87.ステラの息子

 国王をダンに譲り、彼は各国から寄せられた鉄道延伸の要請や、アブシン王国との多国間協定への参加を求められる書簡に攻撃されていた。

「思ってたのと違うー!」

「そういうの全部私がやってたからな。ジョー、ダンもミッチリ鍛えてあげてくれ」

「大公様には引継ぎのお仕事があります。ミッチリ鍛え揚げるのも引き継ぎの中かと存じます」

「言う様になったじゃないか」上手く宿題を回避しようとした私は強烈なカウンターを喰らった。


「こんなのチマチマやるくらいなら、ハンマー王様と大陸の北を探検したり、ブリナ公爵と南大陸を探検したいよ!」

「それは…そうだな。ゲンがこの城と出城、そして各国の大使館を守れる若手を育ててからの話かな?」

「チキショー!こんな事ならあちこち探検してから王様になった方がよかったぜ!あー!」

「何言ってんだ。この大陸で初めてシンナイ大陸を踏破し、自分で防疫体制を確立して安全に行き来させて、更に不可侵条約までアッという間に結んできたって、どんだけ大冒険だよ?」

「メンドクセー!」「はっはっは、あいつが気に入る訳だ!」

「あいつって?」「オーティーの旦那様」「ああ、あの…南を守ってくれたあいつか」

「お前がアブシン王の署名を持って帰った時、あいつら親子揃って悔しがったんだぞ?」

「はっはは!そりゃいいや、頑張った甲斐があったってもんだ」

「じゃあこの鉄道延伸計画の検討も頑張ろうぜダン」「くそー!」


 こんな感じで最初の春が過ぎ、秋が近づいた。他の地より育ちが早いこの城では、麦や米、葡萄の収穫が終った。

 酒造好適米は酒の仕込みに回され、各地の酒蔵では、大陸中の王家から庶民までが待ち焦がれる酒の仕込みが始まった。日本酒は海沿いに人気が出てるそうで、何よりだ。

 やっぱ日本酒には魚だよね。


******


 などと実りの秋のある日。その日が来た。


 ステラが、長かった金髪を切っていた。そして私に「お話すべき事があります」と申し出た。

 妻達が、驚きの目でステラを見つめ、彼女の発言を待った。プリン達も子供を抱きかかえ、集まった。

「人払いは?」「いいえ。皆さまにも聞いて欲しいと思います」他人行儀にステラが答えた。


 思い出深い本丸奥書院に皆が集まった。勿論、ダンもヤミーもいる。

 ステラは美しい目を私に向け、決意に満ちた表情で話した。

「お願いします。私を離縁して下さい!」ステラは深々と土下座した。

 その時が来た。その時が、来てしまった。


 妻達は項垂れ、或いは顔を覆い、或いは天を見上げていた。みんな、薄々ステラの気持ちに気付いていたんだろうなあ。

「俺は君を愛している。ずっと一緒に居て欲しいんだ」

「私は、嫌です。子供が欲しいんです」

 妻達が呻く。ダンも呻いた。しかし、誰もそれ以上言えなかった。


 重い沈黙が流れた。


「最初に約束したね」私が切り出した。

「君は、幸せになって欲しい。その言葉を考えて君は結論を出したんだね?」

「そうです」

「私やミナトナみたいに何人も夫を取っても、ここでは許されるんだ」

「私には違うと思います」返す言葉に迷いがない。ずっと考えて放たれた言葉なんだろう。


「離縁しよう」妻達、ダン、城の皆は、驚きと溜息を放った。

「新居は用意できるか?」「はい」

「新たに伴侶になる者がいるのか?」「申し上げるべき事とは思いません」

 私も溜息を吐いて、それこそ内臓を吐き出しそうな辛い溜息を吐いて、最後に負け犬の遠吠えを吠えた。

「そこまで嫌われているとは思わなかった。無理やり妻にしにてすまなかった」


 皆が私を串刺しにする様な目で見た…様な殺意を感じた。

 ステラは、身を縮めて、震えた。

 アンビーが怒鳴った「御屋形様あ!今の言葉取り消しい!」ウェーステも「酷い言葉です!解ってて仰ってるのでしょう?!」

「俺が悪かった!俺が嫌われていたんだ!みんなは自由だ!自由なんだ!!」


 思わず叫んでしまった。


「すまない。取り乱した。はは、嫌われて当然」アンビーが私を殴った。

「馬鹿にしないな!あんたの妻は!嫌いな男に!金や地位欲しさに!纏わりつく蛆虫じゃあ言うんかあ?!あんたの目にゃそんなにわしら醜く見えるんかあ?!」

「醜いのは!醜いのは…」

「あんたを愛したわしらを舐めんな!あんたはわしらが愛した!一番大事な。愛しい男なんじゃあ…ああ」

 ステラはずっと伏せている。アンビーは目の前で真っ赤になって泣いている。すぐ横でウェーステが、クッコが、モエが、私を責める様な、労わる様な、云い様の無い顔で見つめている、眼に涙を溜めて。

 後ろではオイーダが、ドレスが、イナムが、ジーミャが顔を伏せている。プリンも同じだ。マギカは、泣きながら、声を上げずに何もいわずにいた。


「ステラ。少し考えさせてくれ。頭を冷やしたい。すまない」

 ステラは下がった。このままフラリと城から消えそうな様であった。


「アンビー、ごめんな。私はね、モテないから自信が無いんだよ」

「そないな事、10人より妻が少ない男に言うたらブッ殺されんで!」また怒られた。

 で、抱き着かれてかれて泣かれた。


「ステラが、可愛い妹が、いなくなってしまうが…」

 妻達が泣いた。しかし、誰もそれ以上言わなかった。


******


 久々に一人で天守に登り、飲んだ。

 勿論、ステラの決意には応えるべきだ、それはここで彼女を迎えた時から決めていた事だ。こうなる事も解っていた。

 私は、彼女の心の傷を一つ癒した。男に虐げられ、男に怯えていた忌まわしい心の傷を癒した。それだけでもよかったのだ。

 でも私が誰にも解らない故郷の趣味のボケをかました時突っ込んでくれたあのステラが、折角スゴイものを作った直後に呆れかえったあのステラが。

 妹みたい、というより娘みたいにずっと一緒だったミッシを優しい笑顔で世話していたステラが、礼拝や祝典、戦いの時もずっと小さい子供達の傍にいてくれたステラが。

 初めての城での舞踏会で着飾った笑顔のステラが。

 美しく、厳しく、優しく、眩しい笑顔のステラが。

 私を捨てる。


 慣れている。

 慣れている、筈だった。でもやっぱりキツいな。

 どんだけ凄い魔力でどんだけ凄い城を築いてどんだけ強い魔物をやっつけても、結局人の心は動かせない。


 ステラは、つながりが欲しかった。

 男に犯され、死病を移され、生きながら死を待つ身となった。

 親に見殺しにされた。弟も親に見殺しにされた。

 この城に救われたとは言え、やはりダンやヤミー、ミッシが心の支えだった。

 ミッシが死んだ。

 ダンとヤミーが結婚した。そして、ヤミーが新しい命を宿した。

 姉の様なプリンも身籠った。

 自分の体の中に、新しい命を宿したんだ。


 ステラの門出を祝うべきだ。

 ステラが新しい命を宿し、子供達や孫達に囲まれる、彼女にとっての幸福を実現すべきだ。

 それは私では絶対に出来ない事なんだ。


 階下に降りると、妻達が控えてくれていた。

「ステラの決意を祝おう。あの子は絶対に幸せになるべきなんだ」

 アンビーが立ち上がって天守を降りてステラの元へ走った。

 ウェーステ達が私の近くに集まった。

「ありがとう。君達がいてくれたから、私は幸せでいられる。

 あの子の幸せとは、やっぱり子供や孫なんだ。自分の血を分けた命なんだ。

 私達は全力で彼女が苦しまない様に助けよう」


******


 ダンに国王を譲った以上、私が城に住むのは違うなあと思い、三之丸の外に屋敷を「チェースッ」と建て妻達との新居にした。

 そんな 飾りっ気の少ない御新造の応接間に、国王ダン陛下が行幸遊ばされた。

「親父は」

「父親じゃないって」

「オ!ヤ!ジ!はあ!姉ちゃんどうすんだよ!」

「祝福する」

「はぁ?」

 妻達を見渡して、再度言った。妻達も頷いた。

「ステラの決意を祝福するよ。お前のお姉さんはがんばったんだ。一歩ずつ、自分の未来のためにな。頑張ったんだ」

 ダンは言葉を失った。

「それで…いいのかよ」

「ああ」

「姉ちゃんはな。親父を。裏切ったんだ…」

「裏切っちゃいないさ」「何でだよ!」

「私はな、ステラの幸せが一番大事だったんだ。

 散々傷つけられて、親に見殺しにされて、それでもお前達を護るため魔物の餌になってな。

 そんな心が傷だらけのステラに、幸せになって欲しかったんだ。

 その最後に必要だったのが、あの子の子供なんだ。

 ステラはな、やっとこの城を卒業したんだ。見送ろうな」

「ぐううっ…畜生、畜生!」ダンは蹲り、小声で呟いた。叫ばなかったのは、彼もそうなる事を、心のどこかで覚悟していたからだろう。


 御新造にステラを招いて、彼女との離縁に応じた。

 言葉も少なく、ステラは財産の贈与を拒否し、城を出る事を伝えた。

 妻達が引き留める事も聞かず、「私は御屋形様を裏切ったから」と自らの蓄えから僅かな金と僅かな着替えだけ持って、旅立った。


******


 送別も見送も彼女は断ったが、私達だけは駅まで見送った。

 最後に、私は必死に声を絞り出した。

「幸せになりなさい」


 この時、彼女は何を思ったのだろう。


 列車は彼女を乗せ、数えきれない思い出の詰まった城から去った。妻達は泣き崩れ、ダンは表情を崩さず列車を見送った。


******


 夜の二之丸御殿。

「解らないもんだねえ」

 すっかり人数が減ったとはいえ、ここで暮らす小さい子供達はまだ多い。姐さん組やミナトナ達は以前と変わらず子守りや食事の世話、夜の寝かせ付けを続けていた。

 小さい子を抱いてあやしながらオイーダが言った。

「あたしみたく実の子に石を投げられて追い出された女もいりゃ、ステラちゃんみたく実の子を欲しくてこんな楽園から出て行っちまう子もいる。

 本当の幸せってなんだろねえ」

「元王妃様でもわかんない事ってあるもんだねぇ」ドレスがからかった、自嘲も含めて。

「私にとっては、この子達の方が実の子より大事だよ。もう実の子は死んじまったけどね」


 御新造。遠く天守を眺めながらクッコとマギカがワインを飲んでいた。

「ダンはステラ様を裏切ったと言った。確かに御屋形様の御寵愛を受けながらそれを断ったのは、裏切りかも知れないが。」

「私は御屋形様を愛してるわ。絶対に離れたくない。でもね、ステラちゃんは違ったんだろうな…」

「やはり自分の子供というのは、愛おしい物なんだろうかなあ…そうだろうなあ…」

「このお城にいると沢山の子供達に囲まれちゃって、みんな自分の子みたいに思えちゃったり、何かおかしな気分になっちゃうよね」マギカが笑った。

「そうだな。ダン国王ですら弟みたいに思えてしまう事があるんだ」「いい事よ」

「ステラ様は、どうしているだろうか。宿にでも泊っているのか。一人で寂しくないだろうか」


「ステラは、結局『ありがとう』としか言わんかった」アンビーが教えてくれた。

 御新造の奥座敷、二階の望楼から天守を眺めて「子守歌」を飲みながら私は答えた。

「勇気は要ただろうなあ」そう思った。余程の覚悟を決めて私に切り出したんだ。

「そうじゃ。あんたの方がよっぽど取り乱し取ったで」

 アンビーは私の横に来てくれた。ウェーステも反対側に来てくれた。

「あの方は、幸せになれるのでしょうか。自分を責め続けたりしないでしょうか」

「それは覚悟を決めたあの子の心の問題じゃろ」

「いや。あの子は幸せになるよ。絶対に」

「幸せって、何なのでしょう」「人それぞれじゃろなあ」


 ウェーステは幸せについて考える。アンビーも幸せについて考える。階下で酒を用意してくれているモエも。

 飲み明かしているクッコもマギカも。遠くで子供を寝かしつけているウェーステもドレスも、ジーミャもイナムも。

 夜通し我が子の世話をしているプリン達も。

 自分の幸せについて考えている。


******


 ステラは嘘を言った。行く宛て等無かった。無論子を成す相手も無かった。


 帝国南岸の、衛生も行き届いていない小さな港町で、病院の手伝いの仕事を見つけた。

 ステラは病人の世話を親身になってした。それこそ屎尿の世話まで。

 そこに入院した青年に見初められ、身籠った。貧しかったため、二度目の結婚式は上げられる事は無かった。

 ステラももう30歳。初産は辛いものとなったが、城での経験が生き、無事に元気な赤ちゃんを産んだ。


 真っ赤な顔で、元気よく泣く赤ちゃんを、ステラは泣きながら見つめた。

「私の赤ちゃん!可愛いミッ…」


『その子はミッシじゃない!ミッシを押し付けるな!』


 彼女に誰かの声が聞こえた。誰の声だったんだろうか。彼女にも解らなかった。


 赤ちゃんは、男の子だった。

 ステラは、生まれたての子をお腹に載せ、優しく撫でた。

「いらっしゃい。はじめまして、赤ちゃん」

 かつて、いや、今でも城で歌われている歌をステラは歌い、泣いた。

 その涙は優しく、しかし切ないものだった。

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