88.ミナトナの母は女神のように
平和が長く続いたグランディア大陸西。鉄道が随所に延び、食料を、人を、情報を載せて高速で駆け巡る。各国間の交流は前世紀とは比較にならない程発展し、平和な日々が続いた。
大陸暦1528年。世界は大きな悲しみに包まれた。
創世教会教皇ディグニ49世が逝去した。
一時はクーデターで総本山を追われたと思われたものの瞬時に逆賊を一掃し、何事も無かったかの様に冬の礼拝を挙式し、合わせて各地で横領や汚職に耽る司教達をも一掃した偉大な教皇だった。
そして天然痘の蔓延、異民族の侵略を防ぎ切った、大陸同盟の宗教的な紐帯でもあった。
各国の王、大陸同盟に参加しなかった北辺の小国の王達も列席し、護児城からはダンとヤミーの国王夫妻が参列した。二人も既に30を超え、幾多の問題を解決した風格があった。
私達は一般人として参列し、会衆の中で教皇に感謝の祈りを捧げた。途中帝国貴族に見つかって上段に招かれたが固辞した。
折角の機会と帝国南岸を観光し、海辺で妻達と飲んでいたら、皇帝夫婦が大層ラフな格好で隣に居てちょっと参った。「ひでぇなあ人の持て成しから逃げるなんてよ」
キオミーは兎に角、皇妃様もそういうのに付き合う人だったのか!
「もう大分仕事を子供達に任せて、隠居寸前なのですよ」とか笑ってるし。第二皇妃達もいた!何かマギカやウェーステ達大陸大学関係者で盛り上がってるし!
キオミー相手に「随分老けたな!」と言いそうになったが、流石に皇妃様達を前にそれを言うのははばかられた。
しかし年を取った割にはキオミーも、第一皇妃様も、笑顔は大陸同盟以来、いやそれ以上に輝いていた。
今はもう平和なのだ。新教皇の選定も相応な拮抗はあるものの、かつての様な悪逆の輩が世情を混乱させる様な事はない、とそう聞いた。
大陸に平和を齎した教皇様を、この世界をお創りになった神も永遠の楽園へ歓迎された事だろう。
過ぎ去った日々を偲び、私達は改めて教皇様へ献杯を捧げた。
******
2年後。私はまた帝都マンナにいた。コンクラベ選皇枢機卿が倒れられた。
ダンをはじめとする護児国の訪問団として、正式に面会を申し出、自室を訪れる事を許された。
「国王様。あなたの前王は、こうやってちょくちょく、この部屋に来たんですよ」
「我が父の御無礼を深くお詫び申し上げます」ダンと枢機卿、そして私は笑い合った。
「今まで無茶なお願いに応えて下さって有難う御座いました。年2度の礼拝は、私達城の皆にとって一番のお祝いだったんです。近年は礼拝の後のお祝いも御一緒頂けた事、父も喜んでいます」
「…国王のお姉さまは幸せに過ごされていますか?」
「はい。今では4人の子供と共に帝国南岸の小さな港町で暮らしています」
「幸せなのですね。魔導士様」と私に尋ねる。
「貴方も幸せですか?」
「今までは幸せでした。然しこれからは別れが多くなるかと思うと、寂しいものです」
「祈って下さい。もし今までの日々を幸せと感じて頂けるなら、別れる人々のために、祈って下さい」
「解りました」
「奥様達も、祝福が在らん事を、いつまでもお祈りします。
貴方も、貴方の神が貴方の祈りに応え、貴方を幸せに導かれん事を祈ります」
その言葉は、創世教会の重鎮としては異様な言葉であった。
私の故郷では、異宗教への融和と寛容という概念は、2000年の歴史を通して初めて生まれた概念だったのだ。それを、この大恩ある師は、極自然に私に語り掛けて下さった。
慈父の様な笑顔に、皆感謝を捧げた。
師の最後の仕事となった、新しく選定された教皇が冬の礼拝を行った。
その後、コンクラベ選皇枢機卿は安らかに息を引き取った。
有難う御座いました、コンクラベ様。貴方が私の子供達を歓迎してくれたお陰で、この子達の未来は外の世界に開かれました。
長年のお疲れを、どうか神の御許でお癒し下さい。そして、いつか御許に行く私の子供達をお迎え下さい。
******
春。
プリンが起きてこなくなった。寒いので寝坊している訳ではない。起きた後も、すぐに疲れて横になる。
そしてある日。二之丸のミナトナの居館、醍醐殿で彼女を見舞うと
「お乳が出なくなっちゃったぁ」
と笑って聞かされた。
彼女も50歳になる。ミナトナは短命で、普通40過ぎが寿命とか。美人薄命だ。
一生に渡り子供達に乳を与えるミナトナにとって、命の泉が止まる事は、自らの命に終わりが訪れた事を意味するのだ。
城の豊かな生活はプリン達の寿命を10年以上命を伸ばし、肌艶は今なお20代の様な美しさを残している。
故郷との蟠りと決別した後、プリンは子供を多く産み、7人の子供に囲まれて楽しく賑やかに過ごした。一番上の子はもう子供を産んでいる。ミナトナは早熟だ。
プリンは孫が生まれると「私、おばあちゃんになれたわ!」と大喜びだった。
その夢のように楽しい日々とも、ついにお別れの時が近づいてしまった。
日々、起きる時間が少なくなってきた。彼女の子供達が、プリンと交わったミナトンや城の若者が、ニップ達ミナトナ仲間が見舞う。
「ねぇ御屋形様ぁ」「もう御屋形様じゃないよ」「いいえ、貴方はいつまでも御屋形様よぉ」と笑う。
「あそこに連れて行ってちょうだい」
私は彼女の子供達、夫達を呼んで、プリンを二之丸醍醐殿北の、林檎の木の下に座らせた。
林檎の花が薄紅の花を満開に咲かせていた。もう桜と言ってもいい位だ。
「綺麗ね。楽しかったね。お酒も美味しかったね」
もう彼女の命は尽きかけている。子供達が彼女を取り囲む。
「裸にして」子供達が彼女の服を脱がせる。美しい。出会った頃と変わらない、女神の様な体だ。
彼女は樹を背に座って、子供達を、夫達を一人ずつ抱きしめる。
「御屋形様ぁ、抱きしめて」
私も、彼女を抱きしめた。
「一緒にお酒を飲みたいわ」私は彼女が大好きなヴァンムス、シャトー・ティーグをグラスに注いだ。
「く、ち、う、つ、し」と艶っぽくねだられたので、口移しで飲ませた。
「ああ…幸せよ。私、貴方に会って、ずっと幸せだったわ…
このまま、ここで、ずっと。この子達を。見守るの。ここに。いさせてね」
「わかったよ。ずっとここにいて欲しい、プリン」
「幸せ…愛してる…タイム」
私を抱く手が落ち、彼女の息が止まった。
その姿は、全てを受け入れる愛の女神の様だった。
彼女を南の院に葬るべきか悩んだが、彼女の最後の言葉を文字通り受け止め、この醍醐殿に埋葬する事にした。
ところが用意を整えようとして気付いた。プリンの亡骸は白く固まり蝋の様に白く美しく透き通ったものに変化していた。
腐ったり、黒ずんだりしては居なかった。
もう少し、彼女の言葉通り「このまま、ずっと」を信じる事にした。
数日後には、その素肌は大理石の様に滑らかになり、細やかさが徐々に失われ、風雪に耐えた女神像の様に穏やかな姿に変わって行った。
「アタシたちって、死にそうになると里から追い出されたんスよ。初めて見たけどこんな風になるんスね。とっても綺麗で、姐さんらしいっス」
君もきっとこんな風に綺麗になる、ニップにそう言いそうになって止めた。
皆には一日でも長く、元気でいて欲しい。
******
葬儀は、皆が静かにこの地に花を捧げ、奥書院で献杯する事とした。
男たちは若き日に心奪われたニップへの想いを泣きながら語った。女達は、一緒に子守りしてくれた優しい亜人に憧れ、慕った思いを泣きながら語った。そして一人ずつ奥書院を出て、家族と共に家に帰って行った。
その後も、彫像の様なプリンの亡骸に、子供達が、父達が、私達が、花を捧げた。花のドレスを纏ったプリンは、生前と変わる事なく優しく微笑んでいた。
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2年後にニップが、ムッチーが。翌年にはメカク、チャビーが。3年後にはロンゲと、彼女達の中では一番若かったロリーが、同じ林檎の木の下で眠りについた。
彼女達は子供や孫に囲まれて、笑顔で息を引き取った。
ロリーの夫アグリも多くの子供と孫を連れて、愛しい妻に別れを告げた。
プリンに寄り添って眠る様に、一人ずつ、この世を去って行った。
皆が言ってくれた。
「ありがとう。幸せだった」と。
この城で子供達を世話し、多くの子供を産んだ彼女達。
その亡骸は、慕い合い寄り添い合う女神の姉妹の様に、林檎の木の下でいつまでも微笑んでいた。
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「御屋形様のお力です。プリンさん達ミナトナが幸せだったのも、あれほどの子供達がここにいるのも」ウェーステが涙をこらえて私に寄り添ってくれた。
「ホンに、賑やかな子らがおらん様にのうて、寂しゅうなったもんじゃの」アンビーもしょげている。
「まあね、遅かれ早かれだよ。済まないね御屋形様。あたしらだって行きたかないけどお呼びはかかるんだよ」姐さん組が、涙目で頷く。
「みんなで!少しでも長く!御屋形様と一緒に!居ましょうね!」泣きながらマギカがみんなに熱い視線を送る。涙で歪んで酷い顔だ。でも嬉しい。愛に満ちた、愛らしい顔だ。
楽しい時を過ごした愛しい人は逝ってしまった。しかし彼女達が遺した子供達は、元気に学校で学び、遊び、愛し合い、新しい命を身籠っている。
プリンが守った仲間達、産み育てた子供達は人の子と交じり合い、増え、笑顔の輪を広げてくれたのだ。
「ステラにとっての幸せって、こういうものだったのだろうなあ」
遠い地で懸命に生きているステラの事を想った。
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