した。


 ロープを買う金がもったいないから飛び降りでいくことにした。

 そしていざ崖の上に立ってみて、ここから一歩踏み出せばこの苦しい日々から解放される。この下には天国がある。そう思った。

 でも死ねなかったんだな。やっぱり後悔があるって言うからには、人生を生きたいんだよ。希望を捨てられなかった。

 まぁロープを買う金をもったいぶってた時点で、俺が死ねないことは決まっていたんだろうな。


 その自殺未遂を経て、俺は気づいた。

 俺は普通に生きたいんだ。

 そのために、後悔が邪魔だ。

 失敗してもいい。できるまでやれば、普通に生活できるようになるまで頑張れば、それでいい。

 でも、それには前を向く必要がある。後悔は俺の頭を下へ下へと押し続けているんだ。


 ――今も、って?

 いや、そんなことはないさ。

 だって俺は後悔を売ったんだ。その時俺を悩ませてくれた後悔を、今の俺は持っていないさ。そんなようなものを悔いていたんだな、って思っているだけだよ。

 

 で、その帰り道だ。自殺未遂の帰り道。

 雨の降る夜だった。傘を忘れて俺は雨に濡れながら帰った。

 濡れたから洗濯しなきゃなって思いながら、秋の夜道を歩いた。明日を生きるために洗濯をする。つまりそれって、俺はちゃんと明日を見れていたんだ。そのことを当時の俺は気づいていなかったよ。後悔をどうしたら消滅させられるかで頭がいっぱいだったんだな。


 その時、声をかけられた。随分としゃがれた声だな、と思った。俺はその声の方を向く。

 白髪で汚い恰好をした、中年の男だったよ。


「あんた、後悔してるね」

 

 俺は何も考えず、彼が怪しいとも思わず、うんと頷いた。

 本当にそれがその通りだったからだ。

 でもまぁ、後悔してるねって言われて、首を横に振るやつはいないと思う。人間、後悔でできてるんだ。


「悪い話じゃない。あんたの後悔を売ってくれないかい?」


 俺は悩まなかった。

 だってずっと後悔をしてきたんだ。その後悔を拭いさるには俺自身が学生時代に戻らなければいけなくて、でもそれって無理だろう?

 気づけば俺は、「頼む」と言っていた。


 話を聞いてみればどうやらその男は後悔を求めているらしく、俺の後悔には十万円を払ってくれるそうだ。尚更断る理由は無くなった。


 そうして俺は、その男に後悔を売った。


 それから、後悔の無くなった俺は――

 人生が滅茶苦茶になったんだ。


 後悔したよ。

 気づいたよ。

 

 俺が後悔していたのは、別に学生時代だけじゃない。

 俺という人間がこんな人格であること、その全てを後悔していたんだ。俺は俺であることを――言ってしまえば人生を後悔していた。それが十万だって? 安すぎやしないか?


 俺は昔の自分の記憶を――まるでデータの一つのようにしか思えなくなった。

 こうして話しているのは、そのデータなんだ。

 それで俺の人格は無になった。

 それが十四年前だから、実は俺の心は、十四歳だとも言える。記憶を沢山持った十四歳。でも、そんな俺は人間なのだろうか?


 人間社会に人間以外は適応できないのは当然のことだ。

 何もできなかった。

 十四年前から今のことまで、正直言えばほとんど覚えてないないさ。だってあまりにも変わり映えしない。


 でもほとんど無になった俺が、後悔をしていることに気が付いた。

 それって人格があるってことだとも取れる。俺は少しだけ嬉しかったよ。


 そしてもう数年前の話。つい最近のことだ。

 俺は今まで見ようとしてこなかったこと――後悔を売ったことを後悔して、あの日のことをデータで再生する。


 雨降る夜、中年の男が俺の後悔――俺を購入していく。


 だが、その中年の男に見覚えがあることに気が付いたんだ。


 なんで今更? って思うだろう。十四年前には絶対に気づけなかったんだよ。それは。


 だってあいつは、今の俺だったんだ。


 もう意味が分からないよな。


 ただ、俺はこう考えた。

 別の世界の俺も同じ道を辿り、後悔を売った。それを後悔した。

 だから別の世界、まぁ俺のところに来て、後悔を買いに来た。それであいつは後悔を買い戻せる。そして俺は後悔を失った。


 無茶苦茶だが、理屈は通る。


 思うんだ。

 後悔ってのはまるで負の感情のように思える。だが、実はそうじゃない。後悔は人格を形成する一つの大切な『もの』だ。失敗した経験も、もしも失敗した経験しかなくたって、大切なんだ。

 それがなかったらどうなる? 人間ってのは後悔でできているんだ。自分を見失うのは当たり前だよな。


 俺はある意味で、人間の真理に気が付いたんだ。

 多分、この世界で誰よりも説得力のない言葉だ。

 ――人間ってのは後悔でできている。


 まぁそれを忘れないでくれ。

 俺が言いたかったってのは、それだけなんだ。

 そんな長々と話して悪かったな。



 *



 ――あぁ、そのことについてなんだがな。実は見当がついている。別世界の俺に、俺は会うことができるんだ。


 けど辞めたよ。


 こんなにも何もなくて、でも何よりも辛い思いをするのは俺だけでいい。


 あの日自殺できなかったのは、その連鎖を終わらせるためだったんだな。

 そして今日、このことを伝えて死ぬためだったんだな。


 ありがとう。

 だから悪いけど、そのかばんの中にある装置は要らないよ。

 多分、渡したらあんたは後悔する。それはする必要のない後悔だ。

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