サラリーマンシンドローム

青いひつじ

第1話



彼女には、変わった趣味があった。



帰りの電車の中、疲れたサラリーマンを見つけ、一緒に降りて、着いて行くという趣味だ。世間ではこれをストーカーというが、彼女なりのルールをもって行っていた。

1番重要なのは、執拗に着いて行かないこと。時間は5分間、1日1人と決めていた。



そして、そのターゲットにも条件があった。

細身で、30〜40代の黒髪のスーツを着た男性。彼女は、疲れ果てた男性を見ると不思議と心がにぎりしめられるような感覚になった。

これを昔友人に話した際の表情は、今でもはっきりと覚えている。それ以降、誰にもこの感情については話していない。



彼女は、職場の同僚から"朝ドラヒロイン"と陰で呼ばれているほど透明感の漂う女性であった。この容姿のおかげで、男性たちは自分がストーカーされていることに気づかない。

むしろ、帰りの電車で彼女に会えることを楽しみにしていた人間もいるかもしれない。



改札を抜け、いつもの4号車に乗った。

車窓からの隙間風で黒髪が揺れる。

読書をする横顔が麗しいが、その内容は妖怪大辞典、凶悪事件簿、都市伝説系のものばかりだ。

彼女にとって、ブックカバーは常時手放せないアイテムだった。



手すりにもたれ本を読む。そしてサラリーマンを探す。前世は、こうした類の妖怪かなにかだったのではと悩んだ日もあった。

しかし、すでに彼女の中で習慣となったそれは、帰り道コンビニに寄り、アイスを買って帰ることと何ら変わりはなかった。



本を読みながら、時々顔を上げ乗客を観察する。オフィス街にある最寄り駅に停まると、サラリーマンが20人ほど乗り込んできた。


その中に1人、見かけのよい男性がいた。身長は170㎝後半、光沢のある黒い髪、年齢は35、6歳といったところだろうか。指輪はしてないようだ。綺麗に磨かれた革靴から細やかさが伺える。いや、もしかしたら彼女はいるかもしれない。

ターゲットを見つけたら、生活まで妄想するのが一連の流れである。



観察を始めて10分。男性は、ため息をつき、ネクタイを少し緩めた。財布でも落としたかのような絶望感がたまらなかった。しかし気づけば、男性の仕草ひとつひとつに目が離せなくなっていた。喉の下が締め付けられ、心臓がじんわりと溶けそうだった。


その日は、着いて行くのをやめた。




1週間後。

彼女は勤めている病院を出ると、いつものように駅へ向かった。

改札を抜けると、くたびれた自動販売機の横で、同じようにくたびれた男性がベンチに座っている。

間違いない。あの日の男性である。

ちょうど4号車の乗車位置。普段は買わない缶コーヒーを取り出そうとしゃがみ、自然に視線を横へ移した。

男性は眠っていた。なんと長く美しい睫毛だ。彼女の手は、ゆっくりと男性の顔へと伸びていった。無意識とは便利な言葉である。


その時ホームのアナウンスが流れ、我に返った彼女は伸ばしていた手を男性の肩に置いた。




「電車、来ますよ」




男性は慌てて目を開くと、恥ずかしそうにはにかんだ。



「あ、ありがとうございます」



「あ、いえ」




彼女は冷静を装い、4号車に乗り、手すりにもたれかかった。

彼が、日によっては同じ駅から乗ることが分かった。これは、大きな進歩であった。


きっとこの後も、何度か彼と接触することが可能であろう。

もしかしたら、そのうち連絡先を聞かれ、食事に誘われ、付き合うことになるかもしれない。彼女の妄想は飛躍していった。

自分にも花柄のワンピースが似合う春が来るかもしれない。その日から、目に映る全てのものが光で溢れていった。




2週間が経った。

彼女は市立病院で事務員として働いている。最近は激務に追われ、普段ならしないミスが重なっていた。なにも聞かず、温かい珈琲を淹れてくれる人が恋しくなる。


改札を抜け、4号車へ向かい歩く。

今日は木曜日。彼がこの駅を利用する日だ。


ふと向かいのホームに目をやると、そこにはあの男性の姿があった。


横には、花柄のワンピースを着た女性。

私は嫉妬などしなかった。

女性に向けられる彼の視線がとても優しくて、ただ、見惚れていた。


線の内側を歩く脚が、だんだんと外側に移動して行く。





「黄色い線の内側にお下がりください。黄色い線の内側にお下がりください」





悲鳴と警笛が鳴り響き、レールが、ぐれん色に染まっていった。






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サラリーマンシンドローム 青いひつじ @zue23

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